2010/09/15

日記「都会の学校へ」

「楽器を探せ」「スティーブストンの紅鮭」「PNEの夫婦漫才」「フレンドシップフォーエバー」ほか。

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■10/08/30(月) □ 転校が決まる
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 夏前から問い合わせていた隣町の小学校の校長から連絡が入り、萌の転校が決まった。萌のフレンチクラスは若く意欲的な教師だそうである。決まってしまったかー。先生はそちらのほうが絶対いいだろうが、キンダーから5年間付き合った今の学校の友達とは会えなくなるわけで、よく萌が承知したものだと思う。新しい学校での体験と出会いの方に彼女の胸は今ときめいているとはいえ、気の毒で仕方がない。

 6月の終業時、問題ありまくりだった今年の担任が来年も残るのであれば、もうこのI小学校にはいられないとMが校長と話したのだが、結局何も変わらなかった。あの校長は生徒のために学校を運営してるわけじゃないのは、この2年明白だったしな。本当に最低限の義務しか果たさない校長と教師たちだけになってしまった。

 BCの短い夏の終わりを告げるかのごとき長雨。今年は30度を超える日が、全部合わせてもたぶん7日くらいだったよなあ。あとはどんどん冷え、長い長い雨季に向かっていく。寂しいものであります。

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■10/08/31(火) □ 楽器を探せ
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 長年世話になっているLDに最近いろいろと不運が続き、落ち込んでるからもてなしたいとMが企画し、超サプライズプレゼントとして彼女がほしがってるエレピを買って来いと言われ久々に楽器屋に行く。

 予算2百ドルならロクなエレピは買えんだろう、どうせ買っても忙しいLDがレッスンを取るとも思えず、だったらアコースティックギターのほうが置くだけになっても場所も取らずインテリアとして見た目麗しいのでいいのではないかと俺は思い、エレピはさておきその価格帯のギターを片っ端から弾いてみる。

 するとこれがまあ俺が子供の頃の2万円ギターとまるっきり同じ音がする。つまり全然よくないのである。電子楽器の値段は近年信じられないくらい下がっているが、ギターとかアンプとかのフィジカルな木製ブツの値段はまるで下がってないというか、安ものは音も安いままで水平推移しているようだ。俺が中学の時に最初に買ったヤマハ FG-200 もあったのだが、これが 30 年後もまったく同じ音とネックの握り具合で笑った。まあ安いのをいい音にしちゃったらいいギターを誰も買わないか。

 で結局 YAMAHA エレピの下位機種が予算内であり、これが十分にいい音で決定。ちなみに連れていった萌は、自分が弾ける数少ない曲を店のいろんなキーボードで弾いて悦に入っておりました。楽器屋で自分の腕前を披露したい気持ちは誰もが同じだ :-)。

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■10/09/01(水) □ スティーブストンの紅鮭
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 Mが港町スティーブストンへ1時間強かけてサーモンを買いに行く。今年は百年に一度のとんでもない大豊漁だそうだが、それが市場には出てこず、こうして個々人が車にクーラーを積んで買いに行かねばならないというところがカナダのよくわからんところである。

 野菜もそうで、スーパーマーケットの野菜はカリフォルニア産ばかりで、旬の地域産のものなど年間を通じ一度も出てこない。そういうものが食べたければファーマーズマーケットを探して消費者が車で買いに行くしかない。サステイナブルフードだの100マイルダイエットだのと理念はかまびすしいが、それを手に入れるには客が長駆車で買いに行かねばならない(使われる総体エナジーは増す)のは矛盾してるだろうといつも思う。カナダの流通は消費者の望むように働いてないのではないか。町内のスーパーでリーズナブルな価格と新鮮さで手に入るなら、誰だって地元のものを食べたいに決まっているのに。

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魚の捌きは全員ど素人
 午後到着したスティーブストンのサーモンを一家総出で捌き食す。うまい。当然うまいけれど、やっぱり素人捌きでやや身を崩し味を落としたかもしれない。3枚おろしはMがやり相当に頑張っていたけれど、身の半分以上は骨に残りスープ行きだし。実に難しい。釣り師の兄貴か弟に俺が習っておくべきであった。ぶつ切りで落とした頭の部分の身が一番うまかった。

 サーモンを捌く前に久々に砥石で包丁をきっちり研いでおいたのだが、これが全然切れず、義母BRが出してきた油紙に包まれた「特別にシャープなナイフ」に完敗してしまったのがショックであった。俺のもたいした包丁ではないとはいえ直前に砥石で研いだものが、まな板すら持っていない(木のカウンター上でなんでも切っている)英国老婆のナイフごときに負けるとは。ショック。

 何が違うのか比較してみると、俺の包丁は薄身で生肉や野菜をシャープにスライスするにはきれいに切れるのだが、BRのは厚みがあり、それがサーモンの骨や硬い皮をギコギコと断つような切り方に向いているようである。それに材質が昔俺が持っていたオピネルのキャンプナイフのような炭素鋼で(だから普通に扱うと簡単に錆びるので油紙に包んであるのだ)、それが吸いつくように切れるもうひとつの理由である。俺もああいう骨を断つようなナイフが1つほしい。オピネルのでかいのを買えばいいのかな。

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■10/09/02(木) □ PNEの夫婦漫才
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暗くなるまで遊びつくすPNE
 この夏最後のイベント、PNE(遊園地&農業祭的な夏の大イベント)。パーキングは去年からさらに5ドル上がり$25! 食べ物も去年から$1ずつ上がるというすさまじいインフレだが、Mに言われそれはもう考えないことにして気を取り直し、暗くなるまで存分にPNEを楽しんだ。

 しかし今年で百年だそうだが、こんなインフレ商売でこの後百年続くのかなと思う。数年前まで数百人数百メートルの大規模なものだったパレードは、今年はついに1団体による音楽ショーに変わってしまった。ドラムをフィーチャーしたこのショーは非常によかったが、「こ、これだけ?」という声があちこちから挙がってしまうのは否めない。

 演し物で一番印象に残ったのは Equilibrium Circus という男女2人組の大道芸人だった。芸は旦那?の肩の上で奥さんが倒立するといったごくシンプルなものだったが、トークと表情になんとも楽しい味があり素晴らしい。

 こういう人たちを見ると、英語人は喋るのが本当にうまいなと快感を禁じ得ず唸ってしまう。TVで見る米国カナダのコメディアンはラチもないピン芸人ばかりで実につまらないのだが―――親切な米加人はそれを実によく笑うのだが―――、英語スピーカーは掛け合いの会話が面白いんだから漫才をやればいいのにと思う。なんで「俺のマザーがそのときなんて言ったと思う!? ○○って言ったんだよ!!」みたいな超絶ぬるジョークで喜んでいるのか理解しがたい。

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■10/09/07(火) □ 新学期
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 新しいG小学校に行ったM萌が、第一印象は最高だと帰ってきた。前のI小学校の前校長だったP校長はもちろん、I小学校にいた司書もいて萌の名前を覚えており、複数の日本人お母さんも「あら萌ちゃん!」と駆け寄ってくるという大歓迎ムードだったそうだ。考えてみればコキットラムだから日本語学校で顔見知りの人々がたくさんいるのである。そうかそうか。これは楽しくなりそうである。うちのお母さんはいつも正しい。不発アイデアばかりでブラッターみたいだなんて言ってすいませんでした。

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■10/09/08(水) □ 都会の学校へ
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やや殺風景な校舎と背景
 萌の新しい学校に初めて行ってみた。コキットラムの背の高いアパート群に囲まれた、外見は味気のない兵舎風カマボコビルディングだが、中は明るく機能性にあふれた近代的な図書館といった趣き。P校長が今日もチアフルに萌の世話をしてくれる。

 彼は自ら萌をクラスまで連れて行き、「萌は自分が2年前までいた前任校の生徒だったんだ、彼女は最高だよ」と紹介してくれたのだそうだ。昔は誰にでもウルトラ愛想がいいところが政治家っぽくてちょっとと感じていたのだが、親がいないところでこういうことがすっとできるところがたいしたものである。Mも言うとおり彼は「生まれながらの政治家だが、いい政治家」なんだな。彼がいなくなったI小学校がすべてにわたり味気なくなった分、こっちの学校が快活になっているのだろう。

 入り口が吹き抜けを抜ける空中渡り廊下になっている。おおかっこいいと俺と萌は興奮。今までは田舎の丘の中腹にある自然豊かな学校だったので、たかだか隣町なのだがえらい都会の学校に来たなと気圧される。こういう必要性を超えたかっこいい作りが象徴するように、必要最低限だった前の学校よりやる気のある教育が受けられるはずというのが転校の理由なのである。

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■10/09/09(木) □ フレンドシップフォーエバー
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 【萌新学校3日目】やはり明るく楽しい先生がいいようで、クラスは楽しいの一語らしい。すでにクラスで友達もできたという。しかし放課後校庭で遊ばせていると、遊具がごく小さい子向けに揃えられており、5年生の萌ほど大きな子供はまったく遊んでいないとわかる。この辺は木々と芝生とスペースだらけの前の田舎の学校のほうがよかった。

 萌も遊んでいてあまり盛り上がらず、「そうだ、この後前の学校の友達と遊んでいい?」と聞く。そうだな、どうせ帰り道だからALんとこに寄ってみようかと寄り道すると、ちょうど彼女も帰ったところで、路上で俺たちを発見し、「萌! 萌よ!」と姉弟がきゃーっと奇声を挙げ萌に駆け寄ってきた。失われたと思ったフレンドシップがなくなってなんかいなくてALはうれしかったのだとお母さんがいう。そうだよねえ。前の学校の子たちとはこうして放課後できるだけ遊ばせてやろう。

2010/09/01

日記「島縦貫ワインディングロード」

「Twitter への無理解」「ブレインキャンディ」「アニメ監督のご苦労」ほか。

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■10/08/20(金) □ Twitter への無理解
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 午後から晴れたが気温は20度ちょうどくらいで、秋の気配。昨日に続き庭の枝落としとフェンスの修繕をする。昨日買ってきた釘でフェンスを直していると、前居候MKの手を借りぬ完全自前修理なのでうれしくなる。今まではハンマーも釘も全部奴のツールボックスから借りてやってたからな。彼も俺も同時に自立したみたいで悪くない。この釘から始めて、自前ツールを揃えていくべし。

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 俺が Twitter を使ってると今日知ったMに、「えーっ!『スターバックスなう』とか書いてるわけ!?」と猛烈な拒否反応を示された。いや俺はそんなことはさすがに書いてないんだが、でもたいしたことは書いてないので、「リアルタイムでつぶやくことになんの価値があるの」と詰問されるとうーむと詰まってしまう。でも今感じていることをつぶやきたくなっちゃうんだよ、こんな風に。

 Mのブログや Twitter へのこの無理解無関心は、彼女が私小説、純文学、小津的な日本映画などを苦手とするところにも通じているんだろうな。彼女は実生活でもつぶやきという行為自体が苦手で、対話を最も愛しているわけだし。

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■10/08/21(土) □ ブレインキャンディ
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まあこういう感じです
 泊まりに行ったJD家から疲れて帰った萌が、すぐさまディズニー子供チャンネルをつけぼーっと延々見ている。ディズニーといってもアニメはなく、ティーン役者のコメディ芝居が終日延々やっているというもの。俺はこの夏休みこんなものばかり見るなと毎日ガミガミ言っていて我ながら嫌になっているのだが、Mも言う通りこういうのは「ブレインキャンディ」であり、栄養は何もないのだ。そして虫歯になるのだ。

 俺も子供の頃は夏休みに「サンダーバード」「フリッパーズ」といった英米製子供番組を見ていたけれど、カナダで人気のこれら米製子供番組はどれもストーリーがない、つまり30分ゲラゲラと笑って終わる「シットコム」だ。まったくもって学芸会である。

 ああいう「誰がスクールクイーンなのかの争い」みたいな幼稚な定形スクリプトを売文家が職業的技術で莫大な量生産し、ペアレンツのイライラと子供の豊かな情操を犠牲にハリウッド大金持ちが太っていくシステムから、なんとか抜け出したいものである。

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■10/08/24(火) □ アニメ監督のご苦労
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 俺が唯一新品DVDを買ったアニメ「千年女優」の監督、今敏が亡くなった。こないだジブリの若手監督のドキュメンタリーをやっていたが、あんなストレスと仕事量を与えられたら、アニメ監督はみな早死して当然かもしれぬ。宮崎駿はその点でも鉄人だ。タバコ吸ってるのに元気そうだしなー。俺も宮崎監督みたいにあの歳になってもあんなに元気だったら、またタバコを吸いたい。

 その「ジブリ 創作のヒミツ 宮崎駿と新人監督」という番組を見て思ったのだが、ジブリという会社にはこの新人監督を支援する体制は本当にあるのかねと疑わしい。宮崎監督が年でもう大量に描けないから、その仕事を若い才能に丸投げしたというふうにしか見えない。唯一無二の才能である宮崎駿と同じ仕事を普通の才人ができるわけないではないか。「それが宮崎とジブリの《流儀》なのだ」みたいなトーンなわけだが、非効率的すぎて、近年の宮崎アニメの後半同様破綻しているなと思う。宮崎アニメは破綻していても見たいけど、宮崎亡き後のジブリアニメはどうなのだろうか。

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■10/08/26(木) □ ソルトスプリングアイランド
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 今日からこの夏最後にして唯一の旅行だが、そぼそぼ雨です。予報を見て覚悟はしていたのだが、雲ひとつない昨日の夕焼け空が一夜でこうなるんだから、BCの天気は激変しすぎて、夕焼け小焼けの天候観測的な情緒が欠落している。気温があまり下がりませんように。目指すソルトスプリングアイランドの予報は20度ときどき雨といったところ。

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 道がどこもかしこも工事で遅れ、できるだけ飛ばして10分遅れでフェリーターミナルに着。乗ったのは思いもよらず小さなボートで(だから途中停泊なしで済むのだろう、去年のでかいボートは途中2港に止まった)、定時よりもやや早く 14:25 出発。順調である。

 そしてわずか1時間半で島に着き、ゆるやかな気持ちいい峠を越えコテージ着。島の天気はメインランドよりもはるかにいい。道の曲がりくねりとアップダウンがいかにも島にいるという風情を感じさせてくれ、そこがとてもナイスです。

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 そのままレストランで夕食。これに2時間近くかかった。うち1時間強は料理とデザートの出待ちである。座って10分以内に出てきて文句なくうまいものが食える日本のラーメン屋、どんぶり飯屋、定食屋が恋しい。

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■10/08/27(金) □ レイクスイム
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 Mが朝からバリバリ活動したがり、他に誰も行きたがらないので、俺とMだけで登山ドライブに出かける。しかしこれがえらい急坂砂利道で、途中まで頑張ったが、一度止まったらホイールが空転して発進できなくなりそうなほどの急坂が目の前に立ちはだかり、これは無理なりと車を止めて、あたりを散歩するにとどめておいた。鹿がたくさんいる。

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 昼寝をし気がつけば気温もそこそこ上がっているので、ラップトップとお茶を持って湖畔に出る。あー快適。

 レイクスイムにも少しだけトライした。こないだの海水浴よりこのレイクの水の方が少しだけ温かいのは事実だが、やっぱ気温が20度そこそこでは水になど入っていられない。10分ほどで退散する。やはり夏の海の方がいいよ。この気温水温でヘーキなみなさんは、やっぱさすがはカナダ人である。

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■10/08/28(土) □ 土曜のマーケット
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 土曜のマーケットへ。車を停めて歩くと後ろから懐かしい音がする。YAMAHA RZ250 だ。生産が終わってもう 30 年も経っているだろうに、こんなはるかな島に生き残っているとは。本当に軽く澄んだいい音だ。


 萌はイトコSFと一緒にマーケットを巡る。親から離れ自分の財布を持ちうれしそうである。萌が蜂に刺されるというアクシデントはあったがすぐに痛みは消え、皆を待ちながら俺とMは公園の日陰でのんびりと横たわる。最高のバケーション日和。

 不動産屋でMがこの島の家の値段をチェックする。「今の家を売ってローンを組めば買えないことはないわ。地元の学校に仕事があったらここに住みたいわ」。出かける先々でMはこう言うのであまり相手にしないのだが、こののどかな島に住めばそりゃ気持ちいいかもなあと俺も思わないでもない。天気は最高で気温もごく快適な20度のこの島を眺めているとパラダイスである。冬はどうなのかわからないが。

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■10/08/29(日) □ 島縦貫ワインディングロード
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 宿をあとにし、島の突端の Beaver Point Park へ向かう(地図上 G-I-A-B のルート)。この狭いワインディングロードが最高だった。スズキ・エリオは高速だとヨレヨレになるが低速コーナーはくるりと決まる。道幅をきっちり使いアウトぎりぎりからコーナーに進入し、最小限の舵角を与え外輪に荷重を乗せコーナーを切っていく。曲がり終わるとすぐさまS字があったりして、もーサイコー、ウホホと声をあげながらクイクイと曲がっていく。速度は 50km くらいだし無理なロールもさせてないのでパッセンジャーへの横Gやショックはまったくない。この低速でもスポーツ走行が楽しめるのが小さい車の利点である。


Beaver Point
 Beaver Point Park はノバスコシアのペギーズコーブにも似た岩場と眺望が開けた気持ちのいい場所。しかし島の 2/3 を一気に縦貫して 30 分なんだからほんとうに小さい島だ。メルはこの島をもう絶賛しているが、きれいな島ではあるけれどこの狭さでは実際に住んだら退屈するだろうと思う。まあ外出しない俺はこの島で暮らしても生活にたいして変わりはないけれど、買い物その他にはさぞや不自由するだろうし、家族友人に会えなくなるMはもっとつらいんじゃないかな。と思いつつ、俺は帰り道も嬉々としてワインディングを攻め込んでいたのだった。この道だけメインランドに持ち帰りたい。