2012/04/22

日記「ガールズ・ジャスワナ・ハブファン」

「パンデミックな日曜日」「ハンガーゲーム」「【FIFA】フォーメーションの謎が解けた」「春でありがたい」

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■12/04/08(日) □ パンデミックな日曜日
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本日はイースター。恒例のエッグハント後、甥MKが持ってきた人気ボードゲーム「パンデミック」となる。プレイする全員で手分けをし、病原菌の増殖を抑え世界を救うというゲーム。

前やったときも思ったが、システムのデキの良さとその面白さはよくわかるんだけど、これってそのときどきの最善手を選んでいくだけの作業じゃないのかな。自分の番になったらあの都市を処理しようと淡々と考えるだけで、手番が待ち遠しく感じない。実際Wがベイビーの世話で抜けたらその手番をMKがやってたし、それを眺めていたMがさらに引き継いでも問題なかったわけで、特定の個人が「ゲーム」をやっているという感覚は薄い。それぞれがなすべき仕事を粛々と遂行し、その仕事を誰がやっても支障はないという感じなのである。

ボードゲームをやるときって、『俺のこの作戦はなんてクレバーなんだ』みたいな自己満足的なことをしたくなり、そういう独自のことをやれる部分が多いほど俺は楽しいのだが、パンデミックは特殊カードや能力を使うタイミングと場所と組み合わせくらいしか自己主張できない。やり込んでいくと何か発見があったりするのかもしれないが、MKのやることを見ていても、なるほどそうすれば効率よく細菌を潰せるなくらいしか感じない。

経験者1人に初心者3人だからすぐに病原菌が勝ちゲームオーバーになるだろうと思ったが、MKのアドバイスが効くのでけっこう持ちこたえ、40分ほどかかりゲームオーバーとなった。俺はその1ゲームで抜けたが、意外や「グレンモア」は複雑だと完全に拒絶したMがその後なんと夕方までMKと2人で3ゲームもやっていた。グレンモアよりパンデミックのほうが簡単だということもないように思うのだが、具体的な最善手を導きだし無駄なく手配していくというパンデミックのゲーム内容が、ロジックを愛するパズル好きなMのゲームマインドにはしっくりくるのだろうか。

というわけで名作「パンデミック」の感想は前回と同じ。MKには悪いが、俺はどうにも遊びとして盛り上がれない。やっぱり工夫をしてなにかを自分の思うように持っていく、デザインしていくゲームをやりたい。MKとMがパンデミックに盛り上がってるのでグレンモアは出さなかったのだが、できればもっと一目瞭然で簡単な生産ゲームを手に入れて皆でやりたいなあと思う。

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■12/04/10(火) □ ガールズ・ジャスワナ・ハブファン
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お金持ちファッションレディであるBV叔母さんのお下がりを大量にもらったおかげで、萌は毎日すごい格好をして学校に行っている。こんな美しい格好をして学校に行く中学生がおってよいのだろうか。

送迎のときに子供らを眺めていると気がつくが、ガールズはブーツを履いた身綺麗な子と運動靴を履いた普通の子に大分される(グループ分けではなく傾向)。萌は前者に属したくて体育のある日も絶対ブーツを履き、運動靴は荷物として持っていく。馬鹿馬鹿しいことだと思うが、これが超重要らしい。

こないだFNのお母さんに聞いて初めて知ったのだが、グレード6、つまり日本の小6であるこの年頃でも、「あんたのそのパンツの色が合わないわよ」みたいなファッションチェックが入ったりするものらしい。萌に聞くとそういうことは特に体験してないそうだが、気にしてるんだろうな。

しかしこんなことにばかり気が行って、健康学習連絡その他の実生活能力はまだまったく小学生レベルなのであるよな。忘れ物ばかりして、ガールズ・ジャスワナ・ハブファン。楽しいことに目が眩み、心はいつもここにない娘たちよ。

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■12/04/12(木) □ ハンガーゲーム
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萌が愛読するベストセラー「ハンガーゲーム」を読んでくれと俺に強力に勧めてき、じゃ君が日本語の本かマンガを読むなら読むよと取引をして読み始めたのだが、「ベッドから抜け出し、足にぴったりと合ったしなやかなブーツに足を入れ、ズボンを履き、シャツを着て、編み上げた黒い髪を………」てな按配の、映画の脚本みたいな説明が延々と続く。実際映画にすることを念頭に作者は書いてるんだろう。

しかし映像で見せられたら一瞬で終わることを、文で読まされるとえらい時間がかかる。そんなことが重要なのかねと出来の悪いドラマの科白を聞かされてるみたいな気分になる。萌が趣味で書く「物語」も、こういう細部の描写が延々と長いんだよなー。「メロスは激怒した。あの王を除かねばならぬと決意した」みたいな単刀直入が俺は好きだし、表現としてカッコイイと思うのだが。

伝え聞くあらすじは明らかに日本の「バトルロワイヤル」という映画(見たことはない)のパクリなのだが、萌ら北米読者はもちろんそれを知らない。俺から見れば「アバター」などもナウシカやもののけ姫のパクリなのだが、北米ビューアは知らない。日本も海外ものをパクるが、日本鑑賞者はネタ元を知っている。北米鑑賞者は知らないし、知らないままクレジット(功労)は北米側制作者にもたらされる。アンフェアなことだと思う。

萌が読むことにしたのは、数年前に日本で買った「千と千尋の神隠し」のマンガ版全5巻。「ダダダダ・わー」とかの擬音が多いのでどんどん読み進められる。これで漢字を覚えたり勉強になったりするわけではないが、とにかく日本語を眺めることに慣れてほしいのである。

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■12/04/13(金) □ 【FIFA】フォーメーションの謎が解けた
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【FIFA 09 Wii】FIFA は本当によくできたサッカーゲームである。CLをセミプロで2連覇したのでマネージャーモードを5年でリセットし、難易度をプロフェッショナルに上げ新生エバートンのチーム編成と戦術を細かく詰めているのだが、どうしても攻撃が停滞する。スランプに陥り、試しに俺の作ったフォーメーションをバルサに与え自分はデフォルトの 4222 にして対戦してみたら、バルサでもめっちゃ弱かった。うちはショートカウンターがガンガン出て攻撃が活性化する。つまり俺が苦労して作ったフォーメーションはめっちゃ弱いのであった (^_^;。


左:俺布陣)MF が DF ライン前で敵 FW からボールを奪うので、敵陣までが遠い。(右:デフォルト4222)MF はセンターライン付近で奪い、シュートレンジにいる FW に即パスできる。

俺がゲーム開始以来ずっと使っていた、バイタルエリアを固める低い MF ライン(左)は、低い位置に二重のブロックを作り敵の攻撃を待つので守備は当然安定するのだが、MF ⑥⑦がボールを奪い味方 FW にパスしても敵の MF と DF の 2 枚のラインを破らないとシュートできない。これではいいシュートに繋がる可能性はほぼゼロなのである。

高い MF ラインを保つデフォルト(右)では、敵 FW にボールが渡った瞬間にセンターサークル近辺の高い位置で MF ⑥⑦がプレスをかけられる。この高い位置で奪えれば、パス1本で FW が敵最終ラインと勝負できるのである。これだ。相手守備陣形が整う前に FW が勝負をかけられる陣形でなければダメなのだ。

もちろん MF を破られたら残る守りは DF ラインだけで失点リスクも高くなるのだが、点を取るためにはリスクも負うのがサッカーだということなのである。こういう本当のサッカーのバランスが、ゲーム内でしっかり再現できているところが素晴らしい。だいたいアクションゲームの FIFA で、こんなに戦術で悩むことになるとは思わなかったぜ。

高い MF ラインはそのままに、裏を取られやすい DF ラインをやや下げてフォーメーションが完成した。テストプレイでも、リバプール相手に攻守とも冴えて勝利。よし。これで行こう。

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■12/04/14(土) □ 春でありがたい
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いい天気。萌とバドミントンとローラーブレードをした。汗をかいた。春でありがたい。

萌は午後SFを招き、プールに行く。帰りはドーナツでも買って歩いて帰っておいでとお小遣いと携帯を渡しておくと、2人でゆっくりと散歩しながら盛り上がって帰ってきた。こうした自由がすこしずつ増えていくことが、子供らには心の底から楽しいようである。ガールズ・ジャスワナ・ハブファン。春でありがたい。

2012/04/12

日記「『梅ちゃん先生』のハズレ感」

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■12/03/31(土) □ お婆ちゃんのスクラブル
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今夜は電気を使ってはいけないアースアワー、ろうそくの光でやろうと始まった、うちのBRばあちゃんのお気に入りゲーム「スクラブル」に初めて参加する。これはつまり文字でやるクロスワード/カルカソンヌで、交錯する部分は縦も横も合わないとタイルが置けなくなるわけ(左の DICE/CHIVE が成功例)。それだけ聞けばなるほどなのだが、下から上、右から左は認められないなどさまざまな縛りが存在し、クロスワードよりもはるかに難しい。

ゲーム性上一番痛いのは、すでにある文字列の一部だけを使うことはできないというルールで、クロスワードやカルカソンヌなら

SEEDICE
CARUN

というように既存単語の頭文字だけ使って上方につないでいけるのだが、これが許されないのである。つまり写真のように盤面に言葉が偏って固まってしまうと上方・右方の広大なスペースを開拓する方法がなく、もはやゲームが続かなくなってしまう。これはダメだろう。

文字列の一部は使えないが、逆に人が作った単語に S や Y を足せば大きな点が入る。ORDER よりも ORDERS、SALT を作った人よりも SALTY にできた人の方により大きな点が入る。S や Y のタイルを引いた人はそれだけで大アドバンテージなのだ。文字x2 のマスにかかれば 3 文字の単語でも 15 点くらい取れたりする。ゲームバランスは悪い。

縛りが多いのでゲーム中盤からはもう全員えらい長考となり、それでもって制約の多さとスペースのなさゆえできる言葉は BEE とか WE とかのしょぼいものばかりとなる。つまり後半になるほど盛り上がらなくなる。面白いんだけどルールが粗いせいで考える割にできることが少ない、まあ昔のゲームという感じだな。こういうゲームなので勝敗などたいして意味はないのだが、スクラブル名人のBRが見事に勝利。

俺はカルカソンヌのほうがやっぱあらゆる面でいいわと思いながらやっていたが、しかしBRばあちゃんのような人は単語のスペルなど1つのことを考え抜くことは好きで得意でも、判断をテキパキとマネージすることはまったくできないので、以前やらせたカルカソンヌはあまり楽しんではくれなかったのである。年齢と嗜好によって、楽しめるゲームというのは全然異なるのであります。

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■12/04/02(月) □ 『梅ちゃん先生』のハズレ感
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「カーネーション」の次の朝ドラ「梅ちゃん先生」は、いつも通りの『うわ、遅刻ちこくー(ゴンと頭をぶつける)』の、ドジでかわいい子の青春記であった。すべてのシーンが「朝ドラ風小芝居」コントに見える。

「カーネーション」の最中に皆が感じていた《優れたドラマ・映像とは》というテーゼの全部逆をいっている。あの「カーネーション」の次にやるというプレッシャーを受け、「あんなのできるわけない、フツーにやろフツーに」と開き直っているとしか思えない。

しかし視聴者側はいいものを見て感慨の中いろいろと学び成長しているんだぜ。「カーネーション」の後なんだから、あれを踏まえたものを見せてくれるだろうとどうしたって期待してしまう。いや期待というよりそれが道理じゃないのか。新たな可能性が開かれた分野では、その可能性の上で創造を行うのがフツーだろう。ビートルズ以降に音楽を志すものは、かっこいいコードとリズムと言葉を探し作曲するのである。「カーネーション」がドラマで可能な表現の数々を、なにが気持ちよいのかの無数のコードを示してくれたのだから、ここから先はそのコードを使っていくのが当たり前だろうと見る側は思うのである。真似をしろといってるのではなく、ビートルズのコードがびしびし入った「シャキーン」音楽が気持ちいいように、カーネーションのコードを使えばいいじゃないか。

なのに「梅ちゃん」は定番ドジ娘へ行くの。ドジ娘のノリが、それほどいいの。この私の愛よりも。

ちなみに前のブログ記事で「アイコールユアネーム」替え歌を書いてて思ったのだが、歌詞だと勝手なことを言える。文豪渡辺あやにすら文句を言える。ロック&パンクは偉大だ(笑)。

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まあ「梅ちゃん先生」が日本のドラマとして他より特に悪いというわけではなく、日本のドラマ制作者とこういうものを見る人たちが長年かけて、こういうコントみたいな定番食品を作ってきたんだよな。

梅ちゃんに限ったことじゃなく、日本ドラマはかわいくて子供みたいな少女を、想像力貧しきヒトが思い描くファンタジーが多い。1回も見なかったが TV Japan でやってた東大出の美少女弁護士(?)ものなんて、その経歴でありながらドジでかわいい女子高生っぽいキャラになっていた。そんなわけないだろう。「こんな賢くてかわいいのに普通の僕を愛してくれるスーパーガール」というつまらんファンタジーを描いているだけなのだ。

それから首をフルフルと振るかわいい梅ちゃんとその幼馴染のチャライ男は、戦中戦後はおろか昭和にすら存在しなかった現代の若者だと思う。デーブスペクターが「日本のカワイイ女の子は首をフルフルと振る」と外国人女子に練習させるコメディがあったが、梅ちゃんを見て本当だと思ったわ(笑)。

2012/04/01

日記「尾野糸子の名を呼ぶ(最終回)」

「名前だけで泣けてしまう恋」「FIFA 09 CL 決勝」

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■12/03/27(火) □ 名前だけで泣けてしまう恋
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【カーネーション】思いもよらぬところから周防さんの名前が発せられ、糸子が涙にかきくれる。『「カーネーション」の時間と夏木糸子の時間をすり合わせるには奈津クラスの背景と配役が必要で、それは1つしか見つからなかったんだろう』と思ったが、もう1つ残っていたのだった。名前だけで泣けてしまう恋の悲しさ。アイコールユアネーム。

奈津、周防さん(名前と記憶だけ)が登場し、糸子の生涯がつながっていく。最後にすべてが「A Day in the Life」のエンディングのように混沌と輝きをたずさえ登りつめ、バーンと鳴り響いて終わる予感がしてきた。尾野糸子編最終回のように。

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■12/03/29(木) □ FIFA 09 CL 決勝
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【Wii FIFA 09】我がエバートンが4年目にしてついに CL 決勝へ進む(レベルはセミプロ、追加投資でサッカー専用 Wii クラシックコントローラも導入 ^_^;)。相手は幸運にもビッグクラブではなくパリ・サンジェルマン。格下だが、しかし CL に来てるチームはなんらかの補正がかかってクラブの格よりもかなり強いし、なにしろ守備でミスをしたらまた来年なので慎重に慎重に戦う。

首尾よく早い時間に先制しながら、2点目が取れないうちにセットプレイのトリックで追いつかれる。FK をキッカーが蹴る振りをして横のプレイヤーがかっさらいドリブル突破し、完全に裏を突かれたうちの DF がまとめて全部ぶち抜かれた。素晴らしい。CPU があんな賢いことをしてくるとは。

ここからは早く突き放さねばえらいことになるという監督兼キャプテンの俺の焦りが選手に伝わってバタバタになり、相手のボール回しを追いすぎて中盤の選手たちの脚が止まり、相手の前進を止められなくなってくる。サッカーは本当にマインドゲームで、FIFA は完全にそれを再現している。えらいことになってきた。交代を送るべきだが、中盤全員は替えられない。延長になるかもしれないからそれも考えねばならない。どうしたらいいんだ。

延長になったときのことを考え交代カードを 1 枚残し、疲労困憊でプレスを掛けられなくなっている MF を 2 枚交代することにする。センターに守備力の高いロドウェル。右ウィングには守備はダメでスタメンのアバテほどのスピードもないが、器用でチャンスメイクに優れたモドリッチを入れる。



これで中盤のボール奪回力が戻り、ペースを握り直す。フレッシュなモドリッチが抜け出しボールをもらい折り返し、そこに今季うちのエースとなった FW カベナギが合わせようやく2点目。よし。もう 1 枚の守備的 MF を投入して守備を固め、残り数分ドキドキしながら後方で丁寧にパスをつなぎ時間を浪費し、試合終了。―――やっ・た\(^-^)/。

セレモニーその他は想像通りしょぼかったが、まあカナダ EA 製だからこんなもんである。カナダ人の気が利かないのはゲームに限ったことではない。むしろ国民性として気が利かずサッカーも弱いカナダが、よくぞここまで素晴らしいサッカーゲームを作ったとその不思議を喜びたいのであります。

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■12/03/30(金) □ 尾野糸子の名を呼ぶ(最終回)
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【カーネーション最終回】昨日あと1回を残し、糸子の最期の日が描かれた。うっすらと幸せな笑顔を浮かべ世界を眺める糸子の顔が美しい。見舞いや葬式に登場する人で泣かされるのだろう(つまり奈津が.....)と予想してたがなし。最後に立ち会った人は孫娘だったのだろうか。

うちの父さんが亡くなったときに、何十年も前に働いていた店の従業員のおばちゃんたちが小さなおばあちゃんとなりたくさん葬式に来てくれジーンとさせられたのだが、葬式に昌ちゃんらが来ることもなかった。昌ちゃんももう亡くなってるということなのかな。あの写真立てを並べたあたりでそのへんに言及してないんだから、生きててしかるべきなんだけど。娘たちの泣き顔を見ながら、糸子の最後の日々がきれいでよかったなとだけ思う。



そして今日が最終回である。いったい何を見せてくれるのだろうと朝からドキドキしていた。しかし「おはようございます。死にました」というナレーションはよかったが、俺が見たいものが出てこない。糸子は千の風になって、娘らの肩越しをはじめ津々浦々にある存在となったらしい。そうか。しかし。尾野糸子の顔は最後に見れないのか。あの声は聞けずに終わるのか。

夏木糸子編でも何度も泣かせてもらったけれど、それは尾野糸子が積み上げた記憶の延長を味わえたからだ。尾野糸子時代のような映像の魔法に磁石のように目が惹きつけられたのは、奈津との再会時と「おたく、どちらさん?」シーン(あれは夏木マリの人生ベストアクトなのでは)だけだったと思う。病室での糸子のまなざしは素敵だったが魔法は起きなかった。お葬式でも起きなかった。だからこの最終回に期待していたのだが。期待というか望みをかけていたと言ってもいい。


「極楽やなあ。うちが朝ドラやで。あんたもおるで」
千の風の糸子は最後に病院に忍び込んでいった。TV の前に陣取り「カーネーション」を見る小さなおばあちゃんがいる。これは奈津だろうと思ったが顔を見せてくれなかった。じゃ違うのかなと思ったらやっぱりそうだったらしい(「奈津」であると副音声に解説が入っていたとのこと)。見たかったな、ふっと鼻で笑う奈津の顔を。それを肩越しに見る尾野糸子の笑顔を、またひとつ魔法の映像の宝記憶として残してほしかった。



最初に見たときにはなんじゃこりゃと感じたミュージカル風のあのオープニング映像に今度はホロリとさせられ(ほんと積み重ねの力だ)、物語は終わった。名シーンのフラッシュバックがタイトルバックに映る。俺は時計をちらちらと見て、あと2分か、じゃこの歌で終わりか、尾野糸子の顔は見れず、あの声は聞けずに終わるのかとそればかり考えていた。アイコールユアネーム、尾野糸子さん。もう一度見たかった。今夜は眠れない。


I Call Your Name (The Beatles)

I call your name but you're not there,
was I to blame for being unfair.
Oh I can't sleep at night, since you've been gone,
I never weep at night, I can't go on.

君の名を呼ぶ だけど尾野糸子はいない
俺が悪かったのかな
夏木糸子をフェアに評価してなかったのか
ああ夜眠れやしないぜ 尾野糸子がいなくなってから
夜に泣いたりする柄じゃないんだが
やってられないよ


Well don't you know I can't take it,
I don't know who can,
I'm not goin' to make it,
I'm not that kind of man.

こんなの我慢できるわけないだろう
誰ができるんだよ渡辺あやさん
俺はやっていけないよ
そんなことができる奴じゃないんだ


Oh I can't sleep at night, but just the same.
I never weep at night I call your name.

ああ夜眠れやしないぜ だけど同じことだ
夜に泣いたりする柄じゃないんだが
君の名を呼ぶよ


Don't you know I can't take it,
I don't know who can,
I'm not goin' to make it,
I'm not that kind of man.

こんなの納得できるわけないだろう
昌ちゃんはどうなったんだよ渡辺あやさん
俺は満足したフリなんてできないよ
視聴者はそんなに人間ができてないんだ


Oh I can't sleep at night, but just the same.
I never weep at night I call your name.
I call your name. I call your name.
I call your name.

ああ夜眠れやしないぜ だけど同じことだ
夜に泣いたりする柄じゃないんだが
君の名を呼ぶ

君の名を呼ぶよ 尾野糸子よ
うー尾野真千子よ