2012/07/27

日記「ゲーム好みは十人十色」

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■12/07/17(火) □ ゲーム好みは十人十色
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気が付けば日本行きまで2週間を切った。今朝、滋賀からMたちの待つ京都へ大雨の中バイクで向かわねばならないが、土地勘がなく地図もよくわからず滋賀県内をうろうろするという悪夢を見た。後から焦らぬようリストを作り、準備を始めよう。

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こないだMKのところで遊んだ「D&D:ウォーターディープの支配者」がボードゲームのポッドキャスト「ボッパイ」でちょうど取り上げられていた。「D&D愛があるならこんな雑な展開はせんだろう」と俺も思ったことを2人はまず語る。で俺はそこで否定的な気持ちになってしまうわけだが、お2人はそこから「アタマおかしい画期的w」と喜び組展開していた。やっぱオモシロがりの達人は違う(笑)。ゲームの感じ方というものは実に人それぞれで、たとえば音楽よりも個人差が大きいかもしれない。

従来のD&Dシリーズのボードゲームは、Lord of Waterdeep よりもRPGっぽいらしい。それを聞いて、俺と萌がウォーターディープで盛り上がらなかったのはRPGっぽくなかったからだなと納得した。昔のゲームはおそらくウォーターディープよりゲームバランスやメカニクスは雑なのだろうが、そっちのほうが楽しそうだ。ボードゲーム上で短時間でD&D本編のような体験ができるゲームがもしあるのだったら、それは是非やりたいというかMKに買わせたい(笑)。

RPGっぽさといえば俺と萌がゼルダをいつも途中でやめてしまうのも、神殿謎解きだけが延々続き、ドラクエ的RPGの大きな楽しみである買い物や成長や宝探しがないからだと思う。ドラクエはゲームの愉しさが見事にパックされた総合エンターテイメントだが、ああして何十時間もビデオゲームを突き詰める根気は今は俺にも萌にもない。リソースマネージ系のボードゲームが楽しいのは、ドラクエのお金やりくりに似た楽しさが短時間で得られるからというのもあるだろう。サンファンの差額を払って高価な建物に建て替えるカードなんて、武器の買い替えとまったく同じうれしさだと思う。

MはPRGをやったことはないが、いまどんなに疲れた日にも必ず1ゲームはやるほどグレンモアにはまっているのは、遊びにおける売買と拡大再生産の楽しみを気に入ってくれたからだろう。ありがたいありがたい。すげえ強いし。

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■12/07/18(水) □「アルカディアの建設」をお試し
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すごくないすかこのエポック社ゲーム感
次のゲーム候補を探していて、見た目がすんばらしいのが見つかった。テトリス風タイル置きパズルと市場経済を、俺が子供の時に遊んだエポック社のボードゲームみたいなプラモデル構造にまとめ込んだすごい見栄えのゲーム、「アルカディアの建設」。写真を見た瞬間しびれた。興奮する。

そしてこれがオンラインゲームサイト Yucata で試せるのを発見。やった。1人2役で試してみる。

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ブラウザで試せる「アルカディアの建設」
ふむ。ボードは思ったより狭いんだというのが第一印象。―――そして、こ、これは意外や難しい。タイルを置くごとに、「ここに置いたら次の手番で敵に完成されてしまう」というジレンマがある。しかもカルカソンヌと違い、自分のワーカーは建物を建てても回収できない。ここでルールを読んで、ワーカーは4回しかできない換金時に2個ずつしか補充されないと判明。いったん配置したら換金までは自分のワーカーなしになるんだ。それでどうやって点を取るんだ?

仕事を終えた自分のワーカーが帰ってこれないというのは、ルールが間違ってるんじゃないのかと思うくらい厳しい制限だ。驚いた。自色ワーカーが欲しくてどんどん換金すると、4回の制限を使い切り後半点が取れなくなってしまう。自分の色ではない「中立ワーカー」はタイル配置でけっこう補充できるのだが、このワーカーは建築に関わっても自分のコイン獲得にはならないのである。

あーそうか。これはタイルをうまく配置することで、1人の自ワーカーが関われる建物を増やす=取れるコインを殖やす、といった感じのストイックなパズルゲームなんだ。いかにワーカーを使わずしてタイルでタイルを完成させつつ、敵の相乗りを予防するか。そういうゲームだ。したがって最適化のために一手一手を考えこまなければならない。写真を見て想像したのと全然プレイ感が違う。囲碁かなにかのようである。大変だが面白い。プレイ時間は長くはなく、クレストを取って換金するのは楽しい。

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1ゲーム目で流れとコツがわかり、数ゲーム真剣にやってみた。やってる間ずっと、「このタイルを置いたら相手は最大2個しか置けないから俺が次のターンで2個置いて......あ、相手が中立コマを使ったら俺のワーカーが置けなくなる、駄目だ」と脳内順列シミュレーションをやってる感じ。一度や二度では定石が全然見えてこない。建設と言いつつ建築感は特にない。

建築感といえば中央の城も、実にかっこいいのだがこうしてゲームをしてみるとレートの上げ下げを行うための数値操作に過ぎず、その数値上げ下げは面白いがタイルがあれば済む程度の仕組みだった。あの城の建築自体に3D的なゲーム性があるわけではない。そこは残念。

見た目からマルチプレイヤーテトリス&陣取り的な軽いゲームかと思ったのだが、これは重厚な囲碁的なものだな(囲碁のルールは知らないけど、イメージで)。先手不利気味のジレンマ型対戦パズルである。ワーカーの補充があれば見た目通りのゲームになると思うが、それがないことでジレンマ濃度が滅茶濃くなっている。これはたしかに面白い。中毒性がある。面白いのはたしかだが、俺は疲れてるときにはこういうアブストラクトなゲームはやりたくならないだろう。

というわけで、試せてよかった。こうしてメーカー公認のサイトで実際に遊んでみられるというのは素晴らしいことである。これで気に入れば自信を持って買えるし、気に入らなければ他のゲームを探せる。買ってみたが気に入らないというのが、作者にとってもゲーマーにとっても最も不幸なことなのだから。いろんなゲームを探し試してみたい。

2012/07/20

日記「ティーン文化との折り合い」

「奥様ついにグレンモア開眼」「勝ったのはわしらではない」
※追記あり(青字)
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■12/07/10(火) □ 奥様ついにグレンモア開眼
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アグリコラは無事売れた。夫婦でゲーマーだという奥様がバンクーバーからわざわざ買いに来てくれ、俺同様「アニミープルがない」とがっかりするかなと心配していたのだが、内容物を確認し問題なし。「ルールを読んで、うちの家族には難しすぎると思ったんだよね」と話すと、俺より数段シリアスなゲーマーらしくうちは大丈夫だとにっこりと帰っていった。よかった。

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売却損はメールオーダーで買った場合の送料程度で済んだので、このお金でまた違うゲームを探そうと考えていると、夕方うちの奥様Mが初めてグレンモア2人戦をやろうと言ってきた。最近萌に誘われるとMは断らないのでしょっちゅう3人戦をやっており、これまで5ゲームほどやったと思うが、2人戦は初めて。やりますやります、願ってもない。

中盤まではMと作戦がバッティングしないよう、彼女がほしそうなタイルをやや譲り気味で俺はプレイしたのだが、Mは実際ゲームはなんでも強く、肉屋・歳の市作戦でバリバリ得点していく。そこで俺も追いつくために本気になり、最後に作物を全5種類出して大歳の市で売り12点という大車輪を2回まわしたのだが、それでも10点足りず負けた。うーん、いいゲームであった。Mの力がここまで来ると、萌もこのゲームは大得意なわけだし、本気で考え打たないと俺は勝てないな。素晴らしい。



アグリコラ体験後にグレンモアをこうして楽しんでいると、ライトゲーマー向けのグレンモアの長所がよくわかる。プレイの自由度が高いことと、ビギナーでも選択肢の良し悪しがわかること。この2点は本当に美点だ。


カワサキさん作・完璧なるグレンモア日本語ルール解説
世界最高水準の明解さ。
たとえばカタンをやるたびに俺は「サイコロの目が出ずなにもできず3ターン経過」みたいなままならぬ展開にうんざりするのだが(それがなければ最高に面白いと思う)、グレンモアには「何もできないターン」がない。タイルは毎ターン必ず取れるし、取ればなにごとかメリットがある。

そしてメリットを最大化する方法は、場に出ているタイルの効能を説明してもらえばビギナーでも見当がつく。「じゃ作物をたくさん作ってその《歳の市》で売る」とか、「村がたくさんあるから、その《村×3点の城》を買う」など、すぐに見通しが立ち楽しんでもらえるのだ。↑こういう解説を読みながらルールを理解してしまえば、カタンよりビギナーにやさしく、ライトゲーマーでも存分に戦えるゲームだと思う。

(追記)拡大再生産の名作プエルトリコから「俺が自分のためにこれをやったら敵にもメリットが大きくなってしまう」というジレンマを抜いたあたりにグレンモアは位置しており、そこがファミリーゲームとしてちょうどいい。そこが物足りないヘビーゲーマーにはプエルトリコがある。



俺から見て「アグリコラ」は、この自由度と見通しという2点においてライトゲーマーに厳しい

①アクション数が圧倒的に少ない(自由度低)
②選択肢は無限にある(見通し困難)

という組み合わせから、1手番の重みが俺がこれまでやったゲームで最も重く、なにをどうしたらベストなのか常に多数の要素を計算しなければならない。そうしないとうまくいかず面白くならないところに大変さを感じる。遊びとしての重労働という感じ。


BoardGameGeek フォーラムでアグリコラを楽しめなかったと長文評を書く人たちは、だいたい俺と同じことを書いている。

『信じられないくらい優れたデザインですばらしく最適化されているが、まったく容赦無い作りになっている。最低でも2ターン先の計画を立てられなければ、それをできるプレイヤーを相手につまらないプレイとなる。天才の仕事だし高いランクにふさわしいが、自分はプレイしていてそんなに楽しいとは思わなかった。』

てな具合。まあやってて疲れるということですね。もちろんこうしたネガ意見は、ごく少数派なんだけど。

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■12/07/14(土) □ ティーン文化との折り合い
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夏休みに入って以降萌の機嫌がいいので最近ほとんどケンカしてないのだが、「この夏日本に行ったときに、日本の子供たちと萌を比べるな」的なことをMに言われた。

そんなバカなことをするわけないだろう、したこともないと俺は言うのだが、ケンカをしていた春頃に俺が萌に言った「カナダのティーンの喋り方や態度は私にはアノイング(不愉快)だが、それは文化的な違いなので仕方がない。とにかくお互いケンカにならないようにしよう」という妥協案が、Mと萌には「日本の子供のほうがベターだ」と聞こえるのだという。そんな。そんなこと言ってるわけじゃないのだが。

カナダで育った子供と日本移民の親が衝突するという話は昔からよく耳に入り、それは親が母国の文化を押し付けるからだろう、俺はそんなことはせんと常々思っていたのだが、しかし実際こういうことなんだろうなと最近わかってきた。親が文化を押し付けなくても、子供のほうがどんどん変わっていくゆえに価値観の衝突はどうしても起きるのだ。

俺は日本文化を押し付けたりはしてない(と思う)し、日本の子供のほうがいいだなんて思ってはいない。しかし「イノセンス=幼稚」「ルード=クール」「勝手=自立」と思ってるとしか思えないカナダのティーン文化に萌が染まり、態度振る舞い言動が粗雑になっていくのは単純に腹立たしいし、それは隠せない。そこをスルーなんてできないタイプの親が衝突するわけである。

まあもし日本に住んでいたら「~じゃね?」とか萌が喋り、それにきっと俺はイラついていただろうな。夏休みに入りこうした態度が萌から消えたのはおそらく、萌が中学でのストレスからフリーになり、小学校時代の気の置けない友達とサマースクールに行ってるからだと思う。この夏休みの間はややイノセント側に戻ってる感じだ。



ともあれ、「萌は自分の文化的アイデンティティを模索してる最中なんだ。年齢的にみな人種意識も芽生えているので難しい年頃だ、寛容になってやれ」とMはいう。たしかになあ。それは全くその通りで、今萌は2つのナショナリティを持つ難しさを抱えているのである。それはやはり気の毒に思う。不愉快な態度やオロカさを看過することはできないが、とにかく文化的な差異によって萌の気持ちを傷つけることはないよう、よりいっそう俺の側で気をつけていかねばならない。肝に銘じます。

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■12/07/15(日) □ 勝ったのはわしらではない
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今日は朝昼晩と3回家族でグレンモアをプレイした。かつてのチケライ Euro を超えた大ヒットゲームとなりつつある。

俺は連敗してるので、夜のゲームでは酒工場を取りMが好きな酒作戦を妨害する策に出たのだが、この奇策が裏目に出てワーカーが不足し、作物が取れず肉屋が稼働せず、中盤にしてドツボにはまってしまった。後から牛歩でワーカーと作物を取る策に切り替え追い上げたが大敗。Loch Oich(村の全タイルをアクティベートする神様タイル)をMに渡したのが最大の失敗だった。俺が取ってもたいして点にはならなかったのだが、必要はなくてもタイル数の多いMに渡すべきではなかった。あれを俺が取っていたら萌の勝ちだったと思う。俺の悪手で萌の勝ちゲームを潰してしまった。すまん。

しかしこの失敗してしまった悔しさが楽しい。グレンモアは優秀な家族ゲームだと思う。作物の生産とマネージとお買い物と構築を楽しみながら40分で終わり、その間に皆がいい手を打ったあれは失敗だったと思えるところがいい。俺はソロでこのゲームをやったりするくらいで得点法は家族内で最も多く知ってるわけだが、だからといって勝てるわけではない。勝つには良いアイデアと良い判断と少しの巡り合わせが必要なのだ。

これがカルカソンヌだと、どうやったって BSW で鬼のドイツ人に鍛えられた俺が勝ってしまう。妨害法やブロック法を覚えてしまった萌もビギナーとは勝負にならないため、あれほどの名作なのにうちではもうほとんどプレイされてないのである。カルカソンヌを打ちたいときは、俺は BSW に行ってカリカリと戦っているのだ。



今日3戦3敗(汗)して見えてきたのだが、2人戦で萌相手にプレイするときにはいい勝負になる俺の打ち方が、3人戦では通用しないらしい。先ほどの Loch Oich 譲渡以外これといって下手な手を打ってる自覚はないのだが、点が伸びないのだ。

3人戦ではなにが違うかというと、俺はほしい店や城タイルが出るとしばしばタイル5~6枚分の大跳びをするのだが、このせいで畑や家畜のタイルがあまり取れず――というか畑・家畜・村の基本タイルをあきらめ大跳びしないと、早い者勝ちのいいタイルはなかなか取れない――、産出する作物が不足してしまう。当然歳の市や肉屋での換金頻度が低いし、城を買う資金も不足しがちだし、村も取れないのでワーカー数も足りなくなってくる。で3人戦だと次の手番もなかなか回ってこず(常に最後尾プレイヤーが手番)、俺が先頭で待っている間に2人はザクザクと作物を出し、コツコツと点を取っていくのだ。俺も獲得した大物タイルの効果で後半はどーんと点を取れるのだが、気がつけばそれでも追いつかないほど離されているわけである。

さらに3人だと中央市場での作物売買が活発になり相場が動くので、作物をコンスタントに産出して売るだけでもバカにならない資金が入る。だれかが作物を買うとその市場価格が上がり、その作物を自分の畑で作れる自営農家は余剰作物をいい値段で売れるのである。萌はこれで毎ゲーム10金以上の点を稼いでいる。得点上も資金繰り上もやはり作物は不可欠。グレンモアはやはり作物を作ることが基本のゲームなのだ。序盤の地道な農作業による地固めが必要なのだ

というわけで明日からは地道な農家です。勝ったのはわしらではない。百姓たちだよ(志村喬)。

2012/07/11

日記「幻惑のワーカープレイスメント・アグリコラ」

「超大作をついに購入」「ゲームの目覚めを語り合う」

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■12/07/06(金) □ 超大作をついに購入
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新ボードゲームがほしいほしいとあれこれ考えていて、昨日まで買うことはまったく考えてなかった長重複雑難大作ボードゲーム「アグリコラ」をつい発注してしまった。詳しい経緯は恥ずかしいので省きますが、勢いで。


手に入らなかった哀しみの動物たち
ところが箱を開けてみて、肝心のアニミープル(動物コマ)が入ってないことに愕然。今頃になって調べ、日本版にはついており英語版はついてないのだと判明した。な ん と い う こ と だ。アグリコラの記事でこの動物コマがない写真は見たことがないが、なんと別売りオプションなのだった。精緻趣味を満たすあの動物たちを柵に囲いたくて買ったのに。あのミープルをグレンモアでも使うためにも買ったのに。こんな大作をよく調べもせず買ってしまうなんて。俺は馬鹿だ。

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仕方なく泣く泣く検品とテストプレイ。ゲームの進行のおよそはネットで読んで知っているのだが、さすがに名にしおうわかりにくさである。

1時間半かけてルールを解読し、入門用の「ファミリールール」で最初の収穫(R4、ステージ 1)までやって流れはわかった。収穫できるとやはりうれしい。ルールを読むのに時間がかかっているが、ゲーム自体はソロだと1ラウンド最短2手で終わる。

初収穫でやっと楽しくなってきたが、しかしこれは当面 PC 版のソリテアでやったほうがいいな。木のディスク(コマ)補充やカードのハンドリングが大変すぎる。数を忘れず把握するのが大変な上に、キューブやミープルと違いアグリコラの木のディスクはひどくつまみにくいし滑るのでイライラする。アニミープルがないんだから指先で遊ぶ快感はもとより半減なわけだしな。片付けて PC 版でチュートリアルを続行。

処理は間違いまくってるだろうがソリテアで1回最後まで行ってみて(このソリテアは資材の補充は自動でやってくれるが、得点や食べ物生産量は自分で計算する)、30点となった。家と柵を作ったあとは何をしていいのかわからなかった。「小さな進歩」と「職業」の内容がわからず無視してやってたので、これがだいたい「ファミリー(入門用)ルール」相当だろう。感想はまあ楽しいが、この入門ルールでもワーカーを置く選択肢は10~30と、宿命のライバル(?)「プエルトリコ」より多い。本ゲームはこれにランダムでカードが14枚加わるのかと、今から途方に暮れる。

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■12/07/07(土) □ 幻惑のワーカープレイスメント
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誕生日。朝起きたら私の PC キーボードの上に折り鶴が山盛りになっていた。うちの娘はツルはお祝いのものと思ってる模様。なつかしい方からお祝いのメッセージも届いていた。優しいなあ。


汗だくな誕生日であった。
誕生日はともあれやっと雨季を抜けドライな夏となったので、懸案の庭の材木ゴミを捨てるために1人汗だくで庭掃除をする。疲れたので晩飯も作れずラーメン。具もない、キャベツだけの素ラーメンです。こんな学生みたいなものを誕生日に食うとは。



そして夜はアグリコラ研究を再開。昨夜から必要な資料を全部揃え、疑問点をつぶしながら PC ソリテアを通算で5回ほどやってみて、このゲームの概要はわかった。

序盤の食料供給の難しいマネージメントは楽しい。中盤までにうまくシナジー(相乗効果、特に食糧供給サイクル)を組まないと、後半どれほど家畜を殺しても間に合わなくなるあたりはよくできてると思う。労働者を増やし、柵を作り家畜を飼うあたりまでは希望通りの面白さがある。しかしそこから先に進むために「小さな進歩」「職業」カードを選ぼうと思うと、五里霧中になってしまう。選択肢が多すぎるし、その効果が微妙すぎるのだ

「プエルトリコ」に比べほとんどのカードのメリットが曖昧というか、ピンポイントの特定場面だけで薄くメリットがあるというデザインになっている。たとえば「大工」は家を建てるのに木を2個少なくできるが、家を建てる機会はゲーム中最大3回しかない。そのために貴重なワーカーを【今】派遣すべきかどうか。そこが現時点で俺には判断つかない。木が6個たまったときに取れば同じ1ワーカーで同等の効果が得られるのだから、待ったほうがいいのではないかと考えあぐねてしまうのだ。プエルトリコなら建築の機会は10回くらいあるから、大工カード(採石場)の強さは誰でもわかる。それに見合ったコストを払い手に入れるべく、ビギナーでも迷わず努力できるのだが。

このカード価値判断のつけ難さはこのゲームの持つクセでもあるだろうし、すべての行動にコストとしてワーカー1人が一律にかかる(+強力な選択肢には資材その他が必要)「ワーカープレイスメント」という仕組みが持つ難しさでもある。この仕組みではワーカーコマがゲーム中最重要な通貨なのだが、上記の木の収穫時期に象徴的に見られるように、為替レート(1ワーカー配置の価値)はタイミングによりさまざまに変動する。単価均一で商品の価値がそのときどきで変わるという、相場のばらつきと駆け引きを生むシステムなわけだ。したがってタイミングの良し悪しが命運を分ける。そして同じワーカープレイスメントのストーンエイジや Lord of Waterdeep と比べ、アグリコラではそのシビアさが極めつけなのである。見極めを誤ったらたちまち食い詰めえらいことになる。

多すぎるカード選択肢のそれぞれでこのタイミング判断が係数として入ってくるわけだから、思考は:

『次の収穫で麦は2取れて牛が1増え、牛はかまどで3食料になるから+5、ワーカーは3人で食料が9必要で...うちは○○がいてキノコが1つ取れるから+1、もしオーブンを買えばパンは+2で....残り2ラウンドだから収穫前にオーブンを建てるためには石を取って.....次のターンで土を取らないと間に合わないが........もう1ターン待てば○○が1個増え食料を3増やす○○が買えるので.......あーガガープシュー......』

みたいな感じになる。かくしてキャパシティ乏しき俺の計算脳はハングアップする。係数が増えすぎるとゲームは数学になってしまう。実際アグリコラは数学的すぎて、木や動物の増減の計算ミスを避けるためのツールがあちこちで発明されているくらいである。

この変数的なばらつきを乗りこなし、単一では薄いカードのメリットを組み合わせ戦略で最大化することを楽しく悩ましいと感じる人にとってこのシビアさと多様性が魅力なのはわかるが(パン焼き窯だけで何種類もあるんだからね)、打ち手や処理を考える俺はまるで黒板の前でうんうんと唸る生徒だ。進歩テキストなんてもういやだよ。職業選べってそれはちょっと。シナジー効果やめときなって。こうした楽しみが計算量に裏打ちされるゲームでは、雨のよく降るこの星では、俺は自分の打ち手の良否がわからない。幻惑のワーカープレイスメント。

誘っても決してボードゲームをやってくれない人はまさにこの黒板前アタマ真っ白フィーリングを嫌うわけで、どこが限度という線引きは難しいが(※)、そういう気持ちを引き起こすゲームを俺は好きになれない。俺が買うドイツボードゲームを楽しんでくれている萌やMにそれをやらせたいとも思わない。家庭菜園にハマるMに農業ゲームをやらせたいと思ったのだが、これは作物を植え家畜を育てその成長とハーベスト(収穫)を楽しむ趣味的農業とは、相当に違う遊びだと思う。うちでは無理だ、アグリコラ。心は決まった。このまま未使用状態で売ろう。すいません買ってきてくれた奥様。

重い難しいとわかっていながら、あのアニミープルの写真にしびれ買った俺が馬鹿だった。言い訳のしようもない。ほんとごめんなさいと思いつつオンラインで売却登録をする。はあ。
(※)BoardGameGeek のゲーム情報にユーザーアンケートによる Game Weight(ゲームの重さ)という項目があり、アグリコラは5段階で 3.6 になっている。プエルトリコで 3.3。グレンモアが 2.7、Mが好きなパンデミックが 2.4 なので、3.0を切るあたりがうちにはいいのだろう。



いま考えていてわかってきたが、これは中盤以降はテキストを使った数学的例外処理の集積で稼働するゲームなわけで、強い例外処理が重複すると強力すぎて突き抜けてしまう。だから1枚1枚を微妙な弱さに落とし込んでいるんだろうな。その調整仕事は天才的なのかもしれないが、そんなにメカニクスが美しいゲームではない。

でそのテキストによる数学処理が俺には苦なんだから、楽しめないのは致し方ない。こうした数学的思考よりも俺はカルカソンヌのような、地形や位置がキーとなりなにかビジュアルな美しいものを組み上げていく、そんなゲームをやりたいと感じる。もしかしたらそれは陣取りやウォーゲームなのかもしれない。まだわからないけれど。

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アグリコラに疲れ、なんとなく久しぶりに PC 版ドミニオンをやってみる。するとこれは軽くて楽だ。「何手後に○をいくつ取るために今必要なのは○○」とあまりにもブレインバーナーだったアグリコラをやったあとでは、「ここで○を買っておけばいずれ買い物時に助かるな」くらいの判断でどんどん進んでいくドミニオンのデザインがあらためて素晴らしいと思った。そんなに好きなゲームではないけれど、この軽さで多様性を味わえるのはすごい。前は気づかなかったよ。軽いゲームのありがたみが脳にしみる。

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■12/07/08(日) □ ゲームの目覚めを語り合う
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5年に一度の大ゴミ片付け。でかいトラックをレンタルし、MKがうちに残していった木工材も大量にあるので、奴を呼びつけ手伝わせる。浸水修理のときに使った廃材や去年作ったツリーハウスの余りもあり、今回はこれまでで一番捨てたと思う。ふー。

道すがらMKが、「僕が一緒に住んでる時にトモが今みたいにボードゲームに狂っていたら、どれだけプレイできたかわからない」という。全くだよなあ。惜しいことをしたものだ。しかしMKは家ではボードゲームなんかやらなかったのである。うちで行われていたのはグランマの「スクラブル」など伝統ゲームだけで、MKが結婚転居後Mがクラシックゲーム「クルー」をたまたま中古で買ってきたことで、俺はボードゲームに目覚めたのである。2年くらい前かな。

架空の犯人を論理で当てる「クルー」は面白いが、面白さに見合った時間の3倍は時間がかかる。場合によっては1時間を超えることすらあるゲームで、「今どきこんなのは古いだろう、もっと面白いボードゲームがあるだろう」と検索したらそこには新世代ドイツ/ユーロゲームの海が広がっていたのである。―――こう俺の目覚めを説明すると、「僕もユーロゲームを始めたのは引っ越した後、ここ数年だからね」とのこと。やっぱそうだったんだな。ほぼ同時多発的にそれぞれに、俺たちはボードゲームに目覚めたのだ。俺は純ユーロで、MKはD&D/アメリカン傾向と少し系統は異なるけれども。

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おそらく1トンくらいあっただろう木材ゴミを無事捨てトラックを洗い返し、ヘロヘロと帰るとアグリコラにもう買い手がついていた。さすがは天下のアグリコラ。助かった。ボードゲームはまったく、安易に決めてはいけないな。オンライン版で試せるもの以外は買うべきではないのかもしれない。

まあさいわいにもアグリコラは現在最高値のゲームなので、売ればその金でほぼどんなゲームでも買える。ここからまた夢をふくらませていきたい。

2012/07/10

日記「胸踊るボードゲームの精緻感」

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■12/07/02(月) □ 二度目の Waterdeep
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今日はまたMK家でダンジョンズ&ドラゴンズ会。話は前回からの続きなのだそうだ。なるほどねー、それはいいわ。これは時間がかかるから断片ショートストーリーしかできんではないかと思っていたが、長いスパンをかけ長大なストーリーを演じることができるのね。それはいいわ。

いいわとは思うが俺はやりたくはないので萌を置いて帰り、午後からボードゲーム部だけ参加することにする。前回書いたようにD&D世界は文句なくイントレスティングではあるが、時間が長くボードゲーム的なゲーム性がないので、俺は辛抱できない。

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午後ちょうどD&Dが終わったところに合流して、ボードゲームタイムとなった。ディクシットは前回同様楽しい。俺は「SFは嘘つき」「嘘なんかついてないわよとSFは主張した」と姪のSFを引き合いにしたお題シリーズをやり、これがいい感じで少数に当ててもらえて盛り上がった。

俺の持ち込んだ「お邪魔者」6人戦は楽しかったのだが、皆がもう少し心理戦にうまくならないと、連結や邪魔が簡単すぎて爆発的には盛り上がらないようである。筋金ゲーマーMKはさすがに前回の1ゲームだけで勘所を感じ取り、やいのやいのと口撃を加えゲームを盛り上げてくれたのだが、他の人たちにはまだピンとこないようであった。



次に萌が当家持ち込み「グレンモア」をリクエストしたのだが、D&DファンのSFとKVのリクエストで「D&D Lord of Waterdeep(ウォーターディープの支配者たち)」 になってしまった。これは拡大盛り上がり要素がなくやや単調なゲームなんだよなー。しかし断るわけにもいかず、そこから1時間半近くの長いゲームとなった。

もう一度やってみてよくわかったが、これはやはりカラーキューブを集めてポイントに換金するだけのゲームである。「クエスト」というのは「チケット・トゥ・ライド」のチケットと同じで必要な色を集める仕事なのだが、その手順をワーカープレイスメント=早い者勝ちで複雑にしているだけだ。もしチケライに鉄道マップがなく、『赤4青3黄2を揃えたら9点ゲット』というチケットを達成していくだけのゲームだったらまったくヒットしなかっただろうが、これは大筋でそういうゲームだといえる。

 たとえば「アンダーマウンテンを急襲!」というタイトルで、実際やることは白1黄2黒4紫1とキューブを集めるだけって、考えてみればなんだそりゃではないか。これよりは「東欧の覇者!」とかいうタイトルで、同じく白1黄黒4紫1キューブを集めペトログラード→ソチあたりを地図上でビジュアルにつないだほうが、納得感も達成感もずっと高いわけである。

むろん建物のオーナーシップ、ラウンドごとの賞金アップ、陰謀(攻撃)カードなどさまざまな要素を盛り込み変化をつけているが、大筋は色集めなのでチケライのカードマネージメントのシンプルで軽い面白さを上回ることはない。さらにチケライと違い Waterdeep はクエストを捨ててもペナルティはないので、それもゲーム性を削ぐ。必死に工夫しなんとか達成しようという気持ちになれないのだ。

似たゲームであるストーンエイジは色集めの作業自体を派遣ワーカーの人数とダイスで楽しくしてるわけだが、このゲームの独自性である建物のオーナーシップ(メリットの大きな新設建物を使うと、建てたプレイヤーに利用料が入る)はそんなに面白くもない。「どっちもやりたい」というジレンマならば楽しいが、「それはやりたくないが....」という種類のジレンマなのである。

ゲーム内で単純に盛り上がるのはやはり「陰謀」カードによる攻撃で、ディクシットの報復でSFがなにかといえば俺を攻撃し、ワイワイやれたのはよかった。しかしそれはゲーム盤上の面白さではないしな。

また、前回やったときは「俺にはわからぬが建物名やクエストの内容がD&Dファンにはスペシャルなものなのだろう」と好意的に解釈したのだが、今日一緒にプレイした3人のD&D者はクエストに必要なリソース情報だけを参照し、そのタイトルなんぞは気にしちゃいなかった。D&Dの舞台設定が醸し出す効果なんて別になかったのである。ここに至り、なんでこのゲームが BoardGameGeek 人気投票歴代 40 位なんだ、アメリカンゲーマーおかしいだろうと腹が立ってきた。歴史的名作に与えられるような順位である。この程度のゲームがチケライ (76) やカルカソンヌ (88) のはるか上位だなんてどうかしてるよ。D&D好きなだけで投票してるだろうキミたち。

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俺と萌は熱のこもらぬ散漫なプレイで終わり(それでも上位と得点上の大差はなかった)、結局これが最後になり他のゲームはできず帰宅。ふー。これに比べてチケライはなんと見事に簡潔で、グレンモアはなんと戦略性が高いことかと帰りの車の中で萌と話す。まあクイックで戦略性が高く俺と萌が大好きなグレンモアも、5人戦だと1人分のタイルが減り時間が長すぎて楽しくないという評があるけれどね。今日は6人だったので俺が抜けて指南役となり、それを試してみたかったな。

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■12/07/03(火) □ 胸踊るボードゲームの精緻感
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用事で隣町に行き久しぶりにD&Dストアにボードゲームを探しに行ってみると、60 くらいで髭モジャのオッサンが店主相手に嘆いていた。

「俺はD&Dは好きだよ。だけどガマンならねえのは、マーケットを専有して他の RPG を全部殺しちまったことさ。昔はもっといろいろあったんだ」。
「(店主)それは言えるね」
「だろ?」

――なんという深い趣味の世界でございましょうか。TRPG 趣味の底力はすごい。ユーロを売るボードゲームストアはバンクーバー圏全体で3軒しかないのに、D&Dストアは小さいけどこうしてあちこちの町にある。趣味としての浸透の度合いと歴史が全然違うんだろうな。昨日も思ったけど、日本だと精緻系男子趣味の主流は鉄道やプラモデルとなり、北米ではD&Dなんだろう。
後日判明したが、この気難しそうなオッサンはうちのMKの知り合いだった。「一緒にやったことがあるけど厄介な人でさ、パーティを助けるべき場面でただただ自己中に働くもんで、みんなウンザリしてたよ」とのこと。見た目通りの難儀な人だったという(笑)。

昨日「お邪魔者」で分析や戦術など関係なく攻撃し合いゲームを楽しむSFとKVを見てても思ったが、彼らカナダ人ゲーマーはいい意味で子供っぽいんだろうな。そして「自分が何かを演じる(ロールプレイ)」方面に情熱を傾けることが好きなのかもしれない。そういえば遊星さんのゲーム史論記事に、『アメリカ人はずっと一貫してミミクリ(模倣)の遊びを重視している』というラインがあった。

ショップでD&D用のこういう厚紙3Dマップなどを見ていると、「これで遊びたくない奴はいない、そんな奴はおかしい」と思う。D&D自体は遊びたくないんだけど、こういうのはホントうらやましい。かわいすぎる。

しかし、ドイツ/ユーロボードゲームのよくできたメカニクス(ゲームルールの仕組み)にも、こういうマップに似た男子の胸踊らせる精巧な細工っぽさ、精緻感があると思うのだ。それでもし部品までチマチマと精緻だったらもうたまらない。愛さずにいられない。ゲーム好きが写真を見、ルールを読むだけでうっとりするのは、工芸品を愛玩するのに似ている。というか同じである。

俺は東洋のオジイなので、ロールプレイをするにはシャイで想像力に欠ける。鉄道や模型や盆栽はやらんが、喜びはやはりそっちの細密方面にある。ボードゲームのメカニクス内に心を彷徨わせ、指先で自分の庭を組み上げたい。ボードゲームをやりたいなあと、そればっかり考えている。新ゲームがほしいほしいほしい。

2012/07/03

日記『日本語物語のはじまり』

「【Euro】香川は大丈夫かしら」「生産的な夏休み」「日本語物語の添削」「ゲームを拡張したくなる」「スペインに退屈」

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■12/06/23(土) □ 日本語物語のはじまり
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萌の夏休みが始まる。この夏は家で一緒に日本語をやり直そうと決めたので、勉強の取っ掛かりとして母Mの提案で、萌が好きな物語ライティングを日本語でやらせることになった。するといまどきの日本語 IME の賢さのおかげで、音さえ知っていれば漢字がスイスイ入力できるので萌も気持ちいいらしい。俺のところへ走ってきて「○○って日本語でなんていうの?」と語彙を習っては PC に戻り、Word 上のテキストが遠目に黒く見えるくらいの漢字量で爆発的に入力している。

萌は完璧主義なので完成するまでは見せられないと隠しているが、SF タッチの冒険譚らしい。ある程度書いたところで添削指導しよう。文法を直し、語彙や語法を教えていけば、学習法として文句なく楽しく有意義だ。萌にとってこれ以上の学習法は思いつかないくらいだな。この手があったか。M先生えらい。さすが教育専門家。



萌の日本語学校の同級生たちは萌より日本語読み力がかなり高いが、親御さんに話を聞くと家でマンガを読むかどうかがカギとなっているらしい。お母さんと友達の影響で英米カ文化漬けの萌はマンガをまったく読まないし日本語 TV も見ないので、そこで違いが出てくるわけだ(日本語に強い子供らはおそらく逆に、萌ほど大量の英語情報を摂取してないだろう)。

いっそ日本語学校でマンガを必読書にしてくれたらなあなどと安直な俺は思うわけだが、日本語学校はどこもマジメで『日本の子に負けない力をつける』なんていうモットーを掲げているので、日本の公定教科書を使い、週に一度しか教室に行けないカナダの子供にとってあまり現実的と思えない教程をカッチリと続けている。もちろん日本の学齢よりは教科書を1年半分ほど下げてあるが、それでも萌の力と教程の乖離は年々甚だしくなる一方で、俺は萌にふさわしいリーズナブルな日本語教育を与えたいとここ数年ずっと思っていたのだ。

で家族と本人の相談の結果、読みも意味も覚えてない単語の形だけをドリル帳になぞるような勉強はもうもうここまでにしようと決めたわけである。他の日本語お母さん方とも協力し、日本語能力検定試験(英検の日本語版)の教材などを使って、俺が萌に合う課題を与え教えていこうと。

日検のサンプルテストを萌にやらせてみると、もともと日本語ネイティブなので聞きとり問題は朝めし前に正答できるし、漢字や語彙も書き取りではなく4択なので、「これだ」と過去の勉強記憶の中から答えられる。当用漢字と熟語を網羅する日本の教科書に比べたら内容が生活シーンに絞られているので単純で、うまく使えばクイズのような感覚を持ちつつ萌の弱点である「読む力」を鍛えられると思う。この資格取得を目標にフレキシブルにやってくのはきっと楽しいだろう。



『日本の子』のようにだなんて高望みはしないが、現実的な努力量で有意義な学習体験と学ぶ喜びを得つつ、いつか巡り合ったら素晴らしいマンガも読めるようになってほしい。そのスタートとして、かな漢字変換の力でガンガンとプロダクトを作り上げていくこの夏のライティング実践は、実に好ましい。楽しいし、お互いにやる気がするしね。

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■12/06/26(火) □【Euro】香川は大丈夫かしら
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【スペイン-ポルトガル】はすさまじい試合だった。イタリーに続きポルトガルも、高い位置での躊躇ないタックルと速いフィードでスペインを攻め立て、攻め続けることでスペインの攻撃をしのぐというすごいサッカーに打って出た。それがあと少しで結実しそうだったのだが、いかにロナウドでも全速カウンターからでは腰の入ったショットはなかなか打てず、やがてポルトガルの足が止まり PK 戦という試合。惜しかった。

この試合を見ていてつくづく思ったが、ビッグクラブの超一流選手はやはりみんなタダモノではない。こいつすごいなと思って所属先を検索してみると、「レアルのコエントラン」「マン U のナニ」となるほどの答えが出てくるのである。ナニが狭いライン際で全速ドリブルを仕掛け、潰されても最後の最後まで抜けようともがくところなどを見て、香川はこんなすごい連中とポジションを争うのか大丈夫かほんとと思った。

香川はボックス内でボールに触り、コントロールしてゴールするのはワールドクラスにうまいかもしれないが、CL や Youtube 映像で見る彼はこんな高度な技術を伴う肉弾戦に立ち向かい、不可能を可能にしようとする「タダモノではない」選手ではない。「J リーグが誇る名手」的な選手だとは思うが、たとえばドリブルシュートではかつてのセレッソ森島よりうまいとも思えないのである。モリッシーがブンデスに行っていたらきっと大男たちを手玉に取ってくれただろうが、この2期の活躍はつまりそういうことではないかと思う。

そんなわけで、香川がナニらと競い、こうした壮絶な試合で大仕事をするシーンが、俺には想像できない。もちろん頑張ってほしいとは思うけど。買うならホンダを買ってほしかったぜマン U。

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■12/06/28(木) □ 生産的な夏休み
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萌は毎日割合生産的でいい夏休みを送っている。去年も同じで、6月あたりはずっと最低な機嫌で過ごし、夏休みになったらコロっと直ったんだよな。萌は学校を楽しみ大好きだが、そこはガールズ政治のエゴとストレスがうずまく場でもある。年度末はおそらくみんなのストレスが最強に煮詰まって、言動も荒れるのだろう。

一緒にあれこれ仕事を片づけ、夕方バドミントンをしていると小雨が降ってきた。雨の匂いがする。雨が降っても寒くないのは日本みたいで気持ちがいい。もうじき行く日本の夏を思い胸が高鳴る。

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■12/06/29(金) □ 日本語物語の添削
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萌の日本語ライティングを初めて添削した。文体が全編現在形で書かれており不自然なのでなぜかと問うと、大ヒットジュブナイル小説「ハンガーゲーム」がそうなっててカッコいいからだという。本を見てみるとたしかに、「I go to the class and talk to her. No clue.(あたしは教室に行く。そこで彼女と話す。手がかりなし)」てな感じのドライな文体になっている。なるほどね。子供ってそんな文体もコピーするもんなんだなあと改めて感心した。

こういうのってフォークソングなどの影響でアメリカ文学に生まれ、ビジュアルなイメージを喚起するので映像文化の発達と共に定着したスタイルなのだと思うが(つまりファーストパーソン・シューティング的な文体)、しかし全部現在形というのは日本語では相当に変である。過去形と現在形を混ぜるのはリズムを出すために誰でもやるけれど、全部そうだと単に時制が間違ってるように見える。それでもそうしたいと萌はいうので、日本語じゃこれはヘンなのだと説明したうえで、そのままにして進むことにした。



内容は面白い。パスコードやキーボードが埋め込まれた机などといったガジェットに満ちた未来世界で、学校にモンスターが押し寄せるというお話。これは書いていてワクワクするだろう。俺が小学校の時に授業中に書いて先生にビンタされたマンガみたいな内容だ。

そして新しい言葉を覚えるにはやはり、これはすごく効果的な学習法だと感じる。

「ここは日本語だとこういう言い方はしないじゃん。○○○でしょ」
「あ、そうかそうだね」


と手直ししていけるのである。それを漢字で書かせ、後ですらっと読めるまで何度でも音読させれば、記憶定着法として相当にイケるんじゃないだろうか。いい感じです。

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■12/06/30(土) □ ゲームを拡張したくなる
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「修道院と市長」コマたち
グレンモアの終盤をもうひと盛り上げするために、使ってないカルカソンヌ拡張「修道院と市長」の家と車コマを使い何かできないか考えてみた。

【市長】タイルの位置入れ替え?
【馬車】ワーカーを載せ、アクティベートで2マス移動?
【修道院】まわりを囲んだら9点?

てな感じで考えてテストプレイしてみると、見た目はすごくよくなるのだが、やっぱりゲームバランスが崩れてしまう。「馬車」は使い道があるしゲームのテーマにも合うと思うが、「寺院」や「市長」はこじつけくさすぎるし、無理があるな。

結局いい案は何も思いつかない。こうしていじろうとしてみると、グレンモアがいかに完成したゲームかよくわかる。実際 BoardGameGeek でもバリアント(オプションルール)案の投稿はほぼゼロだしな。しかしゲームを拡張したいというこの気持ち、これこそゲームデザインだ。カルカソンヌなど有名ゲームの拡張だって当たり外れが激しいわけで、ユーザーが拡張して悪いわけもない。面白いかどうかは別にして。


かわいい「グレンモア」用家畜コマ
もしグレンモアに拡張を入れるとしたらあのアグリコラみたいな牛や羊のコマを買い、村で動物を育てたいな。今は牧場のアクティベートで産出し即売るわけだが、エサを与え飼って殖やしたいのだ。しかしまあそれが「アグリコラ」なのかな、「アグリコラ」を買えばいいのかなと思うんだけど、長大ゲームはなあ......。

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■12/07/01(日) □ スペインに退屈
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イタリー惨敗をP家で観戦。2点取られたところまでは1点返せばまだ楽しめると思ったし、大差がつくようなクオリティの差は両チームになかったと思うのだが、モッタの怪我で万事休した。イタリーは運もなかったし、日程による疲れもあったのだろう。スペインは初戦のドローからイタリーを学習してより慎重に見えたしな。

スペインとバルサのパスサッカーに、俺は退屈している。今大会のスペインへのブーイングで、それは俺だけじゃないのだと気がついた。徹底してパスをつなぎ、失ってもすかさずつぶして相手に攻撃させないそのやり方は、サッカーをクローズなものにしてビッグゲームの楽しさを半減させてしまう。もちろん相手はそれを破らなければならないわけで、文句は言えないわけだが。

その籠の鳥的延々と長いパス回しにも興趣を感じないし、勝負シーンでも走っている選手の足元にパスが行きシュートが打たれることがあらかじめわかり、意外性を感じない。スペインのシュートはほとんどがパスで作った「数的優位」を生かしたゴールなので、わかってもいても DF は止められない。ブロックに行けない。だから最強なわけだが、そういう見てて成り行きがわかる得点にはスペクタクルではなく既視感を感じてしまう。

初戦でのイタリーと準決勝でのポルトガルの無茶苦茶に強い縦パスには、スペインがクローズしようとする籠をぶち破りオープンにするという強い意志を感じて興奮させられた。ピルロが前に出すタイミングの速さ、強すぎるコエントランのパスをコントロールしてゴールに向かうロナウド、そういうパス展開にはすごいスリルを感じる。バロテッリのアナーキーなほどに強烈なゴールには、あらかじめ予想したものではないものを目にする快感を感じるのだ。

それだけに、イタリーの持ち味が出なかった決勝は残念だった。ま、あと2年でイタリーはもっとタレントが出てくるだろう。今のカッサーノ以上の FW がセリエにいないとは考えにくいし、バロテッリは真のワールドクラスになっていくだろうし。スペインに肉薄していくチームがいくつも出てきて、この先に楽しみがつながる大会だったな。

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カナダデーのお祭りに行っていた家族をピックアップして、SH家へ。晩飯後「お邪魔者」初の4人戦となる。鉱夫 3 お邪魔者 1 ではお邪魔者が弱すぎるとの評を読んだので 2-2 にしてみたのだが、これだとやはりお邪魔者が有利すぎた。そのバランス感が微妙だな。

しかし自分がお邪魔者であるときの「(いかん、このままではゴールされしまう、もう1人のお邪魔者は誰なんだ、助けてくれ!)」という焦燥感はやはり楽しかったな。みんなもっと慣れて戦術話術の可能性に気づいたら、もっと盛り上がると思う。