2007/11/28

日記「我の強さ養成コース」

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■07/11/21(水) □ 約束組手
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 昨日新ドライブが届き、今日ちょうど仕事が入ったところで全データの移動が終了。俺PC史上最も静かになった。きちんと整理したのでスペースも大量にあり快適である。今回のハードドライブクラッシュでなくしたものは、結局ゼロであった。バックアップさまさまである。

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 カラテ:今日は初めて萌とLSが、「約束組手」というものをやった。皆が覚えた「型」に対する攻撃側の動きをつけるというあれで(オレンジベルトの試験のときに見た)、今までにない新しい動きなので萌はもううれしくて、畳中を跳ね回りながらLSを攻撃していたのであった。2人の子供が踊り舞い、これは社交ダンスとしかいいようのない楽しさ。2人がこれを上手にできるようになったら、絶対にビデオに撮りたいのである :-)。

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■07/11/23(金) □ ヌシの棲む領事館
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 日本の証明書に署名拇印を押す必要があり、バンクーバーの領事館へ。ここに来たのは萌の誕生届けを出したとき以来だが、なんとその前の婚姻届けを出したときに面接を受けたオジ様がいまだに親玉をやっていて驚いた。あれから 12 年である。ああいう在外役所ってどんどん人の入れ替えがあるのかと思ったが、ヌシのように棲みつくお方もいるらしい。

 ちょっとヒヤッとしたが―――いや別に昔あのオジ様に意地悪をされたわけではないのだが、あまりにも官僚っぽい人なので彼は人を緊張させるのだ―――、何事もなく無事終了。ふう。

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■07/11/24(土) □ Jリーグの空気
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 M萌とクリスマスショッピングであちこちを走る。夕方録画した浦和・鹿島を見ると、最近もうぜんぜん評判を聞かない鹿島が非常にいいチームで驚いた。どの選手もボールを持った瞬間に何をすればいいのか分かっており、迷いがないのが気持ちいい。この鹿島の監督をオシムの後任にという声もなるほどと思う。そして小笠原と本山がまるっきり健在なのがうれしかった。どちらもJの一流MFという風格を漂わせ、他を圧倒しておりいい感じなのである。TV Japan はこの秋Jリーグをこれで3試合もやってくれたわけだが、柏も清水も鹿島もいいチームで浦和・ガンバを苦しめて、面白いリーグをやっているよな。

 Web でスポーツ新聞を読んでもこうしたJリーグの空気はまるで分からない。「スターシステム」に支配された日本のスポーツ新聞には、代表と浦和のACLのことしか書いてないのである。それも誰が点を取り勝ったといった、子供の日記みたいなことしか書いておらず、面白かった試合の興奮を伝える記事になっていない。J3氏によれば、Jリーグは実は欧州4大リーグに次ぐ世界第6位の動員人数を誇るリーグなのだそうだが、日本のメディアはまことにその盛り上がりという資産を無駄にしているといわざるを得ない。昔のような名のある外国人スターはいなくとも、柏のフランサなんか全盛時の中田並みのプレーを(たまにかもしれんが)しているのだから、そのすごさをきちんと報道すればよいではないか。日本人スターの記事でしか売れないというならば、それは書き手に力がないということなのである。

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 オシム監督が続投不可能そうなことについては、この先どこまで上を目指せただろうかという長い物語の結末が見れないのが残念だが、俺が見た物語の序章と序盤の山は特に面白いものではなかったので(1年目の3~4試合とアジアカップの負けた2試合とカメルーン戦)、こういう事情でスタートオーバーになるのならそれは仕方ないなと思う。トルシエが2年目の紛糾で更迭されていたとしても、おそらく同じような感覚を抱いたことだろう。トルシエがその後の波乱万丈のストーリーで、いいも悪いも含めなんともいえぬ味わいを残していったように、オシムも健在ならあと2年半トレメンダスな物語を味あわせてくれただろうけれど。

 オシム監督は選手を固定化し、FWと若手以外は未知の選手をまるで試さないことが不満だったのだが、これでまた違った代表メンバーが見られるだろうという期待感はある。たとえば本山など、トルシエ時代に力を発揮していながらジーコ以降はなぜか一度も呼ばれなかった選手なんてのがたくさんいるわけで、そういう選手を見てみたい。

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■07/11/25(日) □ ボンサイを楽しむ
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 Mのバースデープレゼントを探しに、萌とプラントショップへ行く。全館ものすごいクリスマスデコレーションで、萌は大喜びである。プレゼントには前々から探していた盆栽をゲット。かなりかわいい上に、萌が張り切って小石をきれいに敷き詰め、完璧なミニチュア日本庭園となった。グレイト。ただ盆栽の世話なんて誰もしたことがないので、すぐに枯れてしまわないことを祈ります。

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 日本代表の後任監督が岡田監督になってしまうらしい。なんだそれはと、ジーコ・オシム就任に続く日本協会のずっこけ人事である。前の代表時代は持ち前の勝負強さだけを求められ、また時間的にそれしかできることはなくしっかりやったわけだが、横浜時代は堅いサッカーに久保のドカンで勝っていたわけで、それより質の高いサッカーを目指したらとたんに崩れ、以来長年現場を離れている人なのだ。

 組織は作れ勝負強い人なのでジーコ時代よりは成績が上がって当たり前だろうが、そういう手持ちの駒を相手に合わせ対処療法で世界と戦っていくというというのは、10年前への回帰ではないか。俺はサウジよりも明らかに下手な日本の選手を、うまく気持ちよくする方向へ導いてくれる(かもしれない)、育成型の監督を見たいのだが。

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■07/11/27(火) □ 我の強さ養成コース
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 萌を学校に送っていき、先生が出てくるまで待つ。こうして観察していると、萌のような表情をした子というのはあまりいないなと思う。大体が寒さと待たされていることで、早くしてよという強い表情をしている。カナダの子供たちは表情が大人びていて、自分の快不快が豊かに態度に表れる。微笑みを浮かべ他の子たちを眺めている萌とは、ちょっと物腰が違う。

 萌はどうも引っ込み思案で、新しいクラスで親しい友だちができず俺を心配させているのだが(これは2年3年合同ゆえクラスに年上が多いという不運のせいもあると思うが)、こういう意思がはっきりした子たちは新たな環境で友だちを作ることも苦にしないだろうと思う。やっぱ俺たちは萌のやさしさを育みすぎており、彼女は我の強さがなさすぎるのではないだろうかとまた考えてしまう。萌のこの聖母のような性格は大人になれば誰からも好かれるだろうが、子供のうちはもっとわがままでなければ気の毒だ。

 しかし我を強くするといっても、どうしたらよいものやら。とりあえずは萌が俺の顔色を気にしないよう、気をつけていこう。萌は俺たちを喜ばせようといつも張り切っており、カナダキッズ的きつさを見せると俺が喜ばないので、その影響を受けているのだ。

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 午後迎えに行くと、萌はパーキングで昨日も話をしていた2人の子に大きな声でさよならを告げていた。車の中で萌は、「どんどん新しい友達ができてきてる」と弾んだ声で言う。そうか、あの子とは昨日も遊んでたもんね、学校の後で遊べないか今度相談してみるといいよ。

 家に帰り、お父さんはもう萌が何をやっても怒らないよ。好きにしていいよと遊ばせてやった。するとこれが逆効果で、なにかをするたびに俺が本当に気分を害さないかどうか始終顔色を伺っている。失敗、これはやめましょう(汗)。

2007/11/21

日記「カナダ人のボランティア精神」

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■07/11/12(月) □ 相撲見る気せず
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 相撲の九州場所が始まったのだが、朝青龍がいないので見る気がしない。昼間のダイジェストでさらっと見ると皆が頑張っているが、朝青龍がいないんだから誰が勝ってもまあなあと思ってしまう。スポーツ、いやゲームはすべからく、倒すべき強大な敵によって支えられている。

 巡業をサボってサッカーをやっていたというのは、サッカーで言えばプレシーズンマッチをサボってリオのカーニバルに行ってたとかと大差はなく(いやカーニバルは単なる遊びだが、モンゴルでのサッカーには故郷に錦を飾るというメンタル面もあるから、もっと情状酌量の余地は大きいのではないか)、これまでも色々あるとはいえそれで引退勧告みたいなことになってしまうのが相撲と日本の不可思議さだ。ちょうどあのとき俺は日本にいたのでげんなりとTVのコメンテーターの声を聞いていたが、スポーツとしてのヒリヒリするような嫌になるほどの真剣さをただ1人感じさせていた朝青龍の、その強さに対する敬意はどこにもないのかと思った。あのサッカー映像にあった朝青龍の信じがたい運動能力を、惜しむ気持ちは相撲ファンにないのだろうか。

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■07/11/14(水) □ カラテ兄弟弟子
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 カラテ:今日は先々週くらいにジョインした子と萌がペアを組むシーンが多かった。萌は初めて後輩ができたので、その子の相手をするときは得意げに指導している。LSもしかり。

 いつも教えてくれる中学生くらいの男子のお父さんに、「あなたの息子は素晴らしいね。いつも早めに来て、小さい子に教えてくれて」と話しかけると、そうなんだ彼は子供が好きでねとすごくうれしそうであった。スポーツはこうして子供が子供に教えられるところが素晴らしいよなあ。先生もそれを奨励してくれておりうれしい。

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■07/11/15(木) □ PCリサイクル完了
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 朝イチで車にPCモニター3個、筐体5個、マザーボードその他のパーツ無数、壊れたTVを積み込んで、隣町の公営リサイクルデポというところに行く。うちはPC一家なのでこうしたゴミがたまる一方なので、引き取ってリサイクルしてくれるならこれほどありがたいことはない。

 ところがここは Web に書いてあるのとは違い、モニターとTVしか引き取れないという。えー? ほんとにリサイクルするなら壊れたモニターよりも、古いが壊れていない各種パーツのほうが使えるではないか(Win 95 マシンならば組める)....などと雇われおじさんたちと言い争っても仕方がないので、MKに電話して別のところを検索してもらうと、地元 PoCo に私営リサイクル業者がある。ここに持っていって無料で引き取ってもらえるものだけ下ろし、後は後日考えようと行ってみると、筐体とパーツを全部無料で引き取ってくれた。ありがたし。すっきりした。

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 萌の日本語学校の間モールで用を足していると、つめ襟の若者がぞろぞろと団体で買い物をしていることに気がついた。まさか日本の高校生かと近くに寄っていって耳を澄ませていると、喋っているのは日本語っぽいけどイントネーションが違い意味が分からない。コリアンかなと思いながらしばらく会話を聞いていたら、意味が分からないのではなくて彼らが喋ってるのはコテコテの関西弁なのだと気がついた。やっぱり日本の高校生ではないか。見渡せばモール中に何百人もの詰め襟少年とブレザー少女たちがいる。引率の先生もいる(笑)。

 驚いて3人ほどのグループを捕まえ、「日本の高校生なんですか?」と声をかけると、「イエス」と1人の少年が答えた。「修学旅行で来てるの?」「イエス」「いや私は日本人なんだけど....(^_^;;)」「あ、そうです、修学旅行です」「へーすごいねー、楽しんでください」「ハイ、ありがとうございます!」ですって。滋賀県の高校なのだそうだが、カナダまで修学旅行とはすごい世の中だ。こんな田舎で何を学んで帰るのかと思うが、果敢に買い物に挑戦していたので、事前に英語での買い物やり取りなどを予習してきてるんだろうなあ。楽しんでくだされ。

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■07/11/17(土) □ TVで日本メンタリティ
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 雨、萌と俺とでいつものように遊ぶ。最近萌は TV Japan のいろんな番組に興味を持っていて、俺もお気に入りの「ちりとてちん(今週の師匠が高座に上がるシーンでは萌は涙を流していた)」はもちろんのこと、やたらに多い料理ショーや動物ドキュメンタリーを長時間集中し、知らない言葉は俺に尋ねては見ている。萌は日本メンタリティをここで強く吸収しているよなあと思う。

 今日は中国雲南省の、橋や建物や食器や家具が全部竹でできた「竹の村」という不思議な土地のドキュメンタリーがものすごく面白かった。萌は、「全部が竹でできてるなんて、(そういう極端さが)ドラクエの村みたいだね」と面白いことをいう。なるほど。

 「ドラクエ7」は、俺はもう村に行ってダンジョンに行きボスと戦うという繰り返しに飽きたのだが、萌は村々が持つストーリーとDQらしいテキストの面白さをエンジョイしているようだ。俺が仕事をしているときには一人で村の人たちに話しかけ、メッセージを一生懸命読んでいる。習ってない漢字も送り仮名から見当をつけてかなり読んでおり、マンガとRPGで漢字学習作戦はうまくいっている。

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■07/11/18(日) □ カナダ人のボランティア精神
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 萌とMは毎年皆勤だが、俺は雨の中出るのがおっくうなので行ったことのないサーモンフェスティバルへ。今年は晴れた。こんなに毎週末晴れてくれる秋はなかなかない。

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 サーモンフェスティバルは PoCo だけではなく近辺のいろんなコミュニティの環境ボランティアが終結した大規模なもので、パネル展示が主だったとはいえカナダの市民はみなえらいなあと感心させられる。

 そこでサーモンバーベキューを購入して食べ、隣接するサーモンハッチェリーまで歩きサーモンの孵化槽や解剖を見学して、さらにMは萌の学校まで歩くぞという。まあ天気もいいのでそれもいいかと歩いていく。



 学校でMが見せかったのは、先週から彼女が2週間ボランティアとしてかかりっきりになっていたサーモンのペイントボードだった。全校生徒が1つずつ色を塗った数百の色つきサーモンが、群れを成してフェンスに泳いでいる。その一つ一つが独創的な色とデザインで素晴らしい。Mは忙しい忙しいとえらいボヤキながらこれをやってたので、忙しいならボランティアなど引き受けねばよかろうと俺はやや冷ややかに眺めていたのだが、なるほど子供たちにこれだけのものを作らせてしまったのだから、えらいと褒めざるを得ない。

 うーん、これは私はお前を誇りに思うぞ妻よと褒めると、萌も学校でマミーを見ていてものすごく誇らしかったといい、お父さんは何もボランティアしてないじゃないと批判されてしまった。たしかに。すまん。まあその面はお母さんが人並み以上にやってるから許してくれ。俺は萌をハッピーにすることが得意なわけで、その面では人並み以上にやってると思う。計6キロの散歩で、腰が痛くなり疲れた。

2007/11/14

日記「嵐のワインディングロード」

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■07/11/06(火) □「ちりとてちん」
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学校からLSを連れ帰り遊ぶ。家についても話に夢中になって萌たちは車から降りないので、じゃそこで遊びなさいとシートを倒してキャンピングカーにしてやった。萌とLSはトイレで2階に上がってはおもちゃを持って降りていき、1時間半も楽しげに遊んでいた。

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 NHK の「ちりとてちん」というのが非常に面白く、序盤の総集篇が早くもあったので萌にも見せてやった。萌にもあの主人公の演技は大うけであった。面白いよなあこの子。あの子の福井言葉(若狭弁?)が実にイイので地元出身の素人なのかと思ったら、wiki で東京の有名な役者と知り驚いた。あの間と表情が本当に面白い。番組が終わると、萌が「なんとかやで」と関西弁を喋り始めた。カナダ育ちでも、関西弁が標準語と違うというのはやっぱ分かるんだなあと感心した。

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■07/11/08(木) □ Falken Ziex ZE-912 に交換
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 ついに1月以上探し求めた理想のタイヤ、Falken Ziex ZE-912 を買いにショップへ。言葉が通じないチャイニーズのおじさんに苦労してタイヤローテーションの説明をし、交換が終わり道に出ると、予想通りガラっとハンドリングが変わった。縦のユサユサがやや減少し、ワダチに敏感になり、ステアがしっとりと重くなった。ワダチに敏感なのは困るが、重くなったのは軽自動車からスポーツカー方面に少々移行したようで気持ちいい。パーキングで見ると溝の幅がすごく広いタイヤで、なるほどこれなら雨雪に強いわけだと分かる。非常にかっこいい。

 萌をピックアップして Lougheed を走ると、乗り心地は3割くらいよくなってる感じ。狭いレーンをキープするのが前よりもラクで、レーンチェンジでちょっとステアを切ると抵抗を感じ、ステアが重くなったというよりも直進時と切ってるときのメリハリが強くなったようだ。さきほど感じたワダチ敏感性はタイヤの横剛性が高く、横のたわみがない分フィードバックが強く出てワダチを強く感じるのかもしれない(前にレガシィでも堅いタイヤをはいてるときにこれがあった)。全体に非常にいい感触である。あさってのロングランが楽しみ。

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■07/11/10(土) □ Harrison Hot Springs 2007
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 11:27 よし、荷造りは終了。なんときれいに晴れた。珍しい晴れの秋景色をゆっくり楽しみながら走ろう。

 ―――う、しかしエリオの荷室がきちきちだ。レガシィより荷室が 40cm 短いわけで、でかいクーラーとスーツケースを入れるとハッチを閉めるのがやっとである。しかしあちこち収め方を工夫して無事4人分の大荷物を詰め込み、後方視界を5割保ったまま収まった。ほんと車はハッチバックに限る。

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 3時ハリソン着。晩秋のフレイジャーバレーの景色を眺めながら、のんびりと走ってきた。BCで秋晴れの旅行なんて滅多にない幸運である。フレイジャーバレーはハイウェイ側から見ても長野に似て美しいが、反対側から川を望むととてつもなく美しい。BCで一番美しい景色はここなのではないかといつも思う。萌にカメラを渡して窓から景色を撮ってもらえばよかったなと後から気がついた。

 エリオ&ニュータイヤは絶好調。文句ない乗り心地と気持ちのよいハンドリングを道中ずっと楽しんだ。Falken とタイヤローテーションのおかげで完璧な直進性が出ており、横風にも強くなっている。やはり横剛性が高いタイヤはよい。レガシィのように直線を流すだけでフラットさが気持ちいいなんてことはさすがにないが(飯を食いに出るときADのメルセデスに乗せてもらったら、レガシィを思い出す心地よさだった)、もともと悪くない高速時の乗り心地が Falken でさらによくなり、大きな窓で眺めもよく、誰もが文句ない快適クルーズであった。

 そして田舎のゆるやかな曲がり道では、前の車についていくごく平和なペースで、きれいな外輪荷重コーナリングが簡単にできてしまう。90km くらいの長いコーナーで、ステアに置いた手の平で荷重が一番おいしいところをずっと離さず捕まえているなんて会心のコーナリングができてしまった。前のタイヤとはコントロール性が段違いだわ。入手困難さにあきらめ妥協せずにこいつを待ってよかった。Kumho は乗り心地が最高でもハンドリングと燃費(走行抵抗)が悪かったので、Falken で正解だったと思う。

 着くや否や、萌と俺は当然スイム。スイムスイム。水面から出た頭が寒風に吹かれキンキンに冷えるので、ときおり背泳ぎをして頭を温水につけ暖める。秋晴れの空に雲が浮き鳥が飛び、非常に気持ちいいのです。

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■07/11/11(日) □ ハリソンの秋
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 2日目:いつも通りビッグブランチをいただいてから美しく濡れた晩秋の森を散策し、町で萌の買い物をした。ハイパーになってる萌はすぐさま本日2度目のスイムに行きたいのだが、ちょっと休ませないとまた夜にエナジーが尽きて泣くので、チェスなどで遊んでやる。

 午後のスイム。萌はスイミングレッスンをやめてからずいぶん経ち、泳ぎが下手になっている。ジタバタせず体を伸ばしていこうと指導しながら一緒に泳いでいると、だんだんコツを思い出してきたようだ。今月からピアノは正式に休止状態にしてもらったので、その時間を利用してたまには萌をスイミングに連れて行こうかな。

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 夜は去年も行った日本食屋。こんな人里離れたところでよくこんなうまいものが作れるなと思うが、テリヤキソースが北米消費者向け大甘市販品なのがやや手抜きだったといえる。それがなければ満点だったのだが。

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■07/11/12(月) □ 嵐のワインディングロード
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 帰宅日、大変な帰路であった。ものすごい風と雨の中ミッションまでをヨロヨロと走る。エリオは箱型ゆえ当然横風に弱い。ステアがクイックで修正しやすいのでどれほど吹かれても危険はないのだが、せっかくのツイスティロードも修正に忙しくてハンドリングだのグリップだのと言ってる場合ではなかった。なにしろ道に木の枝が散乱しまくり、樹木や電柱があちこちで倒れてるのである(※)。これが自分に落ちてこないようにと祈りつつヨロヨロ。
(※)停電 300 地域 20 万世帯の猛ストームだったのだと後から判明。

 ミッションを抜け、もうこの先は町場だから風も谷間ほどは吹かないだろうと思ったら、突然 Lougheed Hiway が通行止めになってしまった。迂回路の看板に従って右折すると、おいおい本当かよというような山道を登っていく。いったい俺たちはどこへ連れて行かれるのだ、どう見ても一山超える勢いの登坂で、こんなところで山を越えてもまた山しかないではないかと緊張する。迂回の道中サインは1つもなく、俺たちを含めたくさんの車はみな疑心暗鬼になって、分かれ道があるたびにこっちか? いいのか? と激しく迷いスローダウンするのであった。

 俺たちはそうした車の大勢に従ったのだが、道はどう見てもミッションの町に戻っていく。そして案の定ミッション市内に逆戻りし、さらに同じ Lougheedの同じ迂回路サインのふりだしに戻ってしまった。がくー。ふざけるなよミッション交通局、なんなのだこれは。

 いったん車を止めてMが地図を徹底的に調べ、迂回路の頂上で左に折れていればよかったのだと分かる。だったらそういうサインを出しておきゃいいだろうが、ふざけるなよミッション交通局。それ以外に町を出る方法はないので、結局もう一度同じ迂回路を登っていく。やれやれ。

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 しかしここからはもうルートがわかり、さきほど下見(つまりラリーのレッキ!)を強いられた道なので、不安が消えワインディング走行を積極的に楽しみ始めた。後ろの車がじわじわと離れていく程度の無理のないペースで、低速コーナリングのコントロールを楽しむ。苦しい横Gや大きなロールはまったく出さず、Mは座席上にアグラをかき、BRは後ろで新聞を広げた状態のまま、くんくん曲がっていける小さな車の面白さ。新タイヤ効果でコーナーの侵入からきれいにイメージ通りのトラクションがかかっているので、こないだのバラカラのように後半苦しくなるようなこともまったくない。急坂だが賢いATが 2nd に落としてトルクを維持してくれるのでスロットルレスポンスもよく(ギア比の悪いレガシィはこうはいかない)、思う通りに車が動く。木っ端が散って路面のグリップも低いはずだが、まったく気にならないシュアなハンドリング。よしよし、サイコーではないか。

 山のま裏を通る山間路を登りつめ、ついに山を越え谷に降り、まるで長野の菅平線だぜここはとMと笑い合いながら突っ走って山上はるかなダム湖に出た。えらいところにきたものだ。ここでようやく川を渡る。Lougheed ではこの川の下流を渡る橋が冠水したか何かで通れなくなってるのだろう。この迂回路が町に戻るまでの 30 分ほどのワインディングを、俺は心ゆくまで満喫したのであった。車でこんなワインディングを走ったのは軽バンで走った長野時代以来であり、その頃とは車と運転技術が全然違うのである。

 橋を渡り町に戻ってから、いやーこんなところを走らされたおかげで楽しかったと助手席のMにも報告。「スバルよりも楽しいの?」「うむ。こういう小さい車は向きがクイックに変わるから、飛ばさなくてもコントロール自体が楽しいのだ」。この車に決めた最大の決め手は「低速域でコーナリングが楽しめる」という Motor Days などの評で、それを求めたのは俺にとって正解だった。ほんと、乗り物の面白さはスピードじゃないなーと思う。雨天強風雪道超高速以外のほとんどのコーナーで、この車はレガシィよりも楽しく曲がれる。このアクシデントのおかげで俺の自動車ライフでおそらく今日が、一番ワインディング走行を楽しめた日となったのであった。またあの迂回路に迷いに行きたいくらいである(^_^;;)。

2007/11/06

日記「ハードドライブ大クラッシュ」

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■07/10/30(火) □ 翻訳満足
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 朝から仕事をし、Mたちを送迎し、萌をLちゃんちに連れて行き、夕方はドラクエをちょっと手伝いつつ、少量とはいえ難しい仕事を1日できっちり終えた。何億という話をしている人々の仕事を安い賃金でやっているというむなしさは常にあるが、主夫仕事を怠らずしてこんな厄介な文書をきちんと読める日本語にすること自体に快感を感じている。

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■07/10/31(水) □ ハロウィーンは大成功
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 ハロウィーンはKT・HNと合流し、盛り上がって大成功。終わってからLちゃんのところにも寄れて、非常に充実していた。そのおかげですべてが終わると萌はぐったりと疲れ悲しくなってしまったが。まあ仕方がない。


 眠り姫の萌は、学校やその帰路(見せびらかしたいだろうと俺が気を利かせて)寄った数件の店屋でドレスをひらひらさせ、実にうれしそうだった。人から見ればどこにでも売っている子供ドレスなのだが、萌にとってみればディズニーワールドで買ってもらったドレスをこの日のために1年間温存していたわけで、とても特別なのである。学校では着物を着て舞妓メイクをしたLSが強烈に目立っていてスバラシかった。



 しかしうちみたいにキャンディを用意するだけの家がほとんどなのだが、Lちゃん家の方では家の外を強力にデコレートして大人が全員かぶり物をかぶって待機している家が何件もあって、投資と手間を惜しまず子供のお祭りを盛り上げていてえらいなあと思う。ハッピーハロウィーン。


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■07/11/01(木) □ ハードドライブ大クラッシュ
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 今年から開始終了日が変わったサマータイムで PC の時計が混乱していて腹が立つので、前回重要ファイルの更新に失敗し起動不能にされて以来禁止していた Windows Update(※)を昨夜1年ぶりにやらせてみたら、またもやられてしまった。ブルースクリーンが出てクラッシュし起動不能。朝から修復を開始したが、今回は修復用CDも起動せず苦闘中である。
(※)MKによれば、Windows Update は自動更新をしばらく怠るとバージョン矛盾が起きる馬鹿システムなので、いったんやめたらもうやらないのがベストなのだとのこと。

 1時間経過、CDブートは諦めてMKに見てもらうと、意外にもディスクにハードウェア問題が発見されてしまった。Linux 上でリカバリーを開始する。99%のデータはリカバリーできるだろうとMKは言うが、ショックである。ディスクが死んだのは二度目だが、低レベルで何かをする変なドライバを入れてしまった前回と違って今回は俺に落ち度はないので、なおさらショックである。

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 リカバリーの間修復用CD「BartPE」で起動し、とりあえず読み書きとネットは使えるようになった。はあ。個人データは何があっても全部ミラードライブにバックアップしてあるが、映画や MP3 は被害もあるだろう。こんなクラッシュは全く想定外であった。まいったなあ。まあこれを機に、システムのさらなる安全化をはかるしかないな。

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■07/11/02(金) □ Dynamic Disc 問題
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 復旧2日目。死亡ドライブのイメージ作成は終わったのだが、俺のドライブは導入時に間違えて Dynamic Disc という互換性の低い厄介なフォーマットにしてあるので、MKの Linux からではリカバーが難しいことが判明。さらに半年前にCのミラーイメージを保存した別ドライブも Dynamic Disc になっており、BartPE からアクセスできないのである。はまりみて、初めて分かる、このドツボ(コンピュータ災害俳句)。

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■07/11/03(土) □ 丸2日かけて実用システム復旧
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 Mの Windows 2000 マシンで俺の Dynamic Disc ミラードライブをマウントできることが昨日判明し、死亡ディスクのCミラーイメージを戻して2月時点の起動環境が戻った。さらに死亡ディスクもこの頼りになる Windows 2000 マシンにつないでみると、データの入ったD、Fにアクセスできる! Scandisk を数回行い中を見てみると、Fにあった映画フォルダにアクセスできないが、それ以外は問題なさそうだ。助かった。どうやら Windows 2000 はOSとしてXPよりも頑丈であるらしい。

 ◆20:54 Windows 2000 マシン上で1日かけて死亡D、Fのミラーイメージを取り、空きディスクに流し込んでから俺のPCにつないでみると、DとFのデータは完璧に生きていた。映画も見られるし、巨大ゲーム Football Manager 2006 も無事動いた。クラッシュ日までの仕事データなども一切被害が見当たらない。助かった。どうやら被害はシステムとプログラムが入っていたCとEに集中してくれたようで、それは不幸中の幸いである。やっぱハード障害となるとパーテーションを切っても延焼を防ぐことはできないが、ある程度の防波堤にはなるようだ。

 これでクラッシュ前とほとんど同機能の仮システムが完成し、あとは保証で交換できる新ディスクの到着を待ってデータを移すのみ。プログラム設定はミラーイメージを作った半年前まで戻ってしまうが、たいした問題ではない。はー、よかったよかった。うちが一大PC一家でよかった。使えるPCとパーツと技能が満ち溢れている。普通の家庭ではなかなかこうはいくまい。

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■07/11/04(日) □ 主夫業に復帰
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 PCが3日ぶりに機能回復したので、たまっていた掃除その他の家事を再開する。雨で庭と裏路地の落ち葉かきも滞っており、車の整備とタイヤ交換もやらなければならない。夫婦共働きの家はこうしたあれやこれやをやれる人が週末しかいないわけで、大変なことだなあと思う。

 オイル交換をようやく終了。オイルパンがエンジン縦置きのレガシィよりもえらい遠くにあり、またエリオはえらい底が低いので(改めて下を覗いて驚いた、下手をすると亀の子になりそうである)ドレンプラグに手の力が入らず苦労したが、それ以外は問題なし。オイルはやはり相当に汚れていた。もっとまめにやらんと駄目である。オイルを換えてやるとエンジンがいい音している。バッテリーの充電も同時に行う。

 萌を迎えに車を出すと、オイルの粘性が戻ったので圧縮が上がり、排気量が上がったようなフィーリングになっている。気持ちよし。