2012/05/03

日記「子供の創造的ライティング道」

「梅ちゃんの遅刻ファンタジー」「サッカーの耐えるスリル」「カナダ算数教育の解せなさ」「お下がり Google フォン」

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■12/04/16(月) □ 梅ちゃんの遅刻ファンタジー
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朝ドラ「梅ちゃん先生」は、2週間経つが相変わらず。人物描写があまりに浅いので、演じてる人たちも持ち味を出しようがなくてつまらないことだろう。お父さん(高橋克実)なんか「フラガール」での暴虐親父役などなかなかすごかったけど(※)、ここではジャニーズ系ドラマの頑固親父みたいな定形芝居しかやれない。このドラマのレベルはちょうど、あのチャライ梅ちゃん幼なじみ(あまりにつまらん役なので役名すら記憶できん)のあたりに設定されている。
(※)そういえば梅ちゃんの医専同級生弥生さんはあの「フラガール」暴虐親父の娘さんだと思う。あの同級生は首がしっかりして声も揺れず、彼女が画面に映るとすごく安定感が出る。梅ちゃんのグラグラを中和してくれる。

女の子の青春を爽やかなファンタジーとして描くという意欲があるのはわかるが、少女の心の揺れ動きをたとえば少女マンガは何十年も前から、それこそ「遅刻ちこくー(頭をゴン)」からスタートしつつ素晴らしい高みへと連綿と描き、世界最多の膨大な文化資産として日本は蓄積してきてるはずなのである。なのになんで TV ドラマだと「遅刻ちこくー(頭をゴン)」にとどまり続けなければならないのか。これじゃ韓国ドラマと同じではないか。その理由がわからない。

その少女マンガのダイナミズムを携え、少女からオバサンまでの心の揺れ動きをリアリズムとファンタジーと茶番をミックスして描いたから、「カーネーション」は素晴らしかったのだよな。

毎日朝ドラが面白いという生活の素晴らしさに、「カーネーション」の半年で俺たちは中毒になっている。中毒だからオートマチックに「梅ちゃん先生」を見る。するとあまり面白くない。「梅ちゃん先生」を批判して気持ちいいわけじゃないし何かが変わるわけでもないが、ついついツイッターで愚痴をこぼしてしまうわけである。

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■12/04/24(火) □ サッカーの耐えるスリル
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【CL バルサ・チェルシー】英国アナ「(トーレスゴール)今、この瞬間、チェルシーがトーレスのために支払った5千万ポンドは完璧に返済されましたーっ!」

いやー、すごかった。バルサが負けるのは不条理だとか、引きこもるチェルシーは醜いといった記事やツイートをよく目にするが、相手の足が届く寸前のところをゆるいパスでつなぎ続け、ボールは走るが自分も相手も走らないサッカーを延々とやるバルサのサッカーが美しいとも俺には思えない。この試合に限ったことではなく、バルサのサッカーには昔からスリルを感じない。

シーズン前半にレアルが一度やってみせたように、高い位置からプレスで勝負をかけてきてくれればバルサはショートカウンターでチェルシーをボコボコにできただろうが、チェルシーにはそんな注文に応える理由もない。後半カウンターをかけたチェルシーが守備が戻り切っていないシーンが何度かあって、そのときだけはバルサの人もボールもダイナミックに動き得点の匂いがした。しかしバルサがそれを意図的にできたら褒めるしかないが、そのためにチェルシーにカウンターチャンスを与えるわけにもいかんしな。

同じ戦術を 180 分間やり続けるという点ではチェルシーもバルサも同等だったが、チェルシーは耐えていたのであり、バルサは工夫がなかった。TV の英国アナウンサーが後半、「どんなに楽観的なチェルシーサポーターでも、センターバック不在の10人でバルサ相手に戦い抜けるなんて想像もしなかったでしょう! このチェルシーの努力を誇りに思うべきです!」と声を高ぶらせていたが、俺も同感だった。サッカーでああして劣勢なチームが耐える姿には俺は惹かれる。初めて見た WC90 のアルゼンチンがそうだったし、94 のイタリーもそうだった。


マラドーナ、耐えて伝説のカウンター
耐えて耐えて耐え抜きながら、カウンターチャンスに賭け上がっていこうとするドログバやラミレスの姿にはスリルがある。実際ラミレスは二度に渡り奇跡のカウンターを決めてしまったのだから勝利に値したとしか言いようがない。

初戦のラミレス→ドログバの針の穴を通すコンビネーションは、WC90 のマラドーナ→カニージャのようであった。美しかった。

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■12/04/26(木) □ カナダ算数教育の解せなさ
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久々に数学の宿題にサインをしてくれというので目を通してみる。やってる百分率=レシオ(割合)がわかってるのかどうか試してみると、あまりよくわかっていない。

「3つの6角形と10個の歯の割合」
「5個の包丁と8個のブーツの割合」


なんて無意味な図例を作っている。「この町の住人中、日本人が何人、中国人が何人、それ以外が何人といった風に、同じものを比較しないと意味ないだろう、意味がないものは『割合』にはならん」と説明しても話が通じない。『割合』という概念自体が正確にはわかってないのである。どう説明したらいいのかなと頭を抱える。

しかし小数点の意味や負数の大小がわからんというのを9月にやっていて、半年経ってもまだ百分率がはっきりとわかっていないとは。なんなのだこのカナダの中学教育のはかどりの悪さは。これで通知表では数学も含め萌は全科目Aになっているんだから、彼女個人の問題ではなく教え方が悪いとしか考えられない。実際教科書でこの項目を見ても、まだるっこしくダイレクトじゃないメソッドで説明されている。

成績は気にせんが、子供らが合理的に最小限の努力で物事を理解させてもらってないんじゃないかということには、仏日英ともいつも苛立ちを感じるのである。

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■12/04/29(日) □ お下がり Google フォン
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BR婆ちゃんがまたセルフォンをなくし孫のMKに代替機をもらったのだが、今度はキーボードもついたアンドロイドのすごい端末である。BRがなくしたり壊したりするたびになんかえらいグレードアップしていくなあと思い(これで4台目?)、これはつまりお前の仕事関係でフリーでもらえる携帯なの? じゃ萌ももらえるのと聞くと、とんとんと話が進み、萌がついにGoogle フォンのお古をもらえてしまいました。携帯電話のアカウントは取らないが、Wifi でアプリを入れていくらでも遊べるだろう。

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で俺が設定を任され見てみたのだが、メニュー構成が超使いにくい。メールアカウントを変更する方法がわからず、ネット検索しても元の持ち主に電話してもわからず、Youtube の動画を見てやっとわかり結局1時間かかった。メールアカウントの変更に、「セキュリティ」にある「初期化」を選ぶだなんて、そんなの見つかるわけがない。Google のアプリって実際どれも、他とは違うというのが大きなモチベーションになってるとしか思えない独自仕様に満ちているな。

じっさい iPhone もアンドロイドも使いにくいと思う。コンピュータの UI やコマンド構造で一番人間に直感的にわかりやすいのは、やっぱり DOS から始まり Win 95 あたりで完成した上位>下位の無骨なフォルダツリー構造だろう。iPhone やアンドロイドをいじるたびに、なんで現代のコンピュータ屋はこのフォルダ構造を見えにくくしたがるのだろうかとうんざりする。どこに何が入ってるのかが開けていくのが面倒でいじる気をなくしてしまう。20 年以上コンピュータを使い、ハンドヘルド(Pocket PC)も 10 年使ってる俺がだんだん使えなくなってくるというのは、ハンドヘルド機の進化としておかしいだろう。(iPhone はアンドロイドとは違って使いやすいとのこと。実は一度しか触ったことがない)

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ともあれ、Google フォンはMKがいろいろアプリを入れてくれた。Google マップやナビゲータが入るとやはり助かる。MKのベイビーが笑ってるときに、萌がさっと取り出しビデオを撮ったのもよかった。俺は普段カメラを持ち歩いてないので、こうして萌のスマートフォンが補完してくれるとありがたいのである。

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■12/05/03(木) □ 子供の創造的ライティング道
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萌が宿題で

「困難に直面しどう切り抜けたか、希望を失わないことがどう助けになったかなどを両親に聞いて作文せよ」

という課題を出され、話をしてくれと頼んできた。そんな「希望」というお題をもらってピッタリのケースを答えるような、大喜利みたいな「困難」があるかよと課題の出し方に俺もMも呆れたが、それは萌には言わず考える。やっぱおじいちゃんが亡くなったときかなあ。しかし死ぬとわかっていてそのまま死んじゃったんだから、「希望」なんてテーマは入れられないんだけどね。

―――病室にずっといてね、おじいちゃんは鎮痛剤でほとんど眠っていて、起きたときに世話をするとその世話がなってないと怒鳴られたりしたんだけどさ、その怒鳴りたいときに怒鳴れる奴としてそこにいれて私はうれしかったわけ。痛くない時には昔一緒に行った競馬旅行の話なんかもゆっくりとしたしさ。あと兄貴が見舞いに来ると「お前が来るのが一番うれしい」とおじいちゃんが言い、「カナダから来て1日中付き添ってる俺の立場は\(^-^)/」と笑っちゃったけど、だけどおじいちゃんがうれしいことが私にもうれしかったわけ。―――こう話していると萌がポロポロと涙をこぼし始めた。

私を日本に送り出してくれたことで、みんなMと萌に対しても感謝していたし、おじいちゃんが亡くなったときに萌がくれたメールが感動的だったんで訳しておばあちゃんにも聞かせてあげた。あの夏に「希望」なんてどこにもなかったんだけど、そうして一緒にいても遠くにいても、相手を思う気持ち、consideration とか caring feeling があってさ、それがみんなを助けていたんだと思うよ。そう書いたらいい。それは「希望」というお題とは違うけれど、課題の趣旨には合ってるよ―――。



萌は「物語」を空想して、主人公の行動やら町の描写やらを PC で毎日大量にタイプしており、その文章は信じられないほどうまい。はっきりいって俺が読めと言われてちょっとだけ読んだ「ハンガー・ゲーム」とすでに大差ない。だがこうして人の気持ちだとかをうまく説明したり書く力はまだない。しかしこういう抽象的な、これとクリアに書き記せないことを考え書く能力こそが本当は大事なことだし、そこからが本当のクリエイティブ・ライティングなんだと思うのよね。空想上の事象をただテキストにしている今の萌の「物語」は、まだそこに至ってないのだよ。まだギターのコードを覚えた程度だ。ここからが歌なんだ。頑張ってくれ。

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