2008/09/27

日記「日英『どうぶつの森』感想」

「旅行後始末」「カナダの暮らしやすさ」「どうぶつの森再開」ほか。

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■08/09/05(金) □ 旅行後始末
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 昨夜10時半に寝て6時に起きた。1日で時差ぼけがほぼ解消できそう。メール設定や、2度も電話しといたのにケーブルチャンネルの一時停止に失敗しやがった馬鹿ケーブル会社との電話交渉など、旅行の後始末を続ける。ケーブル会社は社員のミスで顧客が被害を受けているのに、電話オペレータは「ミスをしたのはあたし個人じゃない」というトーンで応対してくる。毎度のことだがため息が出る。

 あまりのジャンクメールの多さにMが日本で大苦労していたメール問題は、現時点でメールを全部 Google mail に転送し、Google にスパムフィルターしてもらい正しいメールだけを受け取るという方法を思いついた。この方法にトライすると、1日で 93 ものスパムを捨ててくれ完璧。旅行前にこれをやっておくべきであった。

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■08/09/07(日) □ カナダの暮らしやすさ
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 MがLDに電話をし、「日本では私が急かせて毎日イベントを入れたものだから、トモがちょっと疲れてたわねアハハ」なんて大声で笑っている。ちょっとじゃないぜ、けっこう疲れたよ (^-^;。

 しかし萌を友達のところに送り買い物をしに行くと、今日は夏日が戻り25度にもなっているし、カナダは快適だとしみじみ思う。道が広く空いていて各家々に十分なスペースがあり、スーパーの店員は日本みたいにむっつりしていないでにこやかに話し掛けてくる。日本に行って戻るたびに少しずつ少しずつ、カナダの快適さに対する感謝と日本への愛情とのバランスが拮抗してくる。

 おとといの馬鹿ケーブル会社との交渉みたいに誰かと利害が対立すると個人主義の国カナダにぐったりさせられるし、薄切り肉が手に入らないなどカナダ人全員阿呆かと思うようなところも多々あるが、本当にここは暮らしやすい土地だと思う。

 カナダに移り住んで14年になり、高校を出て東京に住んだ年月をもう越えてしまった。興奮と絶望に満ちた青春時代とそれ以降とでは時間の密度が全然違うから比較にさほどの意味はないが、実際長い年月だ。前は自分が日本に住んでいないことに泣きたくなるような喪失感がしょっちゅうあったのだが、この頃は抑えられている。恵まれた環境に住み、たまには楽しく日本に里帰りもできるのだから、幸せな境遇なのだと思えるようになってきたのだと思う。

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■08/09/09(火) □ みな風邪
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 帰国後ただちにMと俺はハナ風邪症状を感じており、掃除もちゃんとしたのだが、萌も風邪をひいてしまった。学校に戻ってあんなに喜んでいたのに、がっくりである。俺は今日明日はびっしりと仕事。

 旅行疲れがあるとはいえ日本から帰るや否や3人ともダウンなのだから、やっぱり家のダストをなんとかせねばならん。これは頭が痛い問題で、カーペットと有象無象に囲まれた部屋のダストを効果的にどうにかする方法というのは、この世の中に存在しないんだよな。安価で実際的な方法を発明したらノーベル賞が取れるだろう。エアクリーナーを回してみても、空気が十分に循環しないのである。

 しかしこういうのはみなアレだな、日本でのバケーションから戻り、現実生活のストレスにみんなが追われているのだといえる。家の修繕も(実用上問題はないが)完全に終わったわけじゃないし、庭の木の手入れにも大金がかかりそうで俺たちは落ち込んでいる。宝くじが当たる以外に逃げ道はない。

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■08/09/10(水) □ どうぶつの森再開
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 萌の体調は上がらず熱となり、昼過ぎに薬が効いて熱が下がるまではミゼラブルであった。隙を見て俺が仕事を終わらせた頃にようやく熱が下がる。ふー。

 萌は日本でもらってきた「ちびまるこちゃん」DVDを見るだけでほとんど何もできず、俺は仕事後 Nintendo DS「Animal Crossing(どうぶつの森)」のことを調べてみた。萌は軽井沢旅行時にこれにすごくはまっていながら1週間を経ずに飽きてしまったのだが(ニンテンドッグズの方は名前すら一向に覚えてくれず1日で挫折した)、人気ゲームなので俺も加わり調べていけばもっと楽しめるのではなかろうかと。

 萌は日本では1人でやっていたので釣りの方法すらわかっていなかったようで、俺がやってみせると突如森熱が再燃し魚をたくさん釣っていた。よしよし。

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 しかし相当量の資料を読み何ができるかだいたい分かったのだが、これはやっぱ「Webkinz」と同じで、一通りやったらやることがなくなってしまうな。最初のイベント「アルバイト」が終わり釣りで借金を返すまでは俺も張り切ってやったが、ここでもう買えるものもいったんなくなり、魚釣りと草むしりしかすることがなくなってしまった。

 こういうバーチャルライフものは根本的に、RPGから謎解きとバトルと次の町を見るという3大楽しみを抜いたものにしかならないのかもしれない。バトルだけは釣りでそこそこ代替できているが、苦労して魚を釣って売っても買うものがない(店の品揃えが悪く、虫取り網とスコップがほしいのだがまだ売ってない)から続かないのである。

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■08/09/20(土) □ 日英「どうぶつの森」感想
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 サタデイ、「どうぶつの森」ではついにKTの村へネット越しの訪問が成功。これは萌も俺も非常に興奮する出来事であった。DSはすごいハードウェアだとつくづく感じる。リアルタイムで友達のキャラを追いかけられるんだからすごいよねえと萌と話す。Webkinz もインターネットで友達とつながれるが、遅くてリアルタイムでのコミュニケーションはとても無理なのだ。

 「どうぶつの森」自体も、基本は釣りと虫取りと家具探しだけだからすぐに飽きてしまうだろうなと思ったが、ネットで資料を読むにつけその作りこみの深さに感服してしまう。実際に1週間森で暮らしてみていろんなイベントを体験したが、まだまだ見ていないものも多い。イベントがない平日はやはり退屈だが、そういうときは義務的にルーティン(カブ価、化石探し、雑草取りなど)だけやっとけば特に問題もない。魚を釣れば買い物をするだけのお金は十分たまるし、釣らなければ日々はただ過ぎていく。そういう感じで淡々とやっていくべきゲームなのだろう。

 「ニンテンドッグズ」は芸を覚えてくれればうれしいが、何が問題なのかまったく覚えてくれずイライラする。だがこれもまあ、1日1度世話だけやっておけば特に問題もない。ニンテンドー製品はそういう作りになってるんだよな。

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 しかし「どうぶつの森」も「Nintendogs」も、日本語版のほうがいいねえと萌と話す。特にどうぶつのオリジナル日本語版にはどこか糸井重里宝島的センスを感じるのだが、英語版での住民たちの名前や喋り方には違和感とつまらなさを感じて仕方がない。「とたけけ」という意味不明ながら絶妙な名前を持った人が、音の一部だけを拾って「K.K.」という名になっている。みんなのセリフも動物村の人々というより普通のアメリカ映画登場者みたいなトーンになり(わざと文法やつづりを間違えアニマルっぽさを出してはいるが)、セリフを読むのがあまり楽しくないし意味不明なことも多く、ついつい読まずにボタンを押してスキップしてしまう。翻訳者の苦労を感じ同業者として同情はするが、妙な味わいはまったく伝わっていないのである。残念。

 夜「どうぶつの森」に入ってみると、虫取りコンテストに優勝した萌が掲示板にメッセージを書いていた。「Hello everyone, it's me Moay, champion of the bug off......」だって。相手は機械なので手紙なんて読めないと彼女も分かっているはずだが、こうして楽しみで手紙を書いている。なんか萌ってほんとハッピーでいいなあと思う。

2008/09/21

2008 日本旅行記(終)「百々川ジャムセッション」

「キッズ写真スタジオ」「寒い米子瀑布 」「シャイン・ア・ライト」ほか。

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■08/08/31(日) □ キッズ写真スタジオ
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 8月最後の快晴の日曜日。もう涼しくて PoCo の夏みたいな気候だ。来日前から決まっていたキモノ・フォトセッションへ行く。昔からあの店の前を通るたびにくだらん親馬鹿ビジネスなりとケーベツしていたのだが、自分がそこに行くとはなあ。トホホ。

まあおばあちゃんと子供らのためだと覚悟して行ったのだが、予想以上に大変だった。着物の着付けと髪結いに2時間、撮影に半時間、ドレスもう2着の着替えと撮影に1時間半で、計4時間飲まず食わず状態。萌とAIちゃんはおばあちゃんが作った素晴らしい着物とかわいい服を着てハッピーだったし、俺たち親はそのラブリイさを楽しむ親バカなので空腹も疲労も耐えられたのだが、着るものなんぞに興味があるはずもないTP3歳はかわいそうだった。彼はハカマ姿撮影1枚だけだったが、知らない女ども(カメラマンと助手)に寄ってたかって顔や姿勢を直され笑え笑えとはやし立てられて、よく泣かなかったものである。えらい。成長している。

スタジオではその会社の annoying なCMソング「スタジオ○○っス!」というのが延々とリピートされていて、途中で萌が耐えられなくなり「止めてくれますか?」とお店の人に頼んでいた。お店の人は決まりで止められないのよーと苦笑していたが、萌はえらい。年がら年中あれを聞かされているお店の人だって本当は止めたいに決まってるのである。声を上げ続けなければ世界は変わらない。

 とにかく、萌とAIちゃんの写真は愛らしいものが撮れたに違いないが、撮影が終わると疲労と空腹でもう写真の選択どころではなく、写真は後日もらいに来ますということで出来上がりは1枚も見ずに飯屋へと駆け込んだのであった。お疲れ様でした。

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■08/09/01(月) □ 湯田中
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 暑さがバキっと戻った9月の初日、湯田中へ。年下のイトコたちの子供を見せてもらう。もうこれでほとんど出揃ったよなあ。あと結婚するとすればMおじさんところの一番下の子だけだろう。いつもなんだかんだと不在のお祭り野郎KZが今日はいたのがうれしかった。あいつが家にいるのを見たのは、奴の高校時代以来のような気がする。

 あそこの家は行くといつもあんなに喜んでくれるのだから、今度はもっとゆっくりお邪魔しないと悪いよなあと話しながらおいとまし買い物へ。中野アンティークショップのプレハブ屋内36度にヘロヘロになって帰る。結局アンティークはすごいんだけど、カナダへのお土産に買うものは何も見つけられなかった。これで買い物は終わり、荷造りを開始する。

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■08/09/02(火) □ 百々川ソング
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 あと2日で帰国となると、ああやり残した買い残した食べ残したと、後悔の念がわらわら湧いてくる。とりあえず今回帰国中初めての単独買い物に出て、中古ゲーム屋、100円ショップ、古本屋と定番の店をはしごした。収穫はあまりなかったが、まあ仕方がない。

 しかしこの定番ショッピングは1年前とまったく同じ行動なので、強烈なデジャビューに襲われる。あれから1年経ったとは信じられない。この1年俺はなにをしていたっけと考えてしまう。

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 夜うちの店に高校時代のバンド仲間が集まり焼き肉を食べ(塩ロース最高)、そのまま川に行って夜空を眺めながら今年もジャムセッションをした。去年はTNがリズムの向こうの没我世界に行ってしまい一緒に合わせて弾くことができなかったのだが、今年はリズムがきちんと合い気持ちよかった。彼は先週脚を大怪我してしまい、その他にもいろいろとありとんでもない夏になってしまったわけだが、スピリチャルな方向に突き抜けることができたそうでスコーンとハッピーになっていた。そのスピリチャルな部分には俺はまったくついていけないが、しかしよかったと思う。

 親の介護と桃作りに身を捧げるという、へらへらした高校時代からは想像できないえらい人になっているIKはあの頃やった久保田麻琴がなつかしいようで、「陽のあたるところへ」「オースザンナ」を熱唱していた。実際夕焼け楽団のあのアルバムは傑作で、テープが見つからないかなあと思う。俺のカセットテープは段ボールの山の底で、今年もまた手が届かなかったあと夜中の川原で俺は考えていた。

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■08/09/03(水) □ 寒い米子瀑布
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 昨夜2時まで川原にいたので今日は疲れていたのだが、Mの希望で米子の滝へ。滝まで登る体力があるかどうか分からんが、まあともかく米子村自体が気持ちいい山村だしなとコンビニで昼めしを買い込み登っていく。

高校時代のマラソン大会で毎年へえへえと歩き抜けたトンネルを抜け、バンドのスタジオに借りていた廃屋のあたりをずんずん上り、米子乗馬クラブだった橋を渡り....と、米子はいろいろ懐かしい。しかしそこから先は未体験で、知らなかったが米子瀑布は村から細い山道を 15km も登ったところにあるのであった。須坂からの海抜差 1000m のほぼ1車線山道を、対向車が来たらどうしよう、車にトラブルが出たらどうしようと心細い思いで延々と登っていく。

村から 30 分以上もかけてようやく駐車場着。そこから滝までは 0.8km とある。なんだ戸隠奥社よりも全然近いぞと張り切って登り始める。ところがそこから先はもうまるきり険しい登山道であった。戸隠よりも倍きつい。ときおり見える渓谷を眺めながら、皆ものも言わずにふうふうと登る。あと何百mという標識が心の支えで、それがないと途中でやめてしまいそうなくらいのしんどさであった。

ようやく見えた滝はさすがに見事なもの。Mは水着を持ってきて滝に打たれればよかったという。山頂は非常に寒くそれはちょっと無理だろうと俺は思うが、しかし水に打たれている人は実際そこにいた。うーむ、すごい。

 しかしこんな山の上に、戸隠に続きこれまたコンクリ物件がある。沢がコンクリで固められているのだ。どうも土建王国長野の山の上には土建物件がありすぎる。米子不動の寺と滝は十分登るに値するものだったが、はあはあ登った果てにコンクリ沢を見るのはげんなりするとしか言いようがない。いっぺんああなってしまったらもう手付かずの神聖感みたいなものは失われ、永久に戻らないのである。

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夕方店の皆にお別れを言い、最後の晩飯を一緒に食べるため来てくれていたAIちゃんを家に送る。車の後席で萌はAIちゃんに、「私たちは日本に住めないの。お金がないし。お母さんはここじゃ仕事が見つからないし」と小さな声で話し続けていた。AIちゃん家に着くと、2人とも黙ったまま喋らない。これは喋ったら感極まってしまうんだろうなと早々においとますると、玄関を出たところで萌は大泣きになってしまった。まあまあ、仕方ないよ。泣きなさい泣きなさい。

 しかし、今回はすごく長い間日本にいた気がする。丸一月だからこれまでと変わりないのだが、いろいろイベントを盛り込んだからだろうな。須坂に着いた翌朝小学校の野球を見に行ったのが、2月くらい前のことに感じる。

 もう存分に日本にいたという気はするが、暑かったからラーメンを一度も食べに行かなかったし、オロカな妻が肉よりも野菜を食いたいなどとたわけたことを言ってたせいでうちの店の肉もわずかしか食べられなかった。あれもすればよかったこれもやっとくべきだった。後悔後悔。

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■08/09/04(木) □ ストーンズ「シャイン・ア・ライト」
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KNちゃんが朝やってきて俺たちを長野駅まで送ってくれた。昨日AIちゃんと別れたあと1時間以上も泣いたせいか、長野駅でおばあちゃんに手を振りながらも萌は泣くことはなかった。おばあちゃんが改札にいつまでもいつまでも立っているのが見えつらかった。何度も手を振ってからホームに降りる。萌は新幹線が発車したときにこみ上げてきて、少しだけ泣いた。

 そしてスムーズに電車を乗り継ぎ(京成上野にエレベータができていたので助かった)無事チェックイン。今回は往復ともまったくノートラブルの楽勝であった。萌が2歳のときに飛行機内で高熱を出したトラウマがあるので、俺もMも日本往復にはすごく神経質になっているのであるが、やっぱ普通はこうして問題なく往復できるんだよな。17:50、30 分遅れてテイクオフ。

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 飛行機の中でストーンズの2年前のライブ「シャイン・ア・ライト」を見る。20年前の日本初公演の頃―――というか血液全交換とかで死の淵から舞い戻って以降はずっとそうなのだが、キースってもはやギタリストというより、キース風味をバンドにつけるための薬味としてステージに存在してるのだと思う。イントロをギョギョギョとつっかえながら弾いたらお役御免で、あとは手くせでオカズを入れているだけであり、曲のコードをちゃんと覚えてるようにも見えない。「ブラウンシュガー」みたいな奇跡のコーラスはとうにできなくなっているし(※)、キースの音にはもう興味を感じないのが正直なところである。海賊映画に出ていたが、もうそういう役柄で愛されてるだけなんだよな。
(※)ミックの趣味なのかコーラス隊はいつもソウルフルな黒人男女で、ストーンズ本来の白さとは合わないといつも思う。

 そういうキースの音はなくても、ストーンズはよい。なにしろミックとチャーリーがすごい。ロンウッドも20年前に比べたら指が動かなくなっているのだが、ミックの声量は落ちてないし、1曲ごとにああしんどとため息をついているがチャーリーのリズムは死んでいないのである。すごいことだ。

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 10:45 ラゲッジを受け取り、20 度で湿気ゼロの爽快なバンクーバーを飛ばし 12 時に帰宅。日本じゃ暑くてラーメンを食えなかったのだが、帰ったらあまりに涼しいのでたちまち食いたくなる。温泉にも俺は行かなかった。悲しい。

2008/09/14

2008 日本旅行記(3)「念願の戸隠奥社へ」

「親戚のビートルマニア」「漢字ソフトは大ハズレ」「オリンピック柔道の見方」ほか。

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■08/08/26(日) □ 親戚のビートルマニア
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 昨日深夜までライブを見ていたので午前中は体を休め、午後から今回の来日の主行事である父さんの一周忌法要となる。

 しかしそれにしても昨夜のライブハウスの煙状況にはまいった。酸欠と有害物質で身体にガンガンとダメージがくるのを体感した。何度も煙の少ない入り口の方へと退避したが、苦しかった。自分がタバコを吸っていた3年前ですら日本のレストランはケムくて苦しかったので、もはや耐えがたいのである。日本も公共屋内禁煙になってほしい。

 日本では「ここでタバコを吸ったらうまいだろうな」という場所には灰皿がばっちりと置かれており、来日以来情緒的には非常にそそられていたのだが、こうして人々が吸っている場に立ち会うたびに息苦しさを感じるせいで肉体的には全く吸いたくならない。日本のケムに取り巻かれているおかげで、逆に禁煙意欲がつよく....というかケムの入っていない空気への欲求を強く感じるようになってしまった。

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旧O旅館のおじいさんと味噌屋の叔母さん
父さんの一周忌法要。うちの母さんの叔父にあたる湯田中旧O旅館のおじいさんとその息子さん(つまりうちの母さんの一番若い? イトコ)が転居した諏訪から来てくださったのだが、その60代くらいの息子さんがなんとアビーロードでポールに、ダコタハウス前でジョンにサインをもらったという超つわものビートルマニアなのだと初めて知りひっくり返った。親戚にそんな人がいるとは40数年知らずに生きていた。

 そういえばO旅館のお兄さんたちの部屋にはエレキギターがありましたよねえと、子供の頃を思い出し話をする。あのうちの誰かがこのお兄さんだったのだろう。うちの母系はこうした趣味人が多い。音楽の道に進まなかったのが不思議なほどのパッションで彼は、俺とOKOにポリス再結成コンサートの話なんかをしてくれた。こんな人が親戚にいたとは!

 だいたい30数年前、俺が小学生のときに亡くなった湯田中の祖父の弟がこうして存命だというのが、いくら年が離れてたとはいえ奇跡みたいな話である。親戚というものは面白いと、去年の葬式で会った牛飼いのおじいさんに続き思う。

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■08/08/25(月) □ 漢字ソフトは大ハズレ
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 萌を連れて Nintendo DS のソフトを買いに行く。絶対買うと決めていた漢字学習ソフトとして「250 万人の漢検」というのを買ったのだが、子供がDSで楽しく漢字を学ぶという期待した内容ではぜんぜんなかった。読み書きの問題がぞろぞろと出てくるだけで、知らない漢字を学び練習するモードがないのである。字を探す辞書モードもまるで実用にならない(※)。UIもいったいこれはどこの素人が作ったのかというひどいデキな上にメニューは全部漢字で書かれており、「全年齢対象」というのは大嘘で子供が独力でこのソフトを使うこと自体が不可能になっている。
(※)登録字が少なすぎて実用にならない上に、「文部省常用漢字」で音読みでしか登録されてない漢字は訓で引いても出ないという、資料棒引きの阿呆さに強い怒りを覚える。

 漢字学習として誰もが思いつく機能を欠いていながら、画数当てやら部首クイズなど一般人には用がないモードは充実している。つまりこれは漢字クイズ(つまり「漢検」)を受ける漢字マニア用問題集なのだとやがてわかってきた。紙の問題集を電子化しただけで何の工夫もない。がっくし。だったら『「書く学習」「読む学習」「覚える学習」』なんてコピーを書かないでほしい。問題集は覚えた内容を復習する素材であって、これで読み書きを覚えるのは不可能なのだから。即刻売却を決定。

 はあ。DSソフトはなんか、「カセットで高価でハズレが多い」スーファミ時代に逆戻りしているように思う。ソニーは Playstation ソフトのクオリティチェックをやったらしいが、任天堂は放置してるのだろうか。

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■08/08/27(水) □ 念願の戸隠奥社へ
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 3年前は片道2kmという標識を見てリタイヤした戸隠奥社へ。今回は母さんもチームに加え、いざ勝負のときである。



 Mと萌は張り切って先に登ってしまい、俺は美しい参道を母さんと一緒にゆっくりと登る。入り口、随神門など節目節目に拓本ポイントがあり、萌たち は購入したブック(\500)できれいな拓本を取りつつ登る。全山数十箇所のうち奥社と中社にある6箇所くらいしか拓本を取れないが―――その他は古道を 歩いて探す必要あり―――、これはいい参拝記念だ。



 片道 2km のうち真ん中の門を過ぎてしばらくあたりまでは坂もゆるくふうと息をする程度だったのだが、最後の石段数百mはキツかった。おばあちゃんは高い石段に膝が痛むとのことで、ゆっくりゆっくりと登っていく。俺もそれ以上ペースは上がらず (^-^;。



 ついに登りきった場所は狭い土地に階段が複雑に入り組み、そして頭上に戸隠の山々がずばーんと見える。まさに神峰という感じで非常に気持ちがいい。

 ところが最後の階段を登るとコンクリートの社務所のようなものがあり、なんとこれが「奥社」なのだと判明した。なんと。苦労して目指したのがこれか。拍子抜け。

張り紙を見ると、奥社はなだれで何度もぶっ飛ばされたため、最後(1978 年)にこの積雪何トンかに耐えられる鉄筋コンクリートお社にしてしまったとのこと。新しくてもせめて白木にしといてくれたらと参拝客は思うが、そういう事情なら仕方がないのか。ま、祭られたご神体(天照大御神を引っ張り出した神様)に変わりはないんだしな。

 いやだいたいこの戸隠山がご神体なのだ。この威容には有無を言わせぬ説得力がある。登ってよかったと素直に思わせてくれる。階段に座り飲み物とお菓子を取る。気持ちがいい。おばあちゃんも普段からダンスで鍛えてるから脚は大丈夫だよと、達成感を感じ笑っていた。じっさいすごい体力のおばあちゃんであります。

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 下り、萌はすれ違う人のすべてに「頑張ってねー」と声をかける。石段のキツい部分では「あ、ありがとう!」といい返事をもらえたのだが、真ん中の門を過ぎると参拝客は参拝遊歩を開始したばかりで体が全然きつくないので、頑張ってといわれてもピンとこず反応が鈍くなってしまった。その辺の人情の機微を萌に話すのだが、萌は返事をもらえなくてもいいのと声をかけ続けていた。


中社前の広場でウェールズから来たという
鷹匠がトレーニングをしていたのだが、
こいつが実は忍者だったと後年判明(笑)。
参道前のそば屋で食事をし、忍者村へおばあちゃんを案内する。あたしはいいよとおばあちゃんは言うのだが、いやこれが面白いんだ行こう行こうと連れて行く。カラクリ屋敷は3年経つと俺たちもカラクリと順路をすっかり忘れており、十分迷え楽しめた。あの平衡感覚を失わせる謎の部屋ではおばあちゃんも声を上げ大騒ぎであった。中社にもお参りしお土産を買い、今年は戸隠に心残すことなく下山したのであります。

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■08/08/29(金) □ 「大人の漢字練習」
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 恒例の善光寺へ。蒸して暑かったが参道でおやきとジュースをいただき、境内をゆるりと歩くといつもと変わらず心地よい。そしてこれも帰国時恒例の焼き鳥デイブにも参拝。あそこの皆さんは何年あいだを置いて会いに行っても変わりない。11年の年月が信じがたいほどトシを取らないし、店の様子も変わりない。全然儲かってそうにないのにつぶれていない。善光寺参道から徒歩30秒という立地ともども不思議な焼き鳥屋である。今度日本に来るときは、昔みたいにキャンプに行こうと誘われた。はい、ぜひ。

 俺はネットで調査を行い、絶賛されていた漢字ソフト第2弾「大人の漢字練習」をゲット。「250 万人の漢検」はハズレだったが、こいつの漢字を学ぶモードの出来は完璧に近い。認識が速く、字が分からない場合はその場で大きな書き順マスの上をなぞるという次第。これは理想的だろう。学校の漢字プリントと同じで直感的なので萌も楽しんでいるし、俺がやってみても楽しい。「大人の」という趣向ゆえか子供が知らなそうな熟語が例文に多いのだけは難だが、そこだけは俺が見てやって付き合っていけば、萌が熟語を覚える役に立たなくもないだろう。よし、これでおばあちゃんにDSを買ってもらった大義が立つ。

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■08/08/30(土) □ オリンピック柔道の見方
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 大雨になってしまったが、長野のインドアプールへイトコ総出でおでかけ。思ったよりも水温が低く冷えたが、波のプールが期待通りに楽しかった。

 帰りに寄った寿司屋も文句ないうまさ。ここは高級回転寿司という値段の、つまり安くはない店なわけだが、客は行列を作っている。しかし1皿2個でハンバーガー1個からラーメン1杯分くらいの値がするものを、子供がパクパクと1分もかけずに消費しているのを見ると複雑な気持ちになる。客単価は相当に高いのではないだろうか。

 寿司はたしかにうまいけどさ、値段はかなりするのになんで寿司屋にばかりこうして行列ができるのかねと母さんに話を向けてみる。俺はうまい肉を食べた方がもっとうまさを身にしみて感じるんだけど。こないだキャンプでいただいたうちの店の肉なんかほんとうまかったよ。母さんは、「いまは焼き肉をどーんとという時代じゃなくて、ヘルシーな魚を少しだけという時代なんじゃないかしら」と分析していた。うーむそうか。―――まあカナダでもうまい寿司は食えるけど、うまい肉は絶対に日本にしかないので、それで俺は肉の方によりありがたみを感じるのかもしれない。

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 夜、NHKスペシャルのオリンピック柔道番組を見る。北京大会で日本がなぜああも勝てなかったのかがよく分かる解説だった。ライブで見逃した鈴木がタックルで1本を取られた映像と、欧州のレスリングをベースにした選手が両者倒れもつれた体勢からブリッジで相手を投げ1本を取る映像には衝撃を受けた。あんなのがアリなのか。つまりどんな手段を使っても相手の背中をつければポイントというのが現在の柔道なのであって、立って組む必然性はまったくないスポーツになっているわけである。むしろ立ち技で相手を倒すのは難易度とリスクが最も高いわけで、だから組んで技を掛け合うシーンは皆無となり、ほとんどの時間襟を取り合うばかりになっているわけだ。

 番組としてはこの流れに対応せねば日本は勝てないという内容になっていたが(石井は対応して勝てるスタイルを確立している)、これは柔道というよりも打撃のない総合格闘技であって、レスリングのほうにより近いつまらない競技になっていることを示している。北京大会柔道を通して勝負を分けた最大のポイントはいかに(遅効の)警告を避けるかにあったわけだし、石井の金メダルに狂喜した日本人はいないのだ。柔道をその程度のカタルシスしか得られない競技にしてしまっていいのかどうか、Judo 連盟は考えてみてほしい。そんな権利が君たちにあるのかね。

2008/09/08

2008 日本旅行記(2)「菅平メモリーロード」

「鬼押し出しの奇観」「軽井沢観光」「長野音楽シーン」ほか。

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■08/08/15(金) □ Mのカレー
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 今日はMがカレーを作り皆さんにふるまった。Mの作るようなインディアン・ベジタブルカレーは旨みがないので日本じゃ人気がないのであり、苦労して作っても喜ばれないだろうと思ったのだが、意外やとてもいい味が出た。いつもカナダで作ってるのと全然違う。なぜなのか不明で、豆缶の銘柄が違ったからかしら。

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 昨日出かけている間に柔道の鈴木があっけなく負けたらしい。信じられん。今日は石井というあのせせこましい柔道をする奴が彼らしい柔道で勝ったが、女子の塚田は攻めに攻めて逆転負け。日本は男女2人ずつしか勝てなかった。柔道は襟の取り合いとかけ逃げが5分間延々と続く、非常にフラストレーションのたまる競技となってしまっている。難しいなあと思う。

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■08/08/17(日) □ 菅平メモリーロード
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 OKO一家に連れられ、群馬の嬬恋でキャンプ。バイクで何度走ったか分からん菅平を、先週に続きOKOの後ろを追走する。菅平・鳥居峠・嬬恋。この道はなつかしすぎる。「いつも東京から長野に帰るのにさ、俺たちバイク乗りは可能な限り曲がった道を求めて、軽井沢から嬬恋に抜け菅平を降りるこの道を帰ってきたのだよ。このコーナーでOKOが転んでさあ」とM萌に説明しながら走る。菅平メモリーロード。

 それにしてもミニバンOKOは速い。あんな背の高いミニバンで飛ばして大丈夫なのかと後でMK奥さんに聞くと、「彼はバイクみたいに上体を傾けて運転しており、乗員は疲れることがある」とのことであった。俺と同じく車内リーンインで曲がっているのだ (^-^;。



 OKO夫妻のキャンプ装備はネット式巨大タープを中心に組まれた壮大なものであった。彼らはキャンプで悪天候にたたられることが多く、それに抗するために巨大タープを導入したとのこと。たしかにこれだけカバーされていればどんな天気でも平気だろう。強風にはつらそうで、着いた直後は風が強くうーむという感じだったが、タープとテントを建てお茶にする頃には幸い風が収まってくれた。風がなければ超快適である。草原のリビングルーム。

(鍋を忘れた責任を一身に負う愚かな弟)  

さてじゃあご飯にしようかというところで、OKOが炊事道具を忘れてきたことが判明。ツーバーナーと鍋がないという。これは致命的かと心配したが、ヒバチと網はあったので焼き肉+焼き魚+生野菜類でダイジョブであった。牛と豚肉は我が実家焼き肉店からの支給で、久々にしびれるほどうまかった。長年にわたるうちのスペシャルティである牛はもちろん、兄貴が推しているという飯山豚も信じられないほどほくほくと柔らかでうまかった。幸せ。

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 ◆22:25 べッドイン。Pocket PC のおかげで、長年夢見たテントでコンピュータが実現しています。バイク時代に Pocket PC があったら、テントの中でさぞや書きまくっていただろう。しかし3人テントに3人は寝づらい。あまりよく眠れそうにない。

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■08/08/18(月) □ 鬼押し出しの奇観
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 やはり3人テントに3人+全荷物は無理があり、皆長い時間眠れず苦しんだ。換気がいまいちで酸素が薄くなり寝苦しい。目が覚め夜中にトイレに起き出すと、外は夜霧が降りびっしょりになっていた。

 朝食後散歩をし、すぐ出ようかと思ったがこの後宿を取った軽井沢までは田舎でろくな飯屋もなさそうなので、ここでもう一泊するOKO一家とともに昼飯もいただく。昼過ぎに軽井沢に向け出発。サインがなく国道まで出るのに苦労したが、R144 に戻ればあとは勝手知ったる道。なつかしい吾妻川沿いの渓谷道をあっという間に抜け、鬼押し出しハイウェイに入る。

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 そしてこれまで何度も通り過ぎたが入ることなど考えたこともなかった鬼押し出し園へ入場。Mは絶対こういうのが好きだろうと目星をつけていたのだが、これが大正解であった。一面溶岩の山の頂にお寺が乗っかっている。




右手にはるか菅平鳥居峠までが見渡せる原野が広がり、左手は曇っていて見れなかったが浅間山が続いている。見渡す限り溶岩の大地というのはやはりすごいものがある。おおと声が出る。普通のカメラではその広大感が映し出せず(ネットで他の人が撮った写真を見ても同じ)、ワイドレンズがほしくなる。麓で「浅間山の湧き水で作った、日本一おいしい」かき氷を買って食べながらゆっくりと登り、奇観を存分に堪能した。



 出発が遅かったのでこれで時間がなくなり、あとはまっすぐ軽井沢の宿へ。R18 に降りる中軽井沢の道は左右の切り返しが延々と続き、バイクだといいトラクションが得られず妙に疲れる道なのだが、車だと割合に疲れもせず快適に走れた。日本の道は車でゆっくり走ってちょうどいいRにできているんだな。懐かしい軽井沢へ続く道。今日はペンションに泊まり、明日は旧軽散歩である。

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■08/08/19(火) □ 軽井沢観光
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軽井沢観光曰。ときおり雨に降られながら旧軽をぶらぶらと歩く。20年ぶりの軽井沢は道以外の全てが変わり、道すらも変わって教会通りが屋根のあるモールになっていた。Mは苔むす軽井沢がかなり気に入ったようである。



 店を物色して歩くのは昔と変わらず楽しいが、高いお茶だのケーキだの有料トイレだので金がどんどん消えていくのにまいる。旧軽に来てる人々は来るだけで地域に大きなお金を落としているんだから、公共トイレなしはないだろう。観光協会からしてトイレを有料にしてるんだから呆れる。こういう人の足元を見る商売は日本の悪いところだ。

 軽井沢はタイ・インド品店がなぜか豊富で、Mが一番買い物に燃えていた。萌もインドのペンダントを自分のお金で購入。俺はあの懐かしい写真屋で、昔買ったジョンの写真を探す。ヨーコに見つかり剥奪されたといううわさを聞いたことがあるが、もう販売はしていないものの店の壁にはまだ貼ってあった。販売だけ差し止めになったのかもしれない。

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 そしてMの旧友に会いに佐久に降りる。仕事ではいろいろと変わりあるようだが、T画伯夫妻は変わりなかった。会えてよかった。

 暗くなり、菅平越えは疲れるのでハイウェイで帰宅。この佐久→須坂の 73.4km の高速代が 1800 円もした。1キロ 24 円である。今の究極高値ガソリン代よりもまだ高い。ふざけるなである。長野→佐久の新幹線代も同等だし、日本の移動費用の高さはむちゃくちゃだ。

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■08/08/21(木) □ 博物館ショップ
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 昨日まで小学校が休みだったが、今日からは萌のイトコたちがみな学校に戻り、うちの家族3人+おばあちゃんだけとなる。今日は中野で買い物という小イベントへ。有名なユニクロというところに俺は初めて行ったが、人々がいいと思うデザインとクオリティを備えているだけでもえらいのに、値段が安いので恐れ入る。こりゃ売れるわけだわ。


 そこからの帰路、「中野の道沿いにMが好きそうな和ダンスが道端に置かれてたわよ」と母さんがいっていた店「アラジンのランプ」が見つかる。わ、たしかに和ダンスが道端のテントの下にある。や、安い。千円二千円の世界。Mはこういう安い家具を買ってカナダへ送るという野望を抱いているのだが、送料が5万やそこらは絶対にかかるだろう、カナダで業者から買ったほうが安いってと俺は必死にいさめている。


なにこの安さ! とほとんど悲鳴を上げる奥様。

 店内はさらにすごかった。こないだの中古雑貨屋よりもさらに年代が古い、戦前戦後あたりの雑貨が並んでいるのである。明治軍人を称えるポスター、天皇ご真影、爆撃後の東京を写した個人の写真帖、軍人が使ったらしき水筒や雑嚢などなど。須坂の「田中本家博物館」に収まっていても不思議はないレベルの雑貨に値段がついて置かれている。俺はそういうものを所有する趣味はないので買うものなどないのだが、興奮してしまった。

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 夜、女子サッカー3位決定戦。2~4年前は最強だったドイツを相手に、パスをつなぎ組織でボールを奪い技術を発揮して、真っ向から勝負し優勢に試合を進める日本。このチームはなんでこんなに素晴らしいサッカーができ、男子はなんでできんのだろう。最後にフィジカル差からこぼれ球を2発押し込まれ不運な敗戦だったのだが、しかし日本はこれでもう、女子サッカー世界の強豪として十分に認められるだろうと思う。ファンタスティックだった。

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■08/08/22(金) □ 松代の古学校
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 まだ行ったことがないというMKさんも誘い、10年ぶりに松代へ。目当ての真田屋敷はなんと4年にも及ぶという修復工事のただ中ということで、庭の池以外見ることができなかった。


 しかし隣の真田藩校は無事見られ、しかも前回の記憶にはないのだが上に上がり、剣術所、弓術所、畳敷きの学問所など美しい校内を自由に見ることができる。MKさんが係の人に聞いた話では、70 年代に今の小学校が完成するまではなんと校舎として使われ、そしてなんと今でも弓道場や剣道場として現役で使用されているのだそうだ。すごい話である。日本のこうした古いものが観光資源となったのはごく近年のことであり、それ以前には価値を認められず壊されてしまったわけだが、松代藩校は使われることで残ったわけである。

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 【代表ウルグアイ戦】タレントの不足で五輪を負けたという印象が強いので、玉田・達也・小野が入ったこの代表メンバーにはわくわくさせられたのだが、試合が始まってみると相手が強かった。達也が元気なうちは何事か起きそうな気配を楽しめたが、ウルグアイが常に日本の上を行く厳しさで戦ってき、やられてしまった。オリンピック女子チームのようにはいかない。そして小野の何もできなさが際立っていた。うまいのだがチームを動かせず、したがって何もできない。本人も悩んでいる表情だった。こうしてうまい選手を揃えチームがある程度機能するならいいが、そうではないのだから岡田監督じゃ駄目なのかと思う。

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■08/08/23(土) □ 長野音楽シーン
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GT家に招かれ、主にオリンピックと地域スポーツの話でのんびりと盛り上がり、夜はTNに連れられちょうどやっていたベテラン長野バンド So-Do のライブを見に行った。焼き鳥デイブでギター1本でボーカルのアクタさんに歌ってもらい感動したことがあるので So-Do には期待していたのだが、長野レゲエ/プログレ/ジャズ的で、ギターソロなどインストルメンタル部分が巨大音で延々5分ほども続く、非常に疲れる世界であった。

 研ぎ澄ました耳と心と指先で音を捉え、張り詰めたテンションで表現するある種の精神活動の現場に立ち会ったという感じ。出ている音のクオリティは確かにすごいのだが、これは演奏者の修行についてこれる人はついてきてくださいというバンドである。その音に呼応し楽しんでいる長野の客の音楽性の高さにはびっくりだが、俺はついていけない。延々と続くインプロバイゼーションでプレイヤーが出す音にも、ときおり入る短い歌にも、飛び込みの客である俺を感動させるものはなかった。
なぜか長野に住み So-Do でパーカッションをやってるゴンタ2号G2(元RCサクセション)が1曲だけキーボードを弾いたのだが、その音が "モノが違う" 類のもので鳥肌が立った。ライブ後に駆け寄り、「G2のキーボードが聞けてうれしかったです」と握手してしまった。

 しかし客層が若くて驚いた。So-Do メンバーより2回りほども若い。TNに尋ねると、So-Do のギターが JFL 昇格を目指すサッカーチーム「AC 長野パルセイロ」の熱烈なサポーターで、また So-Do プロデューサーのTさんが自転車チームを持ち熱く活動しているのだという。そうしたコネクションから若い人々がこの長野音楽サークルに加わってきているらしい。

 だったらなおさら、もうちょっと普通に歌を聞かせてくれればいいのにと思う。アクタさんが昔ギターで歌ってくれたあの「アリとキリギリス」という佳曲を、こんな異常大音量ではないすっきりと抜けた音でやってくれたら、きっとあの若いオーディエンスも楽しめ長野ロックシーンが育っただろう。今日やった曲は1曲も思い出せない。ゴーという音の唸りと疲労感だけが残っている。

2008/09/06

2008 日本旅行記(1)「商店街のお祭り」

「黒姫鱒釣り場」「萌念願のDSをゲット」「中古雑貨屋&盆踊り」ほか。

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■08/08/05(火) □ 無事のフライト
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◆14:54 旅行前としては例外的によく眠れた。チェックインも無事済み 45 分ほど遅れ出発。到着は予定より早い、つまりフライトが短いとのこと。快適だ。

 機内映画はたくさんあり、まず「僕の彼女はサイボーグ」というSFコメディを見た。日本でもこんなにすごい特撮ができるのかと驚くような映像でなかなか面白かったが、ヒロインが犯罪者を討伐するシーンで犯人が炎に包まれたり2階から地面に叩き落とされたりと、ちょっとエグすぎる。これはもしやとパンフレットを見ると、日本映画だが監督は韓国人だった。「少林サッカー」や去年機内で見た韓国映画「美女はつらいよ」でも異様にえぐい味があったし、やっぱり香港韓国人の感覚は日本西洋とやや違うと思う。

 萌が喜んでいた「カンフーパンダ」は、とにかく米国製アニメは全部が全部動物が擬人化されているだけで、一つも見るところはないなという感じ。特にかわいくもないし、面白くもない。

 ◆22:30(日本時間 14:30)到着、ホテルへ移動し即べッドイン。3年前に比べ異例にスムーズだった入国審査も含め、全てがうまくいった。お疲れ。

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■08/08/07(木) □ 成田→須坂
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 ◆01:00(カナダ時間朝9時):できるだけ寝続けようと努力したが、隣室にうるさいバカがいて夜からドタバタとノイズを立てるせいもあり起床。売店で買っておいたオニギリをいただく。日本はいいねと萌が喜ぶ。まったく、こうしてなんでも手近に売ってるから助かるよねえ。

 そして3年前と同じく朝まで時間をつぶし、このホテルの庭を散歩する。朝5時でもセミの鳴き声がわんわんと降り注ぎ素晴らしい。期待通りに暑い。セミの抜け殻もいくつも見つかった。長野行き新幹線が軽井沢まで激混んでいて自由席になり俺が座れなかったのを除けば、最後までごく快調な旅であった。

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 到着したおばあちゃんのところで待っていたAIちゃんは、萌との再会に気持ちが盛り上がりすぎてシャイになりあまり話してくれなかった。TPは去年よりずっと話せるようになっており、その口ぶりがお母さんそっくりなのがかわいいのである。これから一月、ゆっくりと遊ぼう。

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■08/08/08(金) □ MK家訪問
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 MK家訪問。生まれて半年のNHちゃんは、驚くベきパワーのスーパーベイビーであった。半歳児にしてすでに、一緒に遊んで楽しい心身の反応なのである。



 萌はAIちゃんTPと庭のプールで遊ぶ。しかし学校プールで鍛えられ真っ黒に日焼けした2人に比べると萌の肌はあまりにも白く紫外線に敏感で、いきなりこの暑さの中屋外プールに連れて行くのは無理があるなと思う。Mも日向にいれば肌が真っ赤になってしまうし、イトコボーイズを引き連れていくのは屋内プールのほうへしようとMと話す。

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■08/08/10(日) □ 黒姫鱒釣り場
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 おととい蚊とブヨ? に刺され萌の足が水ぶくれで悲惨になってしまった。やっぱ肌が敏感なんだよなあ。これが治るまではプールなど行けない感じ。今日は皆で山の鱒釣り場へ。

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 黒姫に向かい快適に曲がりくねった真夏のR18をOKOの車のテールを追いかけていると、15年前のバイクツーリングのようだった。OKOもそれを感じているのか、ミニバンのくせにハイペースで飛ばしていく。奴の取るラインとコーナースピードが手に取るように分かり、俺は車間を詰め同じリズムとラインで曲がっていく。遅い車は登坂車線まで待って、2台で一気に抜いていく。ほんとにバイク時代のような阿吽の呼吸が心地よい。

 去年も思ったが母さんの古VW(93 年?式 ゴルフのセダン)はハンドリングが絶妙で、公平に見て俺がカーマニアとなって以降乗った車でベストである。15年ほども乗られエンジンはヨボヨボだしサスもギシギシと音をたて動きが悪そうなのだが、ステアを切ると常時100%イメージ通りの姿勢で車体が旋回に入っていく。軽快さではうちのエリオに負け、限界性能ではレガシィに劣ると思うが、家庭平和ペースでのハンドリングの正確さと旋回ラインの落ち着きでは2車に完勝している。元のディメンジョンがよいのだろう。

 やっぱドイツ車はこうなのね、やっぱうちもフォーカス(ドイツ・フォード)にしとけばよかったかなと思う。欧州車はこのVWにもゴマンとある独断不便さに満ちているゆえにフォーカスは避けたのだが、試乗していればこういうコーナー失敗率ゼロの生活を楽しんでいけただろうな。

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 黒姫山麓の鱒釣り場は想像したよりもずっといいところで、小川を区分けし日本庭園のように釣り池が配され、どのサイトも充分に木陰になり快適。ゆっくりのんびりと北信の夏を楽しんだ。




 萌は最初魚を釣ること自体が残酷と感じ顔をしかめていたが、これは釣って食べるのだから、かわいそうだが仕方ないんだよというと納得したようで、自分では結局釣らなかったがしばらくすると慣れてバケツに入れられた魚をいじって遊んでいた。

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 夜オリンピックのナイジェリア戦:香川が下手。あのポジションの選手が勝負どころでボールをコントロールできないのでは勝てない。2試合で一度だけPKボックス内での突破に成功したが、長く速いボールをトップスピードで受けFWに渡すという仕事はついにできなかった。それができるインターナショナルレべルの技術があるのはA代表の安田と内田だけだったわけで、結局このチームはうまい選手が足りなかったのである。足りない分をオーバーエイジで補えばよかろうにそうせず、将来もA代表に入るレべルにはなさそうな選手たちだけで戦ったのだから、このチームのオリンピック参戦にはあまり意味がないというのが2試合の感想である。

 この男子サッカーが負けたことより、柔道の谷さんが負けたことの方がショックだし口惜しい。彼女が負けを避ける消極的柔道をしたのは事実だが、あのほとんど差がない攻防の中、勝つチャンスを一方から事実上奪う裁定はないだろう。柔道での「指導」はサッカーで言えばイエローではなくPKなのである。無念。

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■08/08/12(火) □ 商店街のお祭り
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 昨日は遊べるイトコがおらず終日家で過ごし、萌が退屈に疲れダメダメな日だった。グダグダの夜五輪バドミントンを見ていたら、日本のペアが中国のランキング1位に勝ってしまった。ラケットを落としううとコートにうずくまり感動を噛み締める姿が、日本の運動選手らしくつつましい(笑)。メダルにはまだこの先長いらしいが、見事でした。



 昨日の埋め合わせという感じでAI姉弟が朝から来てくれ、夕方からボーイズも加わり、しかも夜は屋台博物館に商店街のお祭りと、充実した一日となってくれた。




 最近はお宮でお祭りがあってもちっとも屋台が出なくてつまらないと思っていたのだが、この商店街の小さなお祭りにはカキ氷、イカ焼き、金魚すくい、そうめん流しといったお店がちゃんと出ていてくれたおかげで、萌が一通り日本のお祭りを楽しむことができてありがたかった。店はみな町の人がやってるわけだが、つまり屋台のテキ屋なんてものはもう商売にはならないので、プロは田舎の神社のお祭りになんて来ないんだろうな。

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 夜女子サッカーノルウェー・日本。日本のサッカーがあまりに素晴らしく、2点目が入った以降は完全に一皮向けた世界一流のチームになっていた。欧州のトップをチームワークで圧倒するだけでなく、個人勝負でも打ち勝ちゴールしてくれるのだから彼女らは素晴らしい。中田でも個人でクラブレベルでしか為しえなかったような素晴らしい得点の数々だった。

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■08/08/13(水) □ 萌念願のDSをゲット
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 ボーイズを連れて長野の中古ゲーム屋へ。ゲームとオモチャのブックオフというか混沌とした店で、信じがたいほどの品ぞろえ。そのくせ値段はちっとも安くないのだが、去年見つからなかった PS ゲームが簡単に見つかりゲット。Mと萌が退屈してたのでじっくり品探しできなかったが、1人で2時間くらい掘り出しものを探したいところである。

 そして夕方、ついに萌念願のDSをゲット。しかしソフトが高い。萌が欲しかった Nintendogs は中古で \3500 もした。PSなら人気RPG4枚組という値段でありショック。今どきの子供向き機器ゆえ値段は控え目かと期待したが甘かった。

 萌とAIちゃんが一緒にゲームをするのを見ていて、1歳下のAIちゃんが萌よりはるかに早くゲームメッセージを読めることに気がついた。やっぱ萌は喋りは完璧だが、日本語の読み書きは毎日鍛錬を積んでいるネイティブ日本キッズにかなわないのである。そのあたりを支援するためにもDSの日本語プログラムには期待している。漢字練習ソフトウェアは絶対に買って帰ろう。タッチスクリーンで文字認識ができるDSは、最良の国語学習マテリアルなはずである。

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■08/08/14(木) □ 中古雑貨屋&盆踊り
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 早くイベントを入れないとM萌が退屈していかんなと気はあせるが、日々は飛んで過ぎて行く。今日は中古雑貨「サンタの倉庫」へ行く。とても誰かが買うとは思えないガラクタだらけの雑貨屋で、買い取りはさかんにやってるようだしどうしてこれが商売になるのかと不思議だ。おそらく売れないものは海外に流れていくのだろうな。

 ぶらぶら歩いていると、アイヌの木彫り熊だのこけしだの昔うちのおじいちゃんの部屋にあったようなものが、おばあちゃんの部屋にあったような飾り棚に収まり置かれている。懐かしさにしびれる(笑)。海外という末端消費先がもしあるのだとしても、こんなものはどんな国に行っても無価値なのことに変わりはなく、やっぱりこんなものが置かれた店というのは不思議である。なんというか昭和30年代博物館的匂いもするお店なのであった。まったく一切買うものはなかったが、面白かった。

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 夜盆踊り。萌とAIちゃんがいい感じで踊るのを眺め楽しんでいると、焼きもろこしの屋台を出していた八百屋のHDさんが俺たちを見つけ、おおいサカタさんほれほれ持って行けと焼きとうもろこしを俺の手のひらにジカに置いていく。あつ、あつ、熱い、かんべんしてくださいよ。HDさんのおばさんは、うちに来たときに玄関に出た萌の挨拶が姫様のようだったという。そうでしたか。皆が知り合いの小さな町の楽しさかな。