2008/09/21

2008 日本旅行記(終)「百々川ジャムセッション」

「キッズ写真スタジオ」「寒い米子瀑布 」「シャイン・ア・ライト」ほか。

=======================
■08/08/31(日) □ キッズ写真スタジオ
=======================

 8月最後の快晴の日曜日。もう涼しくて PoCo の夏みたいな気候だ。来日前から決まっていたキモノ・フォトセッションへ行く。昔からあの店の前を通るたびにくだらん親馬鹿ビジネスなりとケーベツしていたのだが、自分がそこに行くとはなあ。トホホ。

まあおばあちゃんと子供らのためだと覚悟して行ったのだが、予想以上に大変だった。着物の着付けと髪結いに2時間、撮影に半時間、ドレスもう2着の着替えと撮影に1時間半で、計4時間飲まず食わず状態。萌とAIちゃんはおばあちゃんが作った素晴らしい着物とかわいい服を着てハッピーだったし、俺たち親はそのラブリイさを楽しむ親バカなので空腹も疲労も耐えられたのだが、着るものなんぞに興味があるはずもないTP3歳はかわいそうだった。彼はハカマ姿撮影1枚だけだったが、知らない女ども(カメラマンと助手)に寄ってたかって顔や姿勢を直され笑え笑えとはやし立てられて、よく泣かなかったものである。えらい。成長している。

スタジオではその会社の annoying なCMソング「スタジオ○○っス!」というのが延々とリピートされていて、途中で萌が耐えられなくなり「止めてくれますか?」とお店の人に頼んでいた。お店の人は決まりで止められないのよーと苦笑していたが、萌はえらい。年がら年中あれを聞かされているお店の人だって本当は止めたいに決まってるのである。声を上げ続けなければ世界は変わらない。

 とにかく、萌とAIちゃんの写真は愛らしいものが撮れたに違いないが、撮影が終わると疲労と空腹でもう写真の選択どころではなく、写真は後日もらいに来ますということで出来上がりは1枚も見ずに飯屋へと駆け込んだのであった。お疲れ様でした。

=======================
■08/09/01(月) □ 湯田中
=======================

 暑さがバキっと戻った9月の初日、湯田中へ。年下のイトコたちの子供を見せてもらう。もうこれでほとんど出揃ったよなあ。あと結婚するとすればMおじさんところの一番下の子だけだろう。いつもなんだかんだと不在のお祭り野郎KZが今日はいたのがうれしかった。あいつが家にいるのを見たのは、奴の高校時代以来のような気がする。

 あそこの家は行くといつもあんなに喜んでくれるのだから、今度はもっとゆっくりお邪魔しないと悪いよなあと話しながらおいとまし買い物へ。中野アンティークショップのプレハブ屋内36度にヘロヘロになって帰る。結局アンティークはすごいんだけど、カナダへのお土産に買うものは何も見つけられなかった。これで買い物は終わり、荷造りを開始する。

=======================
■08/09/02(火) □ 百々川ソング
=======================

 あと2日で帰国となると、ああやり残した買い残した食べ残したと、後悔の念がわらわら湧いてくる。とりあえず今回帰国中初めての単独買い物に出て、中古ゲーム屋、100円ショップ、古本屋と定番の店をはしごした。収穫はあまりなかったが、まあ仕方がない。

 しかしこの定番ショッピングは1年前とまったく同じ行動なので、強烈なデジャビューに襲われる。あれから1年経ったとは信じられない。この1年俺はなにをしていたっけと考えてしまう。

----------------------
 夜うちの店に高校時代のバンド仲間が集まり焼き肉を食べ(塩ロース最高)、そのまま川に行って夜空を眺めながら今年もジャムセッションをした。去年はTNがリズムの向こうの没我世界に行ってしまい一緒に合わせて弾くことができなかったのだが、今年はリズムがきちんと合い気持ちよかった。彼は先週脚を大怪我してしまい、その他にもいろいろとありとんでもない夏になってしまったわけだが、スピリチャルな方向に突き抜けることができたそうでスコーンとハッピーになっていた。そのスピリチャルな部分には俺はまったくついていけないが、しかしよかったと思う。

 親の介護と桃作りに身を捧げるという、へらへらした高校時代からは想像できないえらい人になっているIKはあの頃やった久保田麻琴がなつかしいようで、「陽のあたるところへ」「オースザンナ」を熱唱していた。実際夕焼け楽団のあのアルバムは傑作で、テープが見つからないかなあと思う。俺のカセットテープは段ボールの山の底で、今年もまた手が届かなかったあと夜中の川原で俺は考えていた。

=======================
■08/09/03(水) □ 寒い米子瀑布
=======================

 昨夜2時まで川原にいたので今日は疲れていたのだが、Mの希望で米子の滝へ。滝まで登る体力があるかどうか分からんが、まあともかく米子村自体が気持ちいい山村だしなとコンビニで昼めしを買い込み登っていく。

高校時代のマラソン大会で毎年へえへえと歩き抜けたトンネルを抜け、バンドのスタジオに借りていた廃屋のあたりをずんずん上り、米子乗馬クラブだった橋を渡り....と、米子はいろいろ懐かしい。しかしそこから先は未体験で、知らなかったが米子瀑布は村から細い山道を 15km も登ったところにあるのであった。須坂からの海抜差 1000m のほぼ1車線山道を、対向車が来たらどうしよう、車にトラブルが出たらどうしようと心細い思いで延々と登っていく。

村から 30 分以上もかけてようやく駐車場着。そこから滝までは 0.8km とある。なんだ戸隠奥社よりも全然近いぞと張り切って登り始める。ところがそこから先はもうまるきり険しい登山道であった。戸隠よりも倍きつい。ときおり見える渓谷を眺めながら、皆ものも言わずにふうふうと登る。あと何百mという標識が心の支えで、それがないと途中でやめてしまいそうなくらいのしんどさであった。

ようやく見えた滝はさすがに見事なもの。Mは水着を持ってきて滝に打たれればよかったという。山頂は非常に寒くそれはちょっと無理だろうと俺は思うが、しかし水に打たれている人は実際そこにいた。うーむ、すごい。

 しかしこんな山の上に、戸隠に続きこれまたコンクリ物件がある。沢がコンクリで固められているのだ。どうも土建王国長野の山の上には土建物件がありすぎる。米子不動の寺と滝は十分登るに値するものだったが、はあはあ登った果てにコンクリ沢を見るのはげんなりするとしか言いようがない。いっぺんああなってしまったらもう手付かずの神聖感みたいなものは失われ、永久に戻らないのである。

----------------------
夕方店の皆にお別れを言い、最後の晩飯を一緒に食べるため来てくれていたAIちゃんを家に送る。車の後席で萌はAIちゃんに、「私たちは日本に住めないの。お金がないし。お母さんはここじゃ仕事が見つからないし」と小さな声で話し続けていた。AIちゃん家に着くと、2人とも黙ったまま喋らない。これは喋ったら感極まってしまうんだろうなと早々においとますると、玄関を出たところで萌は大泣きになってしまった。まあまあ、仕方ないよ。泣きなさい泣きなさい。

 しかし、今回はすごく長い間日本にいた気がする。丸一月だからこれまでと変わりないのだが、いろいろイベントを盛り込んだからだろうな。須坂に着いた翌朝小学校の野球を見に行ったのが、2月くらい前のことに感じる。

 もう存分に日本にいたという気はするが、暑かったからラーメンを一度も食べに行かなかったし、オロカな妻が肉よりも野菜を食いたいなどとたわけたことを言ってたせいでうちの店の肉もわずかしか食べられなかった。あれもすればよかったこれもやっとくべきだった。後悔後悔。

=======================
■08/09/04(木) □ ストーンズ「シャイン・ア・ライト」
=======================

KNちゃんが朝やってきて俺たちを長野駅まで送ってくれた。昨日AIちゃんと別れたあと1時間以上も泣いたせいか、長野駅でおばあちゃんに手を振りながらも萌は泣くことはなかった。おばあちゃんが改札にいつまでもいつまでも立っているのが見えつらかった。何度も手を振ってからホームに降りる。萌は新幹線が発車したときにこみ上げてきて、少しだけ泣いた。

 そしてスムーズに電車を乗り継ぎ(京成上野にエレベータができていたので助かった)無事チェックイン。今回は往復ともまったくノートラブルの楽勝であった。萌が2歳のときに飛行機内で高熱を出したトラウマがあるので、俺もMも日本往復にはすごく神経質になっているのであるが、やっぱ普通はこうして問題なく往復できるんだよな。17:50、30 分遅れてテイクオフ。

----------------------
 飛行機の中でストーンズの2年前のライブ「シャイン・ア・ライト」を見る。20年前の日本初公演の頃―――というか血液全交換とかで死の淵から舞い戻って以降はずっとそうなのだが、キースってもはやギタリストというより、キース風味をバンドにつけるための薬味としてステージに存在してるのだと思う。イントロをギョギョギョとつっかえながら弾いたらお役御免で、あとは手くせでオカズを入れているだけであり、曲のコードをちゃんと覚えてるようにも見えない。「ブラウンシュガー」みたいな奇跡のコーラスはとうにできなくなっているし(※)、キースの音にはもう興味を感じないのが正直なところである。海賊映画に出ていたが、もうそういう役柄で愛されてるだけなんだよな。
(※)ミックの趣味なのかコーラス隊はいつもソウルフルな黒人男女で、ストーンズ本来の白さとは合わないといつも思う。

 そういうキースの音はなくても、ストーンズはよい。なにしろミックとチャーリーがすごい。ロンウッドも20年前に比べたら指が動かなくなっているのだが、ミックの声量は落ちてないし、1曲ごとにああしんどとため息をついているがチャーリーのリズムは死んでいないのである。すごいことだ。

----------------------
 10:45 ラゲッジを受け取り、20 度で湿気ゼロの爽快なバンクーバーを飛ばし 12 時に帰宅。日本じゃ暑くてラーメンを食えなかったのだが、帰ったらあまりに涼しいのでたちまち食いたくなる。温泉にも俺は行かなかった。悲しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿