2007/08/29

日記「涙の帰国(日本滞在記4)」

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■07/08/18(土) □ 萌のメール
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 曇が出て雨が少し降り、真夏はついに去ったなと感じる日。今日はオフで、OKOのところでMと電話で1時間ほど話す。萌のメールも2件入っていた。非常にナイスである。MのPCからなので英語なのだが、なにしろ長文で驚く。

「お父さんへ。おじいちゃんが死んじゃったのね。悲しいわ、本当に悲しい。すんごく悲しい。悲しく思ってる人、おじいちゃんを好きだった人のみんながかわいそうだわ。あなたはすばらしいヘルパーだったと思う。早く会いたいです。ラブ。萌」

「お父さんへ。電話であなたの声を聞いたとき、これは誰かを恋しく思う人の声だと思い、胸が打たれる感じがしました。お疲れ様。ガンにならないよう気をつけて、パスポートカナダに電話して早く帰るチケットがないか聞いてください。早く会いたいです。ラブ。萌。」

 ああ早く帰りたいな。葬式後2週間もフライトを待たずに済むよう、キャンセル待ちにかけてみよう。

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 新聞の死亡広告を見た父さんの旧友AOちゃんが今日、「なんだすうんだ(どういうことなんだ)!? 治ったんじゃねえんか!?」と大声をあげて飛び込んできたらしい。父さんが自分で治ったと広言していたので、こうして寝耳に水の人々も多いのであろう。AOちゃんのその言い方がしみじみと良い。田舎に住むよさを感じさせる。

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■07/08/19(日) □ おみやげ探し
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 今日は長野でパスポートその他用事を足す。欲しかったものもわりに首尾よく見つかる。松苗あけみのマンガをゲットしたのがヒットだったのだが、読んでみたら少女マンガではなく大人向けの内容であった。面白いが萌には無理。しかしもう4冊は少女コメディなので(これも80年代当時好きだった作家)、萌も楽しめるはず。昔アパートまで会いに行きサインをもらいマンガにも名前を登場させてもらった耕野裕子氏の本も、1冊ついに見つかった。

 おもちゃ関連はリモコンチョロQがなんと千円で買おうかと思ったが、電池コストがえらい高くつきそうなので断念。同じ廉価シリーズでヘリコプターや室内飛行機まであった。広い場所があるなら最高に楽しそうなのだが、うちのリビングでは無理だよなーという感じ。

 今日は先週までよりは気温は下がったが、それでもあちこち動いていると暑くてふうふうになる。

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 そしてあれこれと用足しを頼まれ走る。お経を読むお坊さんにはえらい金額が払われるだと判明。知りたくなかった。お経だけでなく寺の維持費も込みという考えなのだそうだが、真面目に一生懸命物事をやる気がしなくなる。

 帰る日取りが見えてきたので、あれこれせねば買わねばと気にかかる。結局2階にある俺の私物をカナダに送る段取りは今回もできなかったが(費用がかかりすぎる)、ざっと見たところ大半は捨てられるなという感じ。もう日本に住むという可能性も薄れているし、価値観も変じて、さすがに15年前のラップトップやモデムなんて捨てても惜しくもなんともない。再生できない 8mm やカセットをどうするか迷う程度。まだ急いで捨てなくていいと母さんは言うので、捨てられるものの仕分けだけとにかくきっちりやっておこう。

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■07/08/21(火) □ ようやくお葬式
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ようやく葬式。長かった。ふー。長い1日であった。葬式自体はしめやかさと華やかさがちょうどいい程度に配され、長さも適度でよかった。参列者は750人とのこと。さすがの人気者であった。俺が子供の頃うちにいた従業員のおばちゃんたちが小さく小さくなって来てくれ、みな泣いていた。俺の友達も何人か来てくれて驚く。

 大変だったのはその後で、「おとき」という100人規模のお礼の席があり、さらにその後親戚だけのお礼の席が設けてあるというネバーエンディングな一日なのであった。

 帰って飛行機会社に電話すると、27日のチケットが取れていた。助かった。

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■07/08/22(水) □ お寺参りと香典一覧
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初めて訪れた静かな朝。お寺にお礼参拝し、同時に延び延びになっていた送り盆も済ませ、これで行事はようやく終了。お墓に行くと、父さんがいた病院がそこからどーんとよく見える。ああ、そうだよなー。病院からもこのお寺がよく見えたもんなー。こんなちょっとしたことでまたしんみりとなる。

 行事は終わったが、しかし香典一覧を作るという大仕事があり、これがとんでもない面倒仕事である。コンピュータをうまく使えば労力は減らせると思うが、帳面となって残らないと母さんが困るというのでみな手作業で大変だ。

 俺は2階で荷物の整理。いつかまた日本に住めばと捨てずにおいた雑貨をバサバサと捨てていく。日本にいればまだ当たり前に使うものばかりなので、真面目に考えると悲しくなる。Mが使っていたタイのバッグなどが出てくると、地道に楽しく暮らしていた八幡時代の一部をここに置き去りにしたしたようで悲しくなる。悲しがり悲しがり8~9個の捨て荷物を作った。

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 【日本・カメルーン】前半はついに呼ばれた大久保と田中の突破からかなり楽しいゲームだったのだが、後半彼らが交替するとアジアカップと同じつまらないチームに戻り相手の個人技に耐えるだけで終わった。オシムはこのつまらなさを解消できるのかと疑う。

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■07/08/23(木) □ 香典返し表の入力
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 昨夜の大雨で23度まで下がり、秋風の一日となった。香典返し表のPC入力を命じられ、まる1日それに没頭する。

 1日で 400 件の大半を処理し、PC仕事をやるとさすが仕事柄集中がすごいなと母さんにびっくりされた。最初から合理化してあればPC利用の有無に関わらず労力は半分以下にできたのにと思う。葬儀屋もこの部分は自分ところの儲けにならないからノウハウを蓄積してないのか、世間ではいつまでにどれだけ返すかという相場をいうだけで、マニュアルやテンプレートは届いていないのだよなー。

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■07/08/25(土) □ 真夜中のギター
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 昨日も午後まで香典返し表の作成をやり、夜昔の仲間とのギター飲み会へ行った。

 朝3時までTNたちと小布施のハイウェイ公園でギターを弾く。IKもおり始まる前はずいぶん盛り上がったのだが、毎度のことTNは自分の内なる音世界に入り込んでしまい、全然ジャムセッションにはならなかった。IKもバンド時代から四半世紀も経つと覚えている曲はなく、昔一緒にやった曲を俺が思い出し弾いては散発的にジャムが始まるといった程度。しかし夜中の公園でギターを弾き歌っているのはやはり楽しく、3時までダラダラとやったのであった。TNもIKもAKも、何年経っても変わりなかったな。

 TNもIKもうちの父さんを知っていて、いつもニコニコと声をかけてくれたのだ、花火の時には役員で一緒だったのだと小さいながら思い出があり、それで葬式に来てくれたらしい。ありがたい。

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 今日はちゃんと荷造りして成田まで荷物を1つ送り、出国の準備を進める。夜は子供たち全員を連れてレストランへ。昨日あたりはよくよく疲れがきて母さんは気分がダウンしていたのだが、外に出る元気が戻ってきてよかった。

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■07/08/26(日) □ 百々川お別れバーベキュー
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 夕方百々川でお別れバーベキューをやる。涼しい風とうまい肉と花火。サイコーでした。しかし物寂しいバーベキューだった。父さんがいないからというのではなく、ただただ病院に通い葬儀に振り回され夏が終わってしまったという寂しさがある。

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■07/08/27(月) □ 涙の帰国
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 出発の朝。なにか形見をもらわねばならないと父さんの部屋を見渡し、最後の運転免許証とD・フランシスのカナダ競馬の本をカバンに放り込む。

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 ◆13:33 新幹線無事乗車。最後に母さんが泣くかと思ったが、こらえていた。ここまで長かったもんなあ。別れの切なさよりも、長い時間をかけ一緒にものごとをやり遂げた、ほっとする気持ちの方が強いのだ。

 上田あたりの好きな景色を窓から眺めながら、今回こそマジでどこにも行けなかったよなと考える。まあ事情が事情で当たり前だが。

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 ◆17:51 チェックイン修了、荷物2個計27kg もまったく問題なし。日本での最後に何を食べようか考え、今回食べてなかったウドンに決める。が、この空港価格の高価な讃岐ウドンがカップウドンに等しいほどうまくなかった。がっくし。まだ搭乗まで2時間。

 ◆22:27 定刻通り出発。

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 そしてカナダ時間 16:00 に帰宅。空港に迎えに来てくれた萌が、区切りのテープをくぐり抜けてすごい笑顔で走ってきて、そして途中で顔がくしゃくしゃになって泣いてしまった。それを見た俺も、父さんが亡くなったときと同じくらい泣いてしまった。

ふー。お疲れ様でした。1月ぶりのカナダや自分の町や家や愛用PCはどうということはないが(これほど使い込んだフル装備の自PCにもそんなに飢えてなかったんだなと実感する)、やはり萌とMに会えたのが本当にうれしい。あとMKと猫のティガーと。不調らしいBRは滞在先のBV家から電話してきて、俺が体を気遣うとトモこそ大変だったわねえといってくれるくらいしっかりしていた。気温は長野の30度から一気に24度湿気なし。家の中は21度になっており、寒いくらいだ。

 はー。お疲れ様でした。

2007/08/17

日記「葬式と不思議な気持ち(日本滞在記3)」

■07/08/15(水) □ 青白厚塗り

 なんと5時半に豪傑Hおじさんがまた来た。来るのはいいがこっちは看病明けの上にまだ4時間も寝てないのだから、カンベンしてくれよと寝たふりをするも出直してはくれず、結局起こされてしまった。やれやれ。

 目が覚めると母さんは猛然と段取り・連絡を再開する。超社交家だった父さんの交遊範囲をくまなく余人が把握できるはずもないので、各方面の代表人物を探しては連絡を回してもらう方式らしい。葬式に呼ぶ人一覧もないわけだしなあ。

 人によっては没前に自分で手回しを開始するそうだが、父さんは最後まで自分の死をどう考えていたのか謎だ。症状と苦痛を訴える以外、最後まで病気のことは何も話さなかったのである。症状の悪化とともにモルヒネが入り、考えがそこまで及ばなかったのだろうと皆はいうが、体調がまだよく選挙の投票その他の雑事をやりたがっていた時点でもその前日の苦痛は深刻だったわけで、自分の衰えから死を予感しないわけはないと思うのだが。

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 葬儀屋が来て段取りを続行している間に、業者が父さんに化粧をして仏さんにしてしまった。血色は悪くなく、自然な寝顔で落ち着くよう看護婦さんがしてくれいい感じになっていたのに、お化けみたいな青白でベタベタ厚塗りして行きやがった。

 なんだこれはと怒り多少は拭き取ったのだが、直せない。業者が乱暴に父さんの髪の毛を洗う様子が痛々しくて目をそらしていたのだが、こんなことになるなら監視しているべきであった。葬儀屋の親玉のいるところで俺が騒ぎたてたので後から業者は何か言われるだろうが、この厚塗りを全部落としてやり直してもらうのもまた怖いし、手遅れである。トホホ。

 しかし葬式は本当に大変だ。遠い親戚など冠婚葬祭しか会うこともない人々も、毎日のように来てもらわねばならない。こうした段取りにあまり関わらずに済む身の上のありがたさをつくづく感じる。

 来る客来る客異口同音に、Kさんほど幸せだった人もいない、好きなことをやらせてもらってと笑って帰ってくれる。まったくである。

■07/08/16(木) □ お通夜

 9時間寝た。夕方までは子供らと遊び、お通夜のために来長したKNさん一家と話す。Tおばさんも三たび来てくれ、俺の手を取り父さんの世話の礼を言うので、俺もまた泣けて頭が痛くなってしまった。


イトコKNちゃんの娘さんたちは、昔のKNちゃんが四半世紀を飛び越えそこにいるかのような不思議な気持ちにしてくれる。SくんもIDのおじさんに横顔がうり2つになってるしなあ。10年おきの親族の葬式は、不思議な気持ちに満ちている。


 親族が残ったお通夜の夜、父さんのイトコRじいさんの味のよさに感服し、こっそり写真とビデオを撮っていた。豊丘の山の中で牛の乳搾りに生涯を捧げたというこのおじいさんは、日本昔話のような空気を携えている。それにいま改めて見ると父さんに輪郭が似ていて、懐かしい気持ちにしてくれる。こうして葬式の時にしか会うことはないのだが、できることなら家に伺ってゆっくりと昔話など聞いてみたいなあと思う。

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 父さんのお棺に大事にしていた黒い鞄を入れてやろうと中を確かめると手帳があり、そこには大好きだった各種会合の予定とともに病状経過が書いてあった。ちょうど俺が来た日付のあたりから悪化で書けなくなり白く残っている。病気への不安を書いた行もあり、言わなかったけどやっぱりそうだったのかと胸がつまる。

■07/08/17(金) □ 出棺

 出棺が終わる。もう悲しみのピークは過ぎたと思い、納棺時には涙は出てこなかったのだが、焼き場で棺の窓が閉じられ炉に押し込まれていくと、もう会えないんだとつくづく感じ涙が止まらなくなってしまった。

休憩所から逃げ出し涙を流していると、悪ガキHKがやってきて泣いているのかと問う。いや鼻水が目に入って目が痛いのだとかなんとか答え、えーホントー? と顔をしげしげと覗き込まれているうちに、やっと息が整ってきた。子供の存在に大人は救われている。

2007/08/14

日記「長い3週間の静かな終焉(日本滞在記2)」

■07/07/30(月) □ 体調サイクルが上がらない

 おとといの外出からのダウンが戻らず、父さんの調子は低調なまま続いている。ここまでくると話を聞かせる以外何も父さんにしてやれることはないのだが、鎮痛剤が効いて眠るばかりでは話はできない。黙って半日病院で過ごすと、家に帰ってからも鬱な気持ちが続く。

 俺が来た日の外出は病院に戻っての点滴で体調が戻ったのだが、今回は体調サイクルのピークが上がってこないわけで、螺旋を描いて下に向かっていくのを実感する。苦痛はコントロールできる、できるだけ好きなことをやらせてやれとお医者は言っているが、こうなると外出など無理に決まっており、このまま何もいいことはさせてやれず残りの日々が終わってしまうのかと思うとせつない。

■07/08/01(水) □ 動物園

 時差ボケがなくなりだんだん朝起きられなくなってきた。朝あせって病院へ自転車を飛ばしたが、今日も父さんは眠るばかり。気分は昨日よりいいようだが。

 AおばさんとHおじさんがきてくれ、その間はだいぶ長い時間起きていられた。しかし話をするだけのエナジーはなし。親族きっての豪傑Hおじさんは、「兄貴、心配すんな。俺もすぐに行くからな!」とろくでもないことを言っていた(汗)。

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 そして猛暑の中ボーイズを連れて俺は須坂動物園へ。昔と違いずいぶん人気が出ていると聞いたが、前と特に変わりはなかった。ハッチというカンガルーが全国的に有名なのだそうだが、普通のカンガルー3匹がいるだけで、なぜ人気なのかは不明。巨大レンズの一眼で撮ってるカメラオヤジが2名いた。



 暑さにたまらず途中をスキップして日陰のある池側に脱出し、ボーイズにかき氷をおごってやった。今日は叔父さんのおごりだ。どんどん食べなさいウッハハというやつを初めて体験した。

■07/08/03(金) □ 親族大ドラマ

 昨夜風もなく無茶苦茶な暑さで眠れなかった。さすがに日本の夏は暑い。病院に来ると朝、父さんは起き上がって自分でお粥を食べていた。驚き。食べ終わり着替えをするとエナジーが尽きたが、食べないよりはよほどいい。昨日から小幅アップ。

 父さんは鎮痛剤のせいで、ずっと目を開いたまま半分眠っている。ときおり表情が変わり手を動かすことがあり、視界に入っていくと、はっと気付いたように目をつぶる。そうして見ている夢はなかなか楽しいものらしく、ニッと笑って目を覚ます。やはりというか当然か、馬の夢が多いようだ。今日は覆い馬場を造成し、お披露目のパレードの先頭を切って歩くというものだったそうだ。馬のカイバの中に落ちて手足を振り回すなんて夢も見て、「らっちょもない(埒もない)夢を見るもんだなあ」と笑っていた。

 しかし1週間を過ぎ、寝ている父さんに付き添い続けるのにだいぶ疲れてきた。病院内を散歩してみたりしても、もちろん何もない。ふう。ギターがあれば一番時間が紛れるのだが、ここに持ち込むわけにはいかんしなあ。

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 昼飯前、なんと数十年付き合いが絶えていたTおばさんが見舞いに来てくれた。顔を見るなり双方号泣。気をしっかり持たないと駄目だぞK、あたしよりずっと若いんだからな。うんうん、ありがとうありがとう。83にもなる老体でやってきてくれたのだから、心から頭が下がる。

■07/08/05(日) □ 俺のハートが痛い

 今日は声をかけても反応が鈍く眠りから覚めない。俺よりも母さんの顔を見た方が蘇生すると思われ、電話をして呼び出す。

 母さんが来ると一瞬覚醒し、痛いかと聞かれると父さんは、「ハートが痛い」と答えおった。全く病んでも変わらぬダンディKちゃんだわと感心させられる。今日はさすがに見れないが、ニッと笑う顔は実に魅力的だと思う。この顔があるから看病も苦にならないのである。

 ロレツが回らないのでどうしてほしいのか聞き取れず、聞き直すとカンシャクが炸裂する。これだけ具合悪ければ苛立って当たり前である。もはや個室に移り、面会謝絶とし残りを看取る段階だと思う。回りのまだ元気な患者さんへの影響も懸念されるし。あと何日かなんて分からないが。

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 交替し4時に様子を見にいくとだいぶラクになったようで、ずっと夢を見てはニッと笑っている。あとで話を聞くとやはり馬の夢、生まれ育ったこの町の他愛もない夢を見ていることが多い。小学校以来の友達だなんて人が父さんにはゴロゴロいるわけだし、小さな町で友達に愛された人生は楽しかったことだろう。

■07/08/07(火) □ 個室へ

 朝イチで個室に移る。移った途端に付き添いの俺たちはああ快適だと感じるほど、やはり環境が違う。さっそく来てくれたキッズが遊ぶさまを、父さんが首を持ち上げゆっくり眺めることもでき、ここでゆっくりできればいいかと思った。家に戻してやりたいとはつくづく思うが、ここで家族と子供たちに囲まれていれば、家にいるのと変わらないか。現実パジャマを替えるだけで体力が尽きる姿を見ると、やはり環境を変えるのは無理に決まってるといわざるを得ない。

 俺の不在で萌とMがかわいそうなので、Boowy の DVD を買ってきてカラテゲームと共に即日送る。萌の好きそうな絵柄で選び少女マンガ全7巻も買ったのだが、これは50点くらいであった。ブックオフでさんざ探しても俺が読んでいた70~80年代の作家のコミックス(※)はもはやなく、現代の少女マンガはTVドラマ程度のものばかりなのかもしれない。
(※)後日、あの頃俺が読んでた「ぶ~け」は黄金期だったというファンの掲示板を発見。『松苗あけみ、吉野朔実、耕野裕子、竹坂かほり、水樹和佳、内田善美―――丸ごと一冊、、豪華な花束。すごかったですよね』まったくだ。

■07/08/08(水) □ サマーランド

 今日は子供たちを引率してプールに行くのだが、それまで家にいても落ち着かないので病院へ。昨夜は問題なかったようだが、今日は寝てばかりで全く目を覚まさない。鎮痛剤の量が多目なのかもしれない。

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 サマーランドへ。やっぱ日本の夏最高! という感じ。山の緑は目を喜ばせ、水は暑さで適度にぬくまっているし、空気がドライなカナダと違い上がっても身体は全く冷えない(気化熱で体温が奪われない)。カナダよりUVが低いので、真夏の陽射しでも目が痛くならない。ボーイズも俺も楽しんで最高の夏の日だった。

 萌とMを連れて来たいなあ。Mだって日本の野外プールの快適さは知らないんじゃないかと思う。

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 午後から消灯まで病院へ。今日は父さんに痛みが出て厳しかった。長い一日だった。ふ~。

 もう面会謝絶の礼を貼ってあるのだが、それを押して夕方遅くに父さんの同級生が来てしまった。痛みのあとでグッタリした父さんは応答もできなかったのだが、76のおじいさんが汗をいっぱいかきながら「Kちゃん! 死んじゃ駄目だぞ!」と呼び掛けるさまには胸を打たれる。フレンドシップ・フォーエバー、それが全くKちゃんの人生であった。

■07/08/09(木) □ 看病疲れ

 朝イチで昨日話せなかった萌Mに電話。Mの話にあまり反応もできず、俺は疲れているなあと実感する。萌はこの頃習い事を拒否したりつまらない嘘をつくなど態度がおかしいそうで、separation anxiety(近しい人の不在で子供が不安定になる)の一種だろうとMはいう。電話だと俺も萌との話が弾まず――俺は病院通いで話題がまるでないし――、会って話していれば楽しいのになあと悲しくなる。

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 夕方シフトは今日も大変であった。22:32 鎮痛剤が効いて落ち着いたのを1時間ほど確認して帰宅。疲れた。

■07/08/10(金) □ 最後の1葉

 9時近くに起床。夜番になってから疲れている。

 11時に一度顔を出す。今日は眠りっぷりが激しく、姉のMおばさんが来てくれてもほとんど目が覚めなかった。体力の低下が甚だしい。

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◆17:00 酸素吸入器が取り付けられる。日に日に終わりが近付いている。ここから先がまだ長いのかもしれないが、このまま鎮痛剤が効いて眠ったまま行けるなら、それがありがたい。

 しかし母さんの介護と献身には感動させられる。これがおそらく意識のある父さんとの最後の1枚になるだろうと、母さんが語りかけている写真をそっと撮っておいた。

■07/08/11(土) □ 「解散」の一声

 夕方、これはいよいよと母さんを呼び、母さんが家族全員に連絡する。しかし孫たちが来ると父さんは意外や目を覚まし、一族が揃っていることに気持ちが昂揚し意識がバキっと戻ってしまった。「起こせ」を連呼してべッドを上げてもらうと、皆に声をかけられニコニコになる。いや驚いた。

 そして自らの「解散」の一声で散会、俺一人残る。もう会うべき人々には皆今宵別れを告げることができたわけで、最後の瞬間は最悪俺一人でも仕方ないなと思う。無論母さんだけはなんとしても間に合わせたいが。

■07/08/12(日) □ 夏祭コンサートの歌声

 ◆04:30 起床。というか、病院のソファではきつくてこれ以上寝ていられない。父さんは1時半に姿勢を直してから一度も起きずに寝てくれた。05:52 交代。寝る。

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 ◆11:33 起床、フラフラだ。電話すると痛みがあるので鎮痛剤をレベル4に上げ、父さんは熟睡中とのこと。呼吸は安定しているそうである。

 今日はOKOも診てくれたので、午後遅くから病院入り。今日は病院そばの広場で夏祭コンサートをやっている。ここからよく聞こえ心地よい。父さんに聞こえていたら喜んだろうなとOKOと話す。見に行きたいが、さすがに無理。

 ところが兄貴が来てくれたのでちょっとだけ見にいくと、「カンガルーのハッチ」の歌を歌う地元アマチュアなのであった。がっくし。まあこの地元アマチュアのオリジナルカンガルーソングとNHKポップジャムで聞くヒット曲に大差はないわけで、日本の大衆音楽レベルはこのあたりなのだということである。

 ◆23:01 眠る支度。父さんの寝息が落ち着いたので、今日はしっかり寝よう。病院泊も2日目になると、旅行して酔っぱらった父さんとビジネスホテルに泊まってるみたいな気分もしてきた。昔父さんと一緒に行った、北海道の旅を思い出しながら寝た。

■07/08/13(月) □ 2度目の危篤報

 1時半に寝て朝6時に目が覚め、あれ父さんの寝息が浅いな、えーとと考えているとMKさんが来てくれ、父さんをチェックするとやはり息が浅い。それに熱い。あ、熱が出ているんだ。驚いて看護婦さんに聞くと、5時くらいから発熱し、血圧も下がっていることが判明した。MKさんが母さんを呼びに走り俺は兄貴とOKOに連絡する。

 母さんが声をかけると父さんはまだ目が開き、熱もやがて下がったのだが、痛みなのか息が苦しいのかもう一度落ち着いて眠ることができない。もうこの朝終わるかと俺はしばらく残ったのだが、変化がないので家に戻りしばし休む。お盆でうちに来ているご先祖様。どうか父さんを連れていってやってください。もういいですからと祈る。

■07/08/14(火) □ 長い3週間の静かな終焉

 ◆12:10 血圧が低下との知らせに病院に急行。手足が冷たくなっている。

 ◆15:41 最後は徐々に呼吸が少なく浅くなり、そして止まった。最後は苦しまず静かに父さんは亡くなりました。長い3週間であった。

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 店に電話で知らせるも、もう俺は声が出なかった。駆けつけたみなの顔を見、泣きじゃくる孫KSの肩を叩いているうちにやっと落ち着く。看護婦さんが父さんの居住まいを直してくれ、霊柩車で母さんとともに父さんは家に帰る。俺はえらい早さで駆けつけてくれたKHと共に病室を空にする。

 しかし俺の仕事はここまでなのだが、葬式が終わるまで母さんは全力疾走の実務が続くわけで、この部分は俺は全く力になれんし実に気の毒に思う。

 今日すでに、死去のその瞬間から退院、親戚への連絡、身内の仮通夜、御坊さんを交えて葬式の段取りと母さんは全く休みなしであり、親族みなが力になってはくれるもののこれほどハードな行事もないものである。

 豪傑Hおじさんが、俺が看病を明るくよくやってくれたと泣き、それで俺もまた泣く。日本にいる間に俺の白髪が増えたとおじさんはいう。俺も病院で鏡を見て白髪を気にしていたのだが、滞在中に増えたのか。実際個室に移ってからは毎日がハードだったからなー。ふう。

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 全て段取りがついた真夜中過ぎ、カナダに電話する。その少し前に死去の知らせを入れておいたので、萌はすでにべそべそに泣いていた。そんなに泣かないでおくれ。お父さんも泣いたけどもう大丈夫だから。でも、おじいちゃん死んじゃって、お父さんとおばあちゃん、かわいそう。そうだね。ありがとう。サッドニュースでごめん。――萌と話していると、いつでも胸が洗われる。

2007/08/03

日記「そんなにすぐに止めらんない(日本滞在記1)」

■07/07/18(水) □ 日本行き決定

朝イチで萌に日本行きの事情を話す。おじいちゃんが病気で、お父さんはしばらく日本にいなきゃならないんだ。萌はしばし泣いたものの、聞き訳よく納得してくれた。ふー。


 夕方OKOから、誕生日とお祭りのために病院から一時帰宅した父さんの写真が届く。元気そうに笑ってるじゃないか。うれしくなって即電話。あまり喋るとつらそうだったので、すぐに帰るからね、元気出してよと早口に伝える。

 今帰れる身でよかった。まだ笑い顔が見られるうちに間に合ってよかったとほんと思う。

■07/07/24(火) □「そんなにすぐに止めらんない」

◆13:45 日本行きフライトのゲートに向かう。ゲートで見送る萌が泣き、かわいそうなのでゲート内に入ってからセルフォンに電話する。車の中で電話をとった萌は、「お父さん!? うわー」とボロ泣き状態。

 あんまり泣かないでくれというと、「そんなにすぐに(涙を)止めらんない」と答える。なんて美しい言葉を使い気持ちを伝えてくれる子なのかと感動する。「そうか、じゃあマミーをハグして泣けばいいよ」「はい」「そうすればそのうち元気が出るよ」「はい」「すぐにまた電話するからね」「はい」。

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 ◆1525: 15分遅れで離陸。萌の席は空いたままだった。ここにうちが $300(キャンセル料) 払っているので、足を伸ばすために使わせてもらう。おかげでだいぶラクだ。

 ◆20:16 映画を2本見ているうちに順調に時間は経っていく。あと4時間。映画は老いた母親が亡くなる「東京タワー」というやつで、病院で俺を待つ父さんとあまりにも似通い憂鬱になる。

 もう1本は整形美女が人気者になりながら良心の呵責に耐えかねてステージで告白するという韓国映画で、女優がかわいくて面白い(※)。整形なんて恐ろしいテーマをよくこんなふうに持ってこれるなあとお国柄の違いが面白い。

(※)「美女はつらいよ」キム・アジュン

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 乗り換えがうまくいき1本早い電車で成田を出る。気温は高くないが湿気が強烈。そして日本は夏草がすごい。熱帯。いい感じで連なる成田の丘が、雑草と竹にこんもりと埋もれているのが美しい。そして日本の列車はオヤジのビールとサキイカくさい(笑)。全て総合して、アジアにきたなあという喜びが湧いてくる。

 ◆03:18 新幹線。さすがに疲れが出てきたのだが、弟OKOは忙しくて長野まで迎えにこれないとのこと。成田→上野→長野→須坂が全自走というえらいハードな移動となってしまった。まあ仕方がない。

 上野で地上に出たとき、夏の夕暮れの東京の混沌がよかったなー。2人乗りのスクーターや自転車や小さな車がガード下をくるくると走り回り、轟音を立てて電車が駆け抜け人々が交錯していて。

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 ようやく須坂にたどり着き、店に寄って「お前はるばるカナダからきた兄を迎えに来てくれんとはどういう冷血な弟だ」とイヤミを言ってから母さんのところに向かうと、なんと父さんが帰ってきていた。えーっ! 病院だとばかり思っていたよ、父さんのお気に入りの息子が帰って来ましたよと抱き締めると、父さんはありがとうありがとうとうれし涙をこぼすのであった。

 顔を見た瞬間は衰えが見て取れたが、話を始めるとどんどん顔色がよく表情にキラキラと精気を戻る。そして嬉しさに話が止まらず、競馬雑誌なんかをさっそく引っ張り出してくる。そうやって調子に乗るからあとでどっと疲れちゃうんだよと母さんに止められたが、いや本当に元気でびっくりした。

 アジアカップを見ながら母さんに話を聞くと、今はもう痛みを抑えるのだけが医師の仕事なので、できる限り家でいい時間を過ごしてくださいということなのだそうだ。なるほど、そうだね。俺はできるだけ一緒にいてあげよう。

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 【アジアカップサウジ戦】は、俊輔が入ってさえも「相手の方がうまい」という去年のサウジ戦からの印象は変わらず、というか相手は去年よりうまくなり戦術もよくなっている。日本の攻めをしっかりバランスをとったマーク網でつぶし、角度のある1・2で1対1を作りブラジルのように個人技勝負を仕掛けてくる。ブラジル人ぽい監督が映っているが、この人が明らかにいい仕事をしている。2点目3点目は取られ方も決定的で、素晴らしいとしかいいようがない。

 2点までは根性のセットプレーで取り返したが、足の遅いパサーばかりゆえつないでスキを狙う以外守備ブロックを崩す方法がない(相手はラストパスの受け手を予測し間合いを詰めるだけで余裕で対処できる)という日本の特徴がもろに出、そして1対1を作られるともろいという弱点もうまく引き出されてしまって、個人能力とチーム力両面での完敗であった。

 ジーコへのアンチテーゼがこのチームのはずだったのに、結局連れて行ったのは今回もみなパサーだったというオシムのチーム戦略ミスでもある。しかし田中達也・大久保・玉田らスピード型FWのフルポテンシャルがどういう理由か出ていないという現状では、どうしようもなかったのだろうか。

■07/07/26(木) □ 意外や元気→急転直下

 ◆05:26 もの音でほとんど眠れず時差で4時半に目が覚めてしまい、そっと起き出すと父さんも起きていて声をかけてきた。朝の涼しい縁台に座ってゆっくりと話をする。こんなに元気だとはほんとに驚いたよ。嬉しくなって調子に乗り、話しすぎて疲れさせないよう気をつけねば。

 長野はまだ梅雨が明けてないそうで、朝は涼しく気持ちいい。母さんを起こしたくないのでコンビニまで歩きオニギリと缶コーヒーを買ってくる。やっぱ日本はいいなあ (^-^)。

 父さんは長い時間は眠れないのか、目を覚ましてはチョコチョコなにかをしてまたすぐ眠っている。朝飯を自分で用意したのだが食べずにまた寝てしまった。あまり世話を焼くとかえって対応に疲れてしまうだろうから、俺は目を配るだけにしておく。

 8時頃M萌に電話。もう空港で別れてから向こうは1日半が経過しており、色々と報告を受けた。

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 ◆11:31 昼寝しようとしてどうも眠れず、腹が減ったので昼飯にしていただく。うまい。食べていくほどに食欲が増していく。父さんは朝飯を食べて話をしているあいだに体調が下がったようで、顔色が変わり横になってしまった。それを見ると、やはりこっちが現実なのだと実感する。

 そんなこんなで、夜病院へ。

■07/07/27(金) □ 須坂の魅力再発見

 よく寝て時差ボケは1時間ほど解消した。とにかく朝飯をしっかりと食べ、活動して体調を上げていこう。買い物に出たがまだどこも開いてなかった。仕方がないのでまたコンビニ。まこと日本は便利な国だ。今日はついに晴れて真夏日。

 こういう田舎町の狭い道には軽自動車が最強で、交差点をしゅっといい感じの速さで曲がってくる小さなかわいい車を見れば、運転しているのはみな普通のお母さんなので驚いてしまう。小さいからライン取りに余裕がありけっこうな速さでコーナーを抜けてくる。その光景が、資源だけではなく【路上占有スペースX時間】的にも無駄がない軽自動車の効率のよさを示している。

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  交代のため病院に来ると、昨夜病院でぐっすり眠れたと父さんが絶好調になっていた。ちょうど見舞い客もあり、大いに語り盛り上がりおやきなど食べ、またバタリと寝てしまった。よかったよかった。



この病院は見晴らしが素晴らしい。北の雁田山、東の臥竜山、西の長野市と飯縄、町屋や寺の屋根、見える景色の全てが懐かしく、高校時代を思い出す。上からだけ見ると須坂は驚くほど美しい。何枚も写真を撮った。


 しかし看護婦さんというのは実に尊敬すベき人々で、人の家族構成など興味もなかろうに年寄りの長話を遮ることなく根気よく聞き、世話をしてくださる。皆さん20代なのに普段使うわけがない須坂の地言葉でじいさま方に接して、気易く話しやすい雰囲気を作ってくれる。本当に頭が下がる。

 昼寝から覚めた父さんが退屈そうにしてるので、炎天下メガネと本を取りに帰る。日なたを歩けばふうと息をつきたくなるが、冷夏で予想よりも暑さはなくラクである。UVの強いカナダの方が日なたはキツイし、俺は湿気が好きだしな。

 しかしメガネはあっても父さんは集中力が続かないようで、本も長く読んではいられない。母さんの交代が来るまで俺がずっと話してやった。競馬、一緒に競馬に行ってたARたちのこと、大学時代の退屈さ、青春時代の充実について。父さん母さんのおかげで、わりあいに後悔の少ない人生だよと。父さんも昔のことをみんな覚えている。一緒に行った北海道名馬訪問の旅のことやバンクーバー競馬場のことを、いい思い出だと笑った。

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 夕方、カードで持ってきた写真を父さんと母さんのためにプリントする。軽自動車もいいが、さらに自転車でもこうして簡単に用が済む小さな町の魅力にしびれた。須坂の魅力再発見の日々というか。独身で身動きが取りやすいからだろうな。

■07/07/28(土) □ ITさんと焼き肉

 3時半に目が覚めてしまったのだが、水分を取りもう3時間寝直す。今日は IT さんが川崎から来てくださるので、母さんは支度をし俺が朝イチで父さんの世話をする。昨日同様調子はよさそうで食欲も盛ん。よしよし。

 そのうちに何か考えてるなと思うと、「トモ、行きたいところがあるから車を持ってきてくれ」と言い出した。そんな行きたいって、点滴ついてる重病人が何言ってんのよ。先生と母さんと相談しなきゃ駄目に決まってるでしょと答えたのだが、本人の思い通りにさせているとすぐさまこうして無理をしてしまいそうだ。


 相談の上準備を整え夕方一時退院し、見舞いに来てくれたITさんたちとうちの店で食事。この時点でまだタン塩を食べられるということに皆が驚くと、「食道ガンは抑えられてるんだ。リンパの方がまだあるから、そっちを治療しているのよ」と父さんは説明する。実際はもう治療なんかしてなくて点滴は水分と栄養補給だけで、本人もそれはわかってるだろうに、父さんはどういう気持ちなんだろうかと俺は考えていた。

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 【アジア杯日韓戦】:サウジ戦と同じく、現時点の日本にはスピードとアイデアとスキル、つまりフィジカル最弱の我が国が頼りうる全ての要素が足りないことを示す試合であった。日本の誇るはずの中盤は、1トップで数的に有利なのにスピードがないため(足もシンキングもプレーもパスも全てが遅い)相手を1人も崩せず、横パスと密集地域へのショートクロスしか出せない。これで点が取れるわけないと思う。スピード的に相手と勝負できるのは駒野だけで、左サイドバックの彼がずっとゲームメーカーとなっていた。

 中村はWC時と大差ないデキ、遠藤は「オシム【スロー】ジャパン」のシンボル的プレーぶり、中村けんごウはインターナショナルレベルで活躍するだけの経験を欠く。オシムはサウジ戦の負けを主力の疲れからであると答えていたが、彼らに替える選手を全く連れて行かず6試合通したのだから、疲労も監督の責任である。この納得しがたい選手選考と、あれほどまでに機能しない攻撃をサウジ韓国戦と2試合全く修正できなかったことで(毎試合1本惜しいシュートを打つ羽生の投入を「修正だ」とオシムは言うだろうが、あそこに大久保を最初から入れておけば済むことだろう)、オシムへの期待も低くなった。DVDで見た去年の試合に比べ、この1年でむしろジーコ時代に近付いてしまったと感じる。

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 しかしもう10年以上も会ってなかったイトコのYMちゃんがサッカー好きだったのには驚いた。「(そこだ! なにやってんだよ!)と常に小声でヤジを送っているのである。サイコー。こうしてサッカーを一緒に見れてよかった。