2014/12/22

日記「帰れない二人」

「ジョージア海峡冬景色」「東京家族」「幸福の黄色いハンカチ」「パンク炎上」

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■14/11/28(金) □ ジョージア海峡冬景色
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 Mの弟ST夫妻を訪ねバンクーバーアイランドへ。寒い。ジョージア海峡冬景色。バンクーバー島へ向かう人の群れは楽しげで、こんな寒い季節にこれほど多くの人がいったい何しに行くんだろうと不思議だ。観光などできんだろう。みんなうちみたいに人を訪ねて行くのかな。

 青函連絡船を降りたところで雪になった。風も強く視界が悪くなりこれはブリザードや。明日は晴れるとの予報なので積もらないと思うが、いやはや。

 ホテルはなんと駐車場に空きがないほど満杯だった。なぜ? この島に温泉やうまいものがあるわけでなし、カナダ人にとって冬の旅行ってなんなの(笑)? わからん。まったくわからん。

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■14/11/29(土) □ 帰れない二人
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 窓から遠浅のパークスヴィル海岸の朝を眺める。岸辺のボードウォークに雪がうっすらと見える。なんと美しい景色かと妻はご機嫌で歌を歌っております。よかったよかった。

 朝 Wifi で「マッサン」を見る。出先で無理してまで朝ドラを見たくなるのは「あまちゃん」以来だ。ついに政春の鴨居商店入りが決まった。「エリーのおかげなんじゃ、料亭まで用意してくれたんじゃ」って、本質はそこじゃなくて政春がなんと言おうと舟の舳先を鴨居に向け続けたことじゃん(笑)。まあいいか。舟を漕いでいきましょう、愛する人よ。Both shall row, my love and I。

 寒くて外に出られないので窓から冬の海を眺めながら、各自家での日常と同じことをやっとります。萌は友達とテキスト、俺はツイッター読み、Mは TV と持ってきた仕事ファイルの片付け。午後は人を訪問する予定なのだが、今のところ家にいるの同じなわけで金の無駄感が強いが、(冬の)海を眺めながらというのがMにはとても大事なことらしい。理解はできんが君が幸せなら俺もうれしいよハニー。Both shall row, my love and I。



 風が強く波が荒かったのだが、カモメはなぜか波打ち際にプカプカ浮いている。白波をかぶりそうになるとフワッと宙に浮いてやり過ごす。陸に上がればいいのになぜそんな面倒をするのだろう。






 散歩をし地元の人気レストランでランチをいただき、午後遅くに今回の旅の目的であるST家へ。難病で余命わずかとされる奥さんのKRは想像よりもしっかりしていた。久しぶりと声をかける一人一人にニコニコとうなずく。意識はあるように見えるが、もう話すことはない。

 「彼女のソックスを新しいのに替えたら足首の血行が悪くなって足がむくんじゃったんだよ! まさかだよね!」と、STがKRをいかに快適にしてやるかということに今も情熱をもって世話をしており、おかげで雰囲気に暗さがなくそれが救いだと思う。KRの言葉はもうあまり意味を成さないようで、彼女がSTの耳元で何事かを囁くとSTが「なに? なんだって?」と笑って聞き返す。それがおかしいのかKRも笑う。言葉はもう通じないのに愛が通じている。その光景は感動的だった。もう星は帰ろうとしてる。帰れない二人を残して。

 俺は凄腕ドラマーであるSTとのジャムセッションだけを楽しみにこの旅にやってきたのだが、それどころじゃないんだなと会ってみてわかった。(ちょっとは考えろよ俺バカバカバカ…)と途中で理解し、コソコソーとギターをケースに戻したのであった。




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■14/11/30(日) □ 東京家族
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 日本語 TV【東京家族】なぜ山田洋次監督が「東京物語」をリメイクしたんだろう、元と違うところはどこなのかと間違い探しゲームみたいな気持ちで延々と見た。前半は忠実なカバーなのだが、徐々に山田洋次風味が入ってきてそのどれもが陳腐な現代批評としか感じられない。

 山田洋次の腕も落ちてるんだろうが(この前作「おとうと」も鶴瓶が結婚式で酔って醜態を晒すあたりの陳腐さに、こりゃ見る価値なさそうと15分で中断した)、ともかくやはりオリジナル「東京物語」は本当に大傑作だったのだなと痛感する映画だった。

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■14/12/06(土) □ 幸福の黄色いハンカチ
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 【幸福の黄色いハンカチ】字幕のデキがよかったら家族で見ようと思ってたのだが、セリフ訳の省略が多すぎてわかりにくい気がしてとりあえず1人で見る。健さんの人物像も鉄矢と桃井かおりの関係も、それぞれのキャラを知らずセリフが抄訳では呑み込みにくいんじゃないかなと考える。

 昔見たイメージよりも健さんが早口でたくさん喋る。口調もきつい。彼の熱情と激情も記憶より強く暗く、70 年代日本全体が(田舎なせいもあるけれど)記憶よりも暗い。過去の「事件」などもう少し弁解の余地ある出来事なのかと思ったらそうでもなかった。面白いけれど、ガサガサしたハードな昭和の映画だったんだなあ。

 しかし車が夕張を目指し始めると、もうウルウルが止まりませんでした。一人でじーっとこらえていたので頭が痛くなってしまった。やはりいい。しかしもし家族に見せることが可能であれば、「はるかなる山の呼び声」のほうが健さんと倍賞さんのよさをうまく伝えてくれそう。

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 「幸福の黄色いハンカチ(77)」から「遙かなる山の呼び声(80)」は調べると2年くらいしか間はないのだが、昔と現代という感じがする。武田鉄矢の車が無骨な箱型ファミリアから瀟洒なカリーナ?になっていて、車内音楽がイルカ「なごり雪」からゴダイゴ「モンキーマジック」になっている。大きな時代の変遷を感じる。ゴダイゴが出てきて英語のめっちゃこなれた曲を歌い出したときはびっくりしたし、あの箱型の古臭いファミリアが FF でおしゃれな台形ファミリアになって大ヒットした時も新鮮な感じがした。1979~80 年はいろいろあって日本が昔から現代になった年だったのかもしれない。

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■14/12/11(木) □ パンク炎上
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 【マッサン】エリーの不注意による階段落ち流産というセンセーショナルな絵が描かれ、腹を立てた俺が「ファック」「クソ脚本ブタのケツ」と書いたパンクツイートがプチ炎上してしまった。

#マッサン ああこんなこと。ひどすぎる。軽率だったとエリーは自分を責め、それを止められなかったと政春も自分を責め、英一郎と鴨居も死にたいほどに負い目を感じる。そこまで苦しみをアンプで拡大して何になるのかね脚本よ。なんなら近所も町も国も全部巻き込んだらどうなんだ。ファック。


 こんな感じで数本。で俺への批判はそこまで言うなら見なければいい、批判するなら言葉を選んでほしい、公共の場でそんな言葉を使う気が知れない、せめて #マッサン タグをはずしてほしいという感じ。そうか。朝ドラファンにパンクは通じないか。気分を害させてすいませんでしたと批判ツイートにリプライし、パンクツイートを削除する。

 ドラマに腹を立てパンクになったことは表現としては間違ってると思わないし、「ファック」もその時点の俺の気持ちを正確に表している。俺にはあれ以外の言葉はなかった。だが《ツイッターで勝手に表現を繰り広げるのはいかがなものか》と問われると、たしかにと頭を下げざるをえない。ここは自分の力で人を集めたステージではなく、一般の人が歩く公共の表通りなのだから。知らない人にはただ不快な奴と見えたのだろう。ロックな言葉が通じる日本は俺の幻想だった。自分のツイッター世間知らずさが恥ずかしく寒い。がっくし。



 今日あった惨劇がこの先の見事な展開につながるのかもしれない。しかしたとえ「そうか後から思えばこの感動は階段落ちだからこそ!」という展開になったとしても、今ここでついてしまった傷が消えるわけではない。作劇上のニーズやデマンドによってチェスの駒みたいにポーンと不当な絶望マスに持っていかれるのを冷静に見てはいられないほど、俺たちはエリーと政春を好きなのである。この物語が好きで見続けたいからこそ、この仕打ちには耐えられないのだ。

2014/12/20

日記「エリーの英語長文」

「スカイウォードソード終了」「桐島、部活やめるってよ」「健さんの訃報」

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■14/11/15(土) □ スカイウォードソード終了
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 最後の敵との戦いが面倒で夏中放置していた【ゼルダ・スカイウォードソード】を、今日ようやく終了した。バトルは嫌いだがめんどうな積み重ねは厭わないMが虫を集め3分間無敵ポーションを2ボトルも調合しておいてくれたので、ラスボスとの戦いは2度めのトライで勝てた。前作トワイライトプリンセスはラスボスだけで5回くらいやり直した気がするので、あっちのほうがはるかにハードであった。助かった。ゲーム世界と謎解きが楽しければ、ボス敵は多少歯ごたえ不足でも俺は構わないのである。

 エンディングは短かったが非常によかった。あちこちの風景を見せてくれたので「ここは面白かったよね」と語り合う。ゲーム全体の厚みは「トワイライトプリンセス」のほうがあった。ストーリーもダンジョンも。スカイもすべてのワールドが面白かったが、ストーリーと世界は狭かった。広かったのは空だけであった。その広い空の飛行移動に苦労させられた割には、遊園地島とかまるで発展しなかったしな。エンディングで従者ファイとのお別れシーンがちゃんとあるのだが、任天堂はこのどんな緊迫時にも「バッテリーが減ってますご主人様」と言ってくる超イラつくやつにプレイヤーが愛着を感じてると思ってるのだろうかと失笑した。



 Mは自分が救った世界を周り人々が幸せになっているのを見たかったというが、それができた RPG はゲーム後も延々世界を戦って歩けた昔のドラクエ3?しか知らない。あれは世界中の人たちのテキストが「ありがとう、世界は平和になりました」と差し替えられてただけだが、今のゲームはもっと大掛かりなのでクリア後の世界までは作り込めないのだろう。

 しかしどの RPG を終えたときにも思うのだが、苦労してクリアしたご褒美に冒険の旅を振り返るリプレイ機能くらいはせめてつけてほしい。ダンジョンや村々をゆっくりと、敵との遭遇を心配せずに眺めて回りたいではないか。スーファミの「マザー2」に、各地のイベント後に記念写真を撮りあとから眺められるご褒美があったような気がする。あれから20年でテクノロジーがこれほど発展したのに、記念のビデオも撮れないのかい。

 「トワイライトプリンセス」のオープニングムービーはゲームのハイライトシーンを3分ほどにまとめていて素晴らしいデキなのだが、リプレイが無理なら何度見ても気持ちがいいくらいのああいう映像を、エピローグとしてゲーム後にじっくりと味あわせてほしい。そしたらもっと後味がよくなるだろう。


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■14/11/16(日) □ 桐島、部活やめるってよ
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 【奥様ゼルダ・トワプリ】うちの奥様は「これほどの達成感が他で味わえるだろうか」とゼルダの謎解き冒険を気に入っており、まだ未プレイの「トワイライトプリンセス」にすぐさま突入。俺と萌はやりこんだゲームなのだが、ほどよく忘れているのでみな楽しい。

 思うに任せぬ狼の操作性に奥様はイラつきつつも、ハイラル城の屋根を渡り城に忍び込み村で道具を探しと、テンポのいい冒険を楽しんでおられる。ミドナもかわいいしね。いや最初にやったときはなんだこいつと腹も立ったんだけど、二度目だと彼女の全部が許せる :-) ストーリーも二度目だとすべてのシーンの意味がよくわかる。やっぱりどんなゲームのストーリーも初回ではハァ? なもんだよなと今Mがやってるのを見ていて思う。

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 映画【桐島、部活やめるってよ】「クールキッズとそれ以外」のお話かな、つらいかなという浅い理解で見始めたけれど、いやめちゃ良かった。懸念したような浮き世の価値観が対立する話じゃなかった。すれ違いも肩のぶつかり合いも無理解も勘違いもあるが、それぞれが持つ光をほんの少し交わすこともある。素晴らしい。

 この映画をこそカナダの高校生の萌に見せるべきなのだが、萌は俺がオファーするものは TV でも音楽でもすべて拒否する反抗期なので、素直に見てはくれない。クリスマスくらいにメルも含めて3人でじっくりと見る機会をつくろう。

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■14/11/17(月) □ 健さんの訃報
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 ああ健さんが。つい最近…去年かな、NHK にたくさん出たばかりだったのに。渥美清が亡くなった時もショックだったなあ。海外に住んでる自分にとって、彼らは日本のアイコンだったんだと思う。

 一人健さん追悼映画祭として『遙かなる山の呼び声』を見た。高倉健、倍賞千恵子、吉岡秀隆、ハナ肇。健さんがというよりも倍賞千恵子さんがなんとも愛おしい。彼女を悲しませることがいつか起きそうな予感が耐えがたいほどに彼女が愛おしくなっていく2時間だった。2時間がそのためにゆっくりと使われていく。いやー映画って本当にいいですね。

 あまりにもよかったのでレビューを読んで噛み締めつつ寝たのだが、「山田洋次の最高傑作かも」「高倉健作品で一番好き」という声も多数見つかるほどの名作なのであった。知らなかったがこれが見れて本当によかった。これを TV でもしやってくれたら、家族にも見せたい。

 物語と演技は絶品だし絵も素晴らしい。北海道の牧場地帯ってカナダにそっくりだ。公開が80年だからすでに現代なのだが、やはり本州のその時代とは風物が違うな。日本経済の繁栄が届きそうで届かなかった昭和の僻地の匂いがする。

 引退した名馬を見に日高地方に行ったことがあるが、そこの町場で感じた寂寥感はカナダの僻地にも同じようにある。一緒に日高に行った父も健さん同様乗馬好きだったので、草競馬のシーンも超懐かしかった。見ている間俺の顔はずっと、微笑か涙顔かのどちらかだったのです。

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■14/11/21(金) □ エリーの英語長文
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 「マッサン」一時帰郷中の広島で、将来生まれるだろう子供について夫婦が語り合う。商売を継いでここで子供を育ててもいいと言う政春。大阪よりも広島の田舎のほうが二人にとってハーフの子供を育てやすいのだろうか。わからない。しかしマッサンは気弱になっているが、これは先に進まないウィスキーづくりの停滞ゆえの弱気だからね。酒を作りたくなっているわけではない。

 そしてエリーが日本での来し方を語る。「本当にハードだったわ。日本のことなんて何も知らなかったし。からかわれたり。仕事したくてもなかったり。

My love, I will be the first to tell you how hard it is(大変じゃないなんてとても言えないわ). …だけどいつもマッサンがいてくれたから」

 時代が違うから彼女の本当の大変さはわからない。だけど結婚というのは時代が変わっても同じことだな。相手がいてくれるから、ただそれだけでこんなハードなことができるのです。俺が自分の境遇を思ってもそれ以外の言葉は出てこない。でなければなんでカナダで生きてこれただろう。生きていけるだろう。

 「だけど…いつもマッサンがいてくれたから」というのはそのまま逆も当てはまる。エリーがいてくれたから政春はただのドリーマーとして歴史に埋もれて行かなかったのですという物語。エリーは政春を支えるためになぜかやってきた妖精みたいなものだね。あなたが好きという以外に何も理由はなく。

 「だから私たちの子供もきっと何があっても大丈夫、安心して」と説くエリーの言葉に、マッサンがちゃんとありがとうと言ったのがよかったな。いつもは泣いてガーガー名前を呼ぶだけだもんね。これだけでも広島に帰り労働に汗した効果があったといえよう。

 早苗が給金をくれ、「こんなバカを置いてこれで国に帰りなさい」と、本気であっても違ってもとにかく優しさ/親切さがギュッと詰まった風呂敷をエリーに押し付けてくれると、ピン子いいじゃんと俺はコロッと気が変わってしまった。前に文句を言ってすいませんでした(笑)。エリーもきっとそうだったろうね。



 エリーが「マッサン」はじまって以来初めての英語長文を喋ったのだが、言葉と字幕が例によって違うのが気になる(誤訳ではなく違う。字幕はおそらく脚本の日本語原文で、それを元にシャーロットさんの台詞チームが自然な英文を作ってるのだと思う)。しかし今回は訛っていて聞き取れない箇所があった(笑)。そこですまんのうとムスメとMに見せて教えてもらいました。カナダ人さすがやで。全部わかるで。

 ちなみに聞き取れなかったのは [I've been] made fun of(からかわれた)、I like job - I've yet to find one(仕事は好きよ―まだ見つかってないけど)の2点。聞き取りは難しいけど彼女の訛りは実に味があって良い。

 そして最後の一言「My love, I will be the first to tell you how hard it is」。こういう言い方は初めて聞いたので奥様に聞くと、ほんとうに大変だ、そうじゃないなんてとても言えないわという強調だそうです。つまり I'll tell you の上位か。

 大事なことだからと英語でも言葉を探しつつ慎重に、そっと喋るエリーが実によかった。英語だとシャーロットさんはやはり自在に言葉を操れる。しかし驚くべきはそこから日本語に切り替わっても彼女の演技は何も変わりなく素晴らしく、政春の胸をわし掴みオイオイ泣かせてしまうことである

2014/12/10

【カメラ日記】図書館のクリスマスツリー



図書館のクリスマスツリー。ふわふわしたものとリボンみたいなものでできている。うちは毎年使い捨ての生木を買ってるのだが(正月過ぎにグリーンゴミとして回収してもらう)、こういうのもいいですね。缶詰の山はチャリティで、クリスマスに貧窮家庭に寄付されるもの。

図書館には週に一度お使いで行くのだが、司書の女性の髪型が今日ガラリと変わっていた。おおキレイですねと言いたかったがしかし、公僕である司書さんにそういうことを言ってカルチャー的に許されるものなのかどうか、ちょっと分からない(笑)。ラテンな国ならOKな気がするけど、やっぱり黙っておこう。

望遠レンズ MZ40-150mm で近距離のものを撮ると、くっきりと立体的でいい感じに撮れる。40mm スタートでは室内など近くが撮れなくて不便なんだけれども。

2014/12/04

【カメラ日記】冬の釣り師たち




市内の橋を渡るときに川に釣り師がいるのが見え、川べりに降りてみた。おお寒いのにやっとるやっとる。リバーランズスルーイットである。15cmくらいのマスかなにかをキャッチ&リリースしておられた。カウボーイみたいなおじさんもいたよ(笑)。

しかし MZ40-150mm の 150mm-1/160s(2枚目)はハンドグリップを使ってもやっぱりまだブレる。条件がよさそうに見えても連写しないと確実にヒットコマは残せない感じ。うーむ。

2014/11/27

日記「弾き語りをやってくれ」

「クールキッズという歌」「シャーロットさんの記者会見」

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■14/11/01(土) □ クールキッズという歌
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 萌を迎えに車を出すと、晴れた外の寒さに驚いた。冬だ。タイヤを交換しないと。

 車の中で萌が俺にこの歌を聞かせる。


Echosmith - Cool Kids

――彼女は言うの、『あたしもクールキッズみたいになれたらなと思う。苦労せず周りにフィットしてるみたい。なんでも手に入るし。人の視線も気にならないんでしょ。あたしは背景のその他大勢』

 いいね。歌詞がすごくいい。クールキッズ(人気のある奴ら)とそれ以外というのは、日本にもカナダにもある普遍的な悲しみだ。

 しかし家に帰ってからこのビデオを見て一気に俺の気持ちが下がった。歌ってる子きれいじゃん(笑)。カッコつけてるじゃん。明らかにクールキッズ側の子じゃん。

 これはギークっぽいバンドメンバーや背景に写ってる人たちが歌うべき歌だ。売れないバンドを売るために事務所が声のきれいなモデルを探してきたみたいに見えちゃう。そしてきっとそれは大筋外れてないだろう。

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■14/11/05(水) □ シャーロットさんの記者会見
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 「マッサン」シャーロットさんの英語記者会見がアップロードされていた。第一声で「ああうちの親がこれを見れたら、喜んでもらえるだろうなあ」と喋りだしております。Youtube だから見れるよきっと。 見ながら概略をツイッターに流す。


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今朝皇居の前を通りながら、いったい何がどうなってここにいるのだろうと非現実感を感じました。いまだにこれをやっていることを信じられない。本当に名誉に思うしもったいないほどだと思うし感謝しています。女性の一生を描き日本で撮影というオーディションの概要を見たとき、「すごいな。まあ自分がやれるわけないけど」と思いつつ応募しました。そして米国のほとんどの女優がそうであるように生活のためにさまざまな仕事をし舞台の仕事をしながら過ごしていたら、スクリーンテストを日本でと連絡が来たんです。完全に忘れていたのに! ジョークかと思ったわ。

そしてわずか10日後に日本へ飛んだのですが、心底怖かったです。一言も日本語を喋れず、知る顔もなく。オーディションを受けたのですが台詞を忘れて手も脚も震えまくって、けれど演技は止めずに英語と仕草と表情、使えるものすべてを使い演じ続けたんです。

オーディションでもう一つ覚えてるのは150回分の台本がそこに積んであったことで、これは大変な仕事なんだぞと応募者に警告するためだったと思うんです。でも私はそれを見てウォウこれはエキサイティングだわと思いました。もちろん今になって『大変』の意味を痛感していますが(笑)。

このすべての経験は…いつも…私の人生で為したことで最もハードであり続けています。他に言いようがないし嘘はつけない。毎日が。毎日がです。最初の頃は本当に、毎日が人生で最もハードな日でした。たとえばこういうスピーチをしなければならない日に、朝起きてみたら言葉を忘れていて、「仕方がないからそのスピーチの【音】だけをクイックに暗記する、みたいな。最初はそんな感じだったんです。今は言葉を理解できてきたけれど。

それほどにハードだったのだけれど一方でこの仕事は、私の人生で最も大きな報いを与えてくれています。女性として女優として職業人として、強くなれたのです。日本が何もかも与えてくれたことを感謝しなければ。これは NHK にとっても大きな賭けで、櫻井さんは私が特別なものを持っており、日本から逃げることはないと NHK を説得しなければならなかったんです。よく私のパスポートを取り上げたりしなかったものだわ(笑)。

毎日モニターを見ながら、どうやってこんなアートを作れたのと信じられない思いがします。こんな(言語文化的に)不可能的な状況の中、どうやってお互いを理解してこんなシーンを作れたのって。でも現実にやっているんです。

このドラマがどれほどのものなのか、つい先日のBKイベントで心底理解できました。1500人が待つステージに上がって手が震え、その暖かさに圧倒されました。人々がこのショーからどれほどの喜びを得ているのかを本当に理解し、朝ドラとはなんなのかがわかったんです。朝ドラの意義も、そして私が日本の人々に対して負っている義務も。これからもすべてを正しくやっていけるよう願っています。これからも本当に頑張ります。ありがとうございます
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初々しくラブリィなシャーロットさんのスピーチでした。俺は知り合いに役者はいないけれども、表現の才能があっても仕事には結び付かなかった人々や日本に住む外国人女性はよく知っているので、シャーロットさんにすごくシンパシーを感じてしまう。彼女が日本でいいときを過ごしておられることが伺えてうれしい。



 しかしこの会見にいたのであろうウォールストリートジャーナル Japan の記者は、「米国人ウエートレス、日本のテレビスターに」というクソみたいなタイトルのクソつまらない記事を書いていた。ここにまさしくシャーロットさんを発見できなかった米メインストリームのつまらなさを感じる。米国芸能以外眼中にないという。

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■14/11/07(金) □ 弾き語りをやってくれ
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 ドラマ「Nのために」の鬼父が映画「博多っ子純情」でデビューしたと聞いてへーと検索してたら、すてきな女の子の弾き語りを見つけてしまった。実にいい声でギターがうまい。◆ 博多っ子純情/チューリップ(宮原良仕子)

70~80年代の歌をたくさん歌ってる子みたい。この子が隣の女子校の学園祭で歌っていたら俺は絶対見に行って、クドカンドラマの男子連中みたいにうううと泣いてたと思う。◆9月には帰らない/宮原良仕子(ユーミン) 

 この宮原良仕子さんを今夜10曲くらい聴きまくったのだが、弾き語りはどれも素晴らしい。高音がキンキンしないユーミンという感じの声と、しっかり親指でベースを弾くギターの味わいと。バンドやマイクで歌うとやや力が出ない印象を受けた。ギター込みのシンガーなんだな。



空と君のあいだに/中島みゆき(宮原良仕子) 

 これなんかすごくいい。美しい声に力がある。楽器も共に歌うから弾き語りは素晴らしいのだというのがよく分かる。

 萌はお母さんの血筋を引いて歌がうまい。どんな歌も MP3 に合わせて見事に歌う。しかしギターの弾き語りは恥ずかしがってやらないので困っている。カラオケじゃ駄目なんだ。自分で弾いて歌えばこんなに力がこもるんだ。強さも速さも自分が操れるんだ。弾き語りとカラオケとじゃ、空と君とのあいだくらい違うのだとこれを彼女に見せる。

 反抗期の萌は結局歌いはしなかったが、リビングの向こうでなぜかスガシカオの「黄金の月」を弾き始めた。コードがカッコいいよねと以前彼女が拾ってたのである。俺も併せて弾く。続いて「戦場のメリークリスマス」。――あ、俺が好きな曲を弾いてるのか。そうか。特に話すこともないのだけれど、部屋の向こう側とこっち側でしばらく合奏が続いた。

王蟲の怒りは大地の怒り

ムスメ高校の陶芸クラスのオームが焼き上がりました。美しく輝いている。すばらしい。




「――でもババ様、オームの攻撃色がまだ収まっていないわ! ムスメはそのへんちゃんと考証してなかったの?」
「王蟲の怒りは大地の怒りじゃ」
「姫ねえ様!!!」



彼女は宿題で「あと5分」という英詩を書いてきた。「もうやめよう、指はしびれ目が痛い。心は画面の裏側に入っちゃった。それでも私の指はタップを続ける。あと5分、あと5分」

――おおカッコいいではないかと俺がAm/G/Fと曲をつけようとすると、やめてくれと止められた。へ? なんで? コードがありがちすぎた? (^-^;



【カメラ日記】初冬

冷えてまいりました。今週末はバンクーバーアイランドの親戚を訪ねるのだが、こんな寒い季節にそんな遠出をできるものなのだろうかと思う。フェリーは動いてるのか。海とか道とか凍ってないのか。こんな季節にフェリーに乗ったら、ひとはみな無口で海鳴りだけを聴いてるような気がする。




初霜。初冬のフレイジャーリバーとマウントベイカー。


晴れた朝は車の窓がガリガリ。晴れると鳥たちが餌を探し飛び回る。


秋冬雨季のバンクーバーはずっとこんな感じ。雨の中じりじりと工事が続くスカイトレインの陸橋。

2014/11/14

日記「女子サッカー:カナダvs日本」

「言ったじゃないか」「スタジアム写真反省」「ミカサのハロウィーン」

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■14/10/27(月) □ 「言ったじゃないか」
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昨日台所で飯を作りながらリビングルームの日本語 TV から聞こえる M ステの音を聞いていて、J ソウルというのが音楽としてすごく古いなと感じ、関ジャニというのがおお新しいと感じて TV 前に行ったら、「泣くなはらちゃん」の田中さんと「ごめんね青春」の先生が歌ってた。どっちもこのグループの人たちだったとは(笑)。

 「言ったじゃないか」。あそうか、クドカンが書いた「ごめんね青春」の主題歌なのか。そりゃイイわけですね。クドカンがやってたバンドより若い分馬鹿さが噛み合ってていい。クドカンという人はバカだった俺たち私たちのロックンロールを歌い続ける人なんだなと俺にもわかってきた。Exile や J ソウルの人たちの美意識の対極にある。

 世の中は音楽に限らずロックンロール的なものを感受する人としない人に分かれているらしい。「ごめんね青春」の視聴率が悪いそうだけど、俺の見た M ステにその理由のひとつが見えた。ロックンロールより Exile に反応するアンテナも日本には多いのだろう。



 「ごめんね青春」2回目を見る。満島ひかりの「で?」という前のめりのツッコミと同じで、1シーンを切るのが普通のドラマより 0.5 テンポくらい明らかに速いなこれは。だからながら見の俺は処理速度が追いつかず、何かを見落としてる感が常にある。まあ自分が悪いので前回同様二度見ます。

 録画を巻き戻しつつチビチビ見ると実に楽しい。本当にハイファイというかハイレゾリューションで、隅から隅まで拡大して見たくなる。シーンのつなぎをコンマ数秒ずつ切り詰めた上に蜂矢先生が「私の言葉をリピートするな1行無駄!」と説教する、この究極の高密度感よ。

 日本語 TV での「ごめんね青春」の英題が「Saving My Stupid Youth」となってるのにさっき気がついた。いいですね。「我が愚かなる青春の救済」かな。救うことができなかった3つの青春を救う平助先生のお話なんだね。




【SEX PISTOLS - The Great Rock'n Roll Swindle】

 「言ったじゃないか」を聞いてこれを思い出した。英国のバカな俺たち私たちが歌いまくる「偉大なるロックロールの詐欺師」。クドカンはグループ魂でギターを弾くとクラッシュのミックジョーンズそっくりなんだけど、やってること全般はセックスピストルズっぽい。

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■14/10/28(火) □ 女子サッカー:カナダvs日本
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 学校で萌をピックアップしローヒード駅へ向かう。学校で萌と仲がいいという日系少年をはじめ今日試合に行くやつがけっこういるとのことで、萌が非常に盛り上がっている。久々に車で一緒の遠出なので、用意しといた「ジョンの魂その他これ聞かなくてどうすんだお前集」を聞かせる。「マザー」と「ゴッド」はスゴイ…と感じてた様子。「ジェラスガイ」「ウーマン」は一緒に歌った。



 6時に無事スタジアム入り。明るいスタジアムの光景にすげえと言いながら食べ物を取る。目の前で川澄ちゃんたちがウォームアップをしている。なんと小さいのだ日本女子代表選手たちはとしみじみ驚く。川澄は結局試合では見れなかったのだが、彼女らスターは全員ベンチスタートだったので目前でウォームアップを念入りにやってくれ、ボールを蹴るところをたっぷり見れて眼福であった。



 昔カナダ男子代表のW杯予選を見に行ったら、カナダに住む相手国出身の移民が超集まってて超国歌うたって超感動したんだけど、昨日の君が代も俺の後ろに声の大きなおじさんがいて熱唱しなかなか感動的だった。ムスメは君が代を「荘厳すぎてむしろ不吉!」といつも笑うのだが、昨日は歌っていた。試合開始。

日本の先発は前ワールドカップ優勝メンバーがDF2枚と阪口のみというBチームだったのだが、カナダに力みがあり中盤で突っかけてはプレスを交わされ、ラインを上げすぎた3バックがサイドの裏を日本の20番に取られ何度もピンチを招く。20番いいなと思ったらなんと大儀見の妹、永里だった。ゴールは時間の問題と思っているとコーナーからのこぼれ玉を永里が左足で見事にミートしゴール。ベンチのお姉ちゃんに駆け寄って喜んでおりました。

 カナダも散発的に攻め込むが前半いいところなし。フィジカルな競り合いでもボールを奪えない。逆に日本は小さいんだけど、若手でさえもカナダのフル代表とバチバチ当たり体を前に差し込んでボールをキープできる。やはり世界レベルで戦えるよう鍛えられてるんだなと思った。カナダがボールを持てるのは無為に高い位置にいる DF3枚だけで、ここからいいボールが出るわけではないので攻撃の手がない。


日加キャプテンのつばぜり合い。
実際ピッチを見てうまいのはシンクレアだけなのだ。シンクレアがキープし崩すとゴール前にシンクレアがいない。シンクレアがゴール前に行くと真ん中で組み立てるシンクレアがいない。大学生の頃から絶対主力でいま31の彼女が、今もカナダ随一のワールドクラスと言わざるをえない。女子W杯カナダ大会は来年なのにこれではと心配になる。0-1のまま前半終了。後半早々にカナダが追いつき、日本が早めに主力を全部出すという展開を希望。



 【後半】大野と大儀見が入る。しかしカナダの組織に修正が入り、左の永里と右の大野にボールがまったく渡らなくなった。これでようやく五分の展開となり、カナダが人数をかけ押し込んで同点。この後は日本も次々にスターが入り、双方好機を作る楽しい展開。俺は日カ双方をほぼ均等に応援しており、日本を応援する娘が「なんでカナダを応援するの」と文句をいう。いやだって来年W杯のホストなのにホームでいいとこなく負けたらかわいそうじゃん。双方いいゲームをして日本が勝つというのが理想なのだ。

 シンクレア、大儀見、大野、宮間などがボールに触るとやっぱり違うな。崩れた体勢で触っていてもボールを活かしてしまうワールドクラスは、本当にすごいね。たとえミスでボールを失っても、あれだけうまい彼女らが触ってコントロールできなかったのだから他の誰にもできないと感じさせるだけの説得力がある。宮間はハーフタイムにはリフティングをやってたのだが、もう小野でしたよ小野。すごいスキル。その宮間が後半遅くに入ると GK や CB に猛烈なプレスをかけてペースを作っていた。日本女子は強いよやっぱり。ボール扱いがうまいだけじゃない。

そして大儀見のファインゴール、カナダが魂の反撃から押し込んで最後に追いつき、最後の最後にサブの鮫ちゃんがロスタイムに敵からかっさらい独走し、1対1を見事にぶち破り決勝ゴール。いやはや盛り上がった。日カ半々観衆皆満足のゴールフェストであった :-)

 萌の横はカナダ女性だったのだが、勝利に喜ぶ萌に「あなた日系カナダ人なんでしょ。グッドゲームになってよかったわねえ」と微笑みかけてくれた。前半のカナダは相当にしょうもないデキだったのだが太鼓やボコボコ音がするスティックで観衆はみな鼓舞し続けていたし、本当に頑張ってほしい、来年のW杯。

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■14/10/29(水) □ スタジアム写真反省
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 昨日スタジアムで萌の同級生の日系少年と会ったのだが、今日は当然ながら学校でえっらい盛り上がったらしい。「サメジマがすごかったよね最後、that wasインクレディブル!」って。はは。鮫ちゃんが左サイドを抜けてくたびに「サメちゃん走ってる!」と俺は叫んでいた。気持ちよかったなあ。

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 昨日のスタジアム写真は、明るかったので屋外設定 ISO800 のまま MZ40-150mm をつけて撮っていたのだが、シャッタースピードがだいたい 1/125s あたりだったので換算 300mm の最望遠はブレが多かった。連写したのでいいコマはあるが、決定的瞬間がブレてたのも多い。

 ISO 上限を 1600 くらいにしとけば 1/160~1/200s になりもっとヒット率が上がったはずだが、試合に熱中していてカメラ設定など詰めてる余裕がなかった。何事もやってみて初めて分かることがあるカメラ修行。

 しかし点が入る流れというのは現場で見てるとわかるもので、ゴール時は全部シャッターを切っていたな。フレーム内にボールがちゃんと入りブレが止まったのは少ないが。

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■14/10/31(金) □ ミカサのハロウィーン
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ハロウィーン、萌は見事にミカサとなった。これまでのハロウィーンベストはカオナシだったんだけど、夏休みからこつこつとアイテムを手に入れ用意してきたこの「進撃の巨人」ミカサも相当にいい。今夜はうまい具合に週末のハロウィーンなので、友達のところに泊まり込みで盛り上がるとのこと。



6時半、西海岸もハロウィーンが始まりました。あちこちで、花火が上がり、興奮したグースたちがギャーギャーと鳴きわめき不気味に盛り上がってまいりました。

 萌が作ったかぼちゃランタンに初めて火が入った写真を、友達の家でハロウィーンパーティ中の彼女に送る。パーティで盛り上がるガールズの写真がリプライで手元に届く。毎年恒例の行事の過ごし方が少しずつ変わっていくな。

 子供たちが通りからいなくなるまで玄関に待機してなきゃならないのだが、いまの俺にはギタレレがある。ギターは最高のヒマつぶしツールだ。ニールヤングのコードを拾い気分よく歌っては、ドアのノックで我に返る。

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 8時、15分以上誰も来なくなったので2階に上がりお茶を入れ、「マッサン」を見る。大作社長が今さらエリーとの結婚について恨み言をいう。エリーのせいでウィスキーが作れなくなったわけじゃないのだが。思い描いた政春との未来がすべて水に流れ、悲しみがそうしてこぼれ落ちたのだろう。

 退社していく政春の姿が叙情的にゆっくりと描かれる。優子を見送り、エリーが政春の胸で泣く。政春がエリーの子供じゃなく、50/50な大人のパートナーらしい振る舞いをしたのはこれが初めてだよね多分。ケンカも友情も仕事も全部優子さんのおかげだった、住吉時代の終わり。

2014/10/26

日記「ツイートを訳す難しさ」

「しょぼきカナダの部活ライフ」「ソープオペラなマッサン」「テレコンはトイレンズ」

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■14/10/15(水) □ しょぼきカナダの部活ライフ
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 高校が始まって一月経ち、萌のクラブのことなどを初めて家族で話したのだが、カナダの高校生活はさほど充実しているようでもない。アート系の選択科目が充実しているのがこの学校を選んだ理由の1つなのだが、萌はアプライした写真グラフィックコースが定員オーバーで入れず、第二志望のセラミック塑像コースとなった。その科目自体は楽しいらしいのだが、これしか取れないのである。

 選択科目はその他にも コンピュータグラフィックス、IT、ジャズボーカル、演劇、合唱、ブラスバンド、ギター、テキスタイル、木工その他どれも魅力的なのだが、フランス語科の生徒はフレンチで余分にコマを消費するので1つしか取れないのだ(一般生徒は2つ取れる)。

 そしてこれが意外だったのだが、これら充実した(しかし入れなければそれまでな)科目を部活が補完していない。写真グラフィック科は写真の基礎と Photoshop をやるらしいのだが、萌が入った写真部のほうは「指導する先生はいなくて、生徒同士でただ写真を撮って見せ合うだけ、つまんない」と萌はすでにやる気をなくしている。ジャズボーカル部や軽音部はない。つまり選択科目は超素晴らしいが部活は生徒の自主サークルに近いものらしい。正規の科目との質の落差が激しい。カナダの高校はどこでもそうなのだろうか。

 音楽をやるとすればミュージカル部しかないらしい。演劇は去年1年やって才能があるといわれたのだがなぜだかもうやりたくないそうで、これも入らず。そして萌がいつもつるんでいる友達は萌の興味がないラグビーとかの運動部なので、結局萌は写真部以外何もすることがないわけである。何も入らないと虚しき帰宅部になるので写真部だけは続けろとMがプッシュしている。

 まあ写真部はすでに知っている友達がいないから萌はつまらなく感じているわけで、写真を撮って見せ合うというのは毎日インスタグラムでやってる大好物ではないか。それを写真が好きな者同士で、iPhone ではなくカメラを使ってやろうというのが写真部なのである。入ればそこで友達ができる。友達ができれば写真を見せることが楽しくなる。がんばれ。

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■14/10/18(土) □ ソープオペラなマッサン
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 【マッサン】エリー政春ケンカ決裂。「よくそんなことが言えるわね!」が胸にしみる。エリーがもげた袖を返し謝り大人の対応をしたあと、唯一泣きつける相手であるキャサリンの手を子供のように取ったのがよかった。キャサリンおばちゃんのアドバイスは別れろと大人気なかったけど。

 しかし夫婦ゲンカのつらさ悲しさは感じさせてくれたけれども、ラストは「埴生の宿」を歌い、今週も特に何も話さずただ赦すエリー。まあ今週も恒例政春が泣いて謝り終わりだろうなあとは昨日あたり思ったが、歌を使うというアイデア落ちに縛られ3週目にして一番説得力が落ちた。「埴生の宿」を歌うエリーの表情もうつろに見えた。赦しの台詞は、かなり彼女の徒労感というかお仕事感を感じてしまった。

 Mに初めて「マッサン」を見せてみた(政春エリー決裂シーン)。ケンカの背景をざっと説明しておいたので台詞はほぼ聞き取れていた。やはりエリーの喋りは本物の外国人日本語なのである。感想は「どこも同じよね。こういうケンカは身にしみるわね。字幕があったら見たいわ」とのこと。しかし教会の「埴生の宿」のシーンは見せられなかった。ああいうソーピー(安直)な部分がなければ見せるんだが。「ソープオペラでいいじゃない、そういうのも見るわよ私」とM。そうか。まあね。



 シャーロットさんはミュージカルの役のようにエリーを演じていると思う。優子が英語を話せると気づいた時の表情や小走りに駆け寄り小鳥のように隣に座る姿なんて、ああミュージカルだなあと思った。西洋の舞台俳優が習得してきた動きの心地よさが、朝ドラでひらひらと舞っている。後から読んだインタビューでエリーのことを、昔のミュージカル女優 Doris Day(ケセラセラを歌ってた人)に例えていた。やっぱりね。

 製作陣がその華やかさを望んだのはわかるし文句ないのだが、実際エリーの行動はミュージカルの登場人物のようにシンプルに作られていて、舞台を遠くから見てわかるくらいな芝居しか現時点では与えられていない。政春が洋行帰りを感じさせない大和男であるように、エリーも日本在住外国人らしくはあるが、西洋人らしさはこれといって見えないので皆がややじれったさを感じている。まあマッサンの業績のほうが主役の朝ドラだから今は仕方ないのかもしれない。

 外国人が家族にいると周りが変わっていく。鴨居がそうであるように、エリーだったらどう思うだろうという視点が常に入る。その「エリーとシャーロットさんはどう思うだろう」という視点が朝ドラの陳腐をゆるやかにクリーンアップしてくれるだろうと期待しているのだが、なかなか根強いな。

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■14/10/23(木) □ ツイートを訳す難しさ
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(TrinityNYCさん)英語と日本語でプレゼン資料両方作ってみると、日本語という言語の持つ「情緒性」を感じずにはいられない。英語だと単語だけでスッと頭に入ってくる内容でも、日本語になると、視覚から入ってくる情報が、メッセージにからみついて、本質部分が見えにくくなることがある、とでもいいましょうかね。


 このツイートにリプライした。全然仕事の話ではないのだが、英語でツイートをするとどうしても普段日本語で書いていることが書けない。他の人が書いた面白いことも英ツイートに翻訳できない。この「情緒性」となにか関係あるんだと思う。

 つまり俺がツイートしてるようなことや、自分が面白いと感じる日本語ツイートの多くはちゃんとした筋道立った翻訳可能なものではなく、どこか違うところにワークしてるものなんだろう。

 んでまた「マッサン」の話になってしまうのだが、皆がツイッターで書いていることをシャーロットさんに少し伝えたいと俺は思う。ファンレターを書きたいわけではない(笑)。シャーロットさん自身が日本ドラマという異世界に嫁いだ外国人なのでやはりシンパシーを感じずにおれず、人々は「マッサン」をこのように楽しんでいるのです、大丈夫なのですと伝えたくなってしまう。

 だけど試みてみるとこれが本当に困難で、上記の訳し難い微妙な気持ち問題もあるし、物理的にも日本語 140 字で書ける内容が英語ツイートでは3つくらい必要になる。字がびっしり詰まったツイートを@で誰か宛てに多数送るのは押し付けがましいと感じるので、そこでまた頓挫してしまう。

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 【マッサン】優子のお見合い。婿さんは優子の気持ちがなぜ揺れてるのかをズバリ質問してきた。いい人だ。そして優子は正直にきちんと答える。結婚したら優子の夢がどうなるかわからないが、きっと二人はお互いを好きになれるだろう。優子が結婚を決めたことを知り、それ以上は何も言わずにただ静かに泣くエリー。

(tamicさん)優子さんにとって、家を出て働きたかったと両親にも結婚相手にも声に出して伝えられたこと、その気持ちを汲んで父親が一旦は見合いを断ってくれたことは、生きていく上でとても大切な糧になると思う。誰かが自分の気持ちを知り、受け入れてくれたことは、土台になる。
言うことを聞いてくれるか、くれないかでなく、気持ちを伝えて理解してもらうということが、人として尊重されている安心感となり、主体を持つ上での自己肯定感につながるんだよね。


 人々の感想ツイートを読んでいて、tamic さんのこの言葉にそうかと気がついた。そうか。夢が手に入らず、夢破れたことすら知られないというのは悲しいよな。考えてみればエリーは何かを止めに行ったのではなく、ただ優子が「気持ちを伝え、理解してもらい、尊重される」ためにフタだけ静かに開けたのだった。だから最初に声を発した時に、声も高めず静かに問いかけていたのか。「夢があるんでしょドシタノ?」という不思議顔で。それが優子に必要なことなのだった。そこから先は、レットイットビー。

 そうか。ちょっと考えて、シャーロットさんに書いてみた。

Ellie's interruption didn't change the course of the things for Yuko, but now everybody knows how Yuko feels, at least.
(エリーのおせっかいは優子の運命を変えることはできなかったけれど、そのおかげでみなが彼女の気持ちを知ることができました。)

Not to be known is the saddest thing. Yuko's small dream was acknowledged and respected. So, don't cry Ellie.
(一番悲しいのは知ってもらえないこと。優子の小さな夢は認められ尊重されたのです。だから、泣かないでエリー。)


 tamic さんにもこれを送っておこう。tamic さんらの言葉を見て俺が思ったこととシャーロットさんに書いたことはイコールではないし、それを訳したかっこ内の日本語も英語ツイートとイコールではない。しかしどちらに宛てるにしても単独で成り立つものにして、中心点を打ち抜くしかないのです。

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■14/10/24(金) □ テレコンはトイレンズ
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MZ14-42 の先端につけるテレコンバージョンレンズを買ってみた。望遠レンズ MZ40-150mm は近くが撮れなくて不便で普段使いがしにくいので、このテレコンをカバンに入れておいて必要なときにさっと望遠が得られないかなと。

 しかしなんと 14-24mm まではケラれてしまう。説明にそんなことは書いてなかったが調べるとよくあることらしい。これほど狭くなるとは。25-42mm は使えるが、絵はやはりゆるい。センターの解像で 30% 落ちという感じで、周縁はブレブレに流れてしまっている(絞るとセンターの絵を使うのか流れが減る)。


あちゃーこりゃ使い物にならんデジタルテレコン(標準機能のセンタークロップ)より悪いと思うが、途中でクローズアップは使えるなと気がついた。テーブルフォトを撮るとセンター以外が大きくボケていい味になる。ワイド側が使えないのだから画角の不便さはズーム MZ40-150mm と同じなのだが、違いは寄れるところで、20cm くらいまで寄れるので 40mm@100cm の倍以上の大きさでクローズアップでき、背景がよくボケる。

 レンズの周縁ボケが出ると汚くなるが、それを避けるとこれは使える。部屋の中、ポートレートくらいの距離なら解像度も問題ない。ふわっと撮れる古い中距離レンズという感じで悪くない。手軽に望遠という夢は破れたが、この値段とクオリティなのだから光学性能など気にせずトイレンズとして使っていこう。

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  【マッサン】4週目ラスト。政春は「断るつもりだったから相談しなかった」と見え透いた嘘をついた。オファーを受け、優しすぎる大作社長を裏切ってしまいそうな自分を恥じて言わなかったくせに。けれどそれがママを怒らせたのです。わかるよ! 一緒に悩み考えることが仕事だよ! 今回は一番怖かったね。

 鴨居に行くべきだとエリーが行ったのには政春も俺も驚いた。鴨居に出向している間の彼がそれほど生き生きしていたのか。しかしそれすらも恋心を見透かされたと思い込みうろたえた政春は、大爆発ワード「外国人にはわからん」に手をかけてしまったのであった。阿呆である。

 政春は自分の気持ちを読まれることを嫌がる男だが、実はみな顔に書いてありそれがすらすらと読めるエリーと鴨居に愛されている。顔のどっち側に書かれてるかくらいは当然わかる大作社長にも愛されている。優子さんも彼のその単純さを好きだったのだろうね。



 エリーも住吉の恩に報いたいという気持ちがわからないわけがない。外国人は感謝が薄いと日本人はよく言うが厚さは変わらない。しかしそれよりも政春の充実感のほうが大事とみなすところが、エリーが今週徐々に発揮してきた西洋らしさなのだろうか。そのへんの真意はまだよくわからない。

 しかし今日のエリー激怒は怖かった。日本語を喋っていても演技が英語でハリウッド的だった。西洋人らしさカモンと思っていたのに、実際そうなると俺は引いた(笑)。50 年代米コメディエンヌだったエリーが突如現代ハリウッド類型になったので引いた。西洋はいいがハリウッドはちょっと。あれは失敗テイクとしてリテイクすべきだったのではないだろうか。

 これまでとは形相が違っていたし襖をバタンと閉めちゃったので、政春がいつも通りに泣いて謝り許してはもらえなかった。襖の後ろでエリーが泣き崩れたりはせず、アホ、ドアホとつぶやきすぐに顔を洗いに行った(想像)のが大仰さを鎮めてくれよかったのだが、どうなることであろうか。ちょっと成り行きを見守りたい感じ。

2014/10/20

日記「Kids are All Right」

「カナダ子供のつるみにくさ」「カラオケよりバンドをやってくれ」「YAMAHA GL1 探し」「GL1 ゲット」「妻のための最小ギター」

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■14/10/04(土) □ カナダ子供のつるみにくさ
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 萌の友達の、あのパパサカタと俺を呼ぶNMが遊びに来たのだが、例によって俺を見て「細長い…フォリナーだし…笑ってるし…」とかいってウケている (^-^;。

 萌との会話を聞いていると頭が良くおっとりとしたユーモアがありいい子であった。いい子だから俺の知らぬ俺の美点がわかるのか。そういえばこないだ萌が連絡してこないので心配してこの子の携帯に電話をかけたとき、見知らぬ番号からだったので出るなり「どなたかまず尋ねていいですか」って静かに答えていたもんな。頭がいいよこの子。



 しかし彼女も夏休み中萌と同様家で Youtube を見るだけの日々だったそうだ。だったらみんなもっと落ち合えばよかろうに、なんでそうしないんだろう。

 まあカナダの子供生活はやっぱり、徒歩や自転車で行ける距離に友達が住んでいないがゆえのつるみにくさがあるよな。フランス語科のある学校は少ないので特に条件が悪い。萌の同級生の家はうちから最短で片道車 10 分、最長で 20 分かかる。この 20 分の家に送迎(ドロップオフ&ピックアップ)すると、それだけで親の週末の2時間弱がただ車の運転で消えてしまう。

 今日NMはバスで来て、帰りもバスで帰ろうとしていた。いやもう暗いからと俺が車で送っていったが、カナダの一般的な親は高校生の娘が夜バスで移動していても心配しないんだろう。俺とMは萌にそんなことをさせられず、それが子供扱いだと萌は感じている。しかし彼女に炊事を手伝わせ手際を見ていれば鍋が吹きこぼれたら一瞬フリーズするくらいで、まだ想定外のことには対処できんのだ。

 高校生といえどまだ14歳、日本なら中2だもんな。危なっかしくて大人扱いはできないすよ。このへんはカナダの学年制度や、自立を有難がるティーンカルチャーのバランスの悪いところだと思う。

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■14/10/08(水) □ カラオケよりバンドをやってくれ
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 【SONGS◆クリス・ハート】日本の心を大事に日本のバラードをカバーしているとのことだが、アレンジも歌い方もオリジナルと変わりなく、こういうのをカバーとは普通いわないと思う。カラオケだよね。

 彼は Youtube のカラオケ投稿で有名になったそうだが(近年そういう外タレが多い)、その頃と大要同じことをやってミュージシャンあるいはボーカリストといえるのかどうか。こうした人たちが何か新たな価値を作っているのかどうか。あるいは何を歌っても鳥肌立っちゃう玉置浩二のような特別な声を持っているのかどうか。

 なんでも朝ドラ「マッサン」につなげてしまうが、エリーは単にカワイイ外国人だからツイッターで皆がきゃっきゃ言ってるわけでもないと思うのだ。彼女が日本で演じることでこれまでになかった楽しさが生まれていると感じる。外国人 Jpop 歌手からは、あまりそれを感じないのである。すでにあるものの互換品なんだもん。オリジナルなのはモンキーマジックくらいだろう。



 カラオケというのはおそらく最も少ない努力で成果が出る音楽アクティビティで、萌も楽器の練習はあまりしないが iPod に合わせてのポップス歌唱完コピはいつもやっている。うまいが、人前で人の表情を見ながら歌わないと人の気持ちを動かす声は出るようにならないと思う。

 子供らには自分でやれるバンドサウンドを今のうちに聞いてほしい。楽器の音の良さを聞き分ける耳を養ってほしい。そして自分も音を出し歌ってほしい。君たちが聴いてるポップスはスターになって周りがお金で動いてくれないと作れないが、バンドサウンドは自分で作れる音なんだ。わかるかい。

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■14/10/09(木) □ Kids are All Right
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 学校の写真クラブに入った萌が、初めて PEN を持っていく。そして撮ってきた写真が滅茶よくてまいった。ちょっとキミたちね。もう親にはこんないい顔を撮らせてくれんだろ。勝手にせよ :-)

 子供がティーンになると、Kids are all right だなあとほんと思う。親の出番はない。衣食住だけ提供しておけばキッズ同士でよろしくやっている。親としてはあと3~4年はあれこれ教えガイドし共に遊び暮らしていたいのだが、一緒に何をやろうとしてもほぼ強制になってしまう。もう離れているのだ。そして Kids are all right、子供ら同士で楽しくやっていく。それがくるのが日本より早い。

 Mも最近は俺と同じく萌が手を離れてしまったと寂しく感じているらしい。俺はまあもう慣れたよとMに話す。小さい頃の彼女の写真を見ると悲しくなるので見ないようにしていると。仕方がないわね。20 代になったら親のところに気持ちが帰ってくるわよと彼女は笑う。そう。そうだね。なるようになり、やがて頃合いなところに落ち着くだろう。They're alright、Kids are all right。



Kids are All Right (The Who)

I don't mind other guys dancing with my girl
うちのムスメが誰と踊っていてもかまわない
That's fine, I know them all pretty well
問題ないさ、どいつも大概知ってるし
But I know sometimes I must get out in the light
まあ俺もたまには外に出て
Better leave her behind with the kids, they're alright
ムスメのことは友達に任せとくべきなんだろうな
The kids are alright
キッズは楽しくやってるんだからね

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■14/10/10(金) □ YAMAHA GL1 探し
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萌が表の写真を撮ってきた。今年のうちのメイプルの紅葉はピークに達する前に半分散ってしまった。夏がカラカラの雨不足だったからかな。



 Mがウクレレを習いたいと言い出したので、いやゼロからやるなら弦が6本あるほうが面白いとヤマハのギタレレ GL1 をおすすめした。前に楽器屋で見てウクレレと大差ないその小ささに興奮したのである。

 しかし昨日試し弾きしてみたら全然鳴らなかった。倉庫のパッケージから出したばかりだったからかな。梱包内では弦がゆるめてあったので、チューニングしてしばらく置かないと鳴るようにならないとかあるんだろうかガットギターって。それともたまたまハズレ個体だったのかなあ。

 そして今日別の楽器屋でもう1本 GL1 を見つけて弾いてみると、これも倉庫から出てきたのだが(どうも長い間ヤマハの工場がストライキで生産が止まっていて、ちょうど再開されたところらしい)こっちはちゃんと鳴った。昨日のが音満足度 5 としてこれは 7。8 以上がある製品なのかこれで満足すべきなのか。わからぬ。コキットラムで他に楽器屋ないしなー。

 理想は同じギターを2本じっくり弾き比べていいほうを選ぶことなんだけど、御茶ノ水の楽器屋あたりに行かないとそんな環境はない。もう1本別な個体を見つけて弾けたら、平均値がわかると思うのだが。

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 【マッサン】第二週ラスト。MやLDと日本の映画を見ていると「そんなわけないじゃん」とご都合主義なポイントを頻繁に指摘される。日本はそういう部分に非常にゆるく、ハリウッド映画などはそういうご都合主義はおそらくシステムできっちり排除して作っている。

 エリーが優子の罵倒を理解してショックを受けるところなんてのもそのうちで、日本に来たばかりの彼女に親不孝だの裏切りだのといった内容がわかるわけがない。優子にゴメンナサイと告げ飛び出すというのもシャーロットさん本人が Web で語っている通り、共感しづらい演技だろう。俺はそういう点は複雑であろうシャーロットさんの気持ちを思いハラハラしてしまう。

 しかし今日の最後の泪橋シーンは、エリーが知っていてはおかしいレベルの言葉が出てきてもそこにつまづく気になれないだけの演技の力だった。すごかった。「スコッチブロス食べてもらえない、大丈夫。優子さんイジワル、大丈夫」には泣けた。「下手な日本語で、お芝居にしか聞こえへん」という優子の前言を完全に裏切るあの彼女の言葉の強さは、いったいどこから出てくるのかと魔法を見ているようだ。

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■14/10/11(土) □ YAMAHA GL1 ゲット
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【買ってきたよ奥様の新ギター YAMAHA GL1】

 美しい。ちゃんとヤマハの名に恥じぬクオリティのヘッドとチューニングペグだ。素晴らしい。そのサイズからは信じられないくらい低音が出る。サイズ比較用に一緒に写ってるのは日本のおばあちゃんが送ってくれた鳩サブレだ。娘と奥様はダッククッキーと間違って呼んでいる。

 「倉庫から出したばかりだと音が出ない?」仮説は当たってたようで、試奏した2つのうち音納得感が5だったほうが二晩寝かせて7になっており、7が一晩で8になっていた。当然8をゲット。6弦が A なんだけど、ローコードはそのサイズからは信じられないくらい低音が出る。ギターはやっぱりコードを弾いて気持ちいいのが最高だからね。

 普通のギターより強めに共鳴させてサステインを得る作りになってるようで、ミュートをちゃんとしないと共鳴した開放弦の不要な音が残るくらいボディが鳴る。短く細いネックに慣れたらたとえば「アンジー」なんかをちゃんと弾けて気持ちいい。最高のトラベル&TV 見ながら弾きギターでしょうこれは。

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超遅ればせで今日見た【おやじの背中 尾野・國村】尾野真千子の顔を見るだけでうれしくなる。宝もんやな。利発で裏がなさそうな、そのひっつめ髪のような単純さに俺は憧れる。しかしそんな彼女にももちろん悩みはあるのですという、ここまで見た中で初めて本当らしい父娘のお話。

 尾野が「お父さんは健康で! ひどいよ!」と罵るところがつらかった。わかる。わかるよその理屈つけがたい不公平感が…糸子…いや尾野さん。しかし高級旅館に親子同宿したらあれもこれもきれいに解決してしまったので、高級旅館すごい。俺も行きたい。

 父親のうめき声に「どしたの!?」とぱっと反応するときの声や顔が、尾野さんは本当にいい。演技がどうこうじゃなくて、美しいと惚れ惚れする。いい音がするアコースティック楽器のような人だと思う。あの顔を見たくって、つい手に取って鳴らしたくなる。

 最後にかかる歌が親子デュエットで有名なあの曲だってのは、いつもながら砂糖かけすぎ日本ドラマだなと思った。花子とアンの「愛の讃歌」とかね。いい後味と砂糖の量は比例はしないよね。

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■14/10/12(日) □ 妻のための最小ギター
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 買う前から薄々意識していたが、ギタレレGL1は既定のウクレレ式ではなくギターと同じチューニングで使ってる人が多い。知ってる曲を元のコードで弾けるなら当然その方がいいわけで、トライ(音を5フレット分下げる)してみると音はちゃんと出る。

 しかしフレットを抑える指圧で音程が必要以上に上がってしまう。つまり開放 G の 2 フレが A と A#の中間くらいになってしまい、どうやってもきっちりとは合わない。そしてやはりネックも若干反る。むー。

 いろいろ調べてみると、6~2弦を5~1弦に移して6弦を別途足せばいけるらしい。なるほど(「旅とメロディ」)。

 6~2弦を移動し手元にあるアコギの 6 弦を足してみると(ガットギターの弦張りなんて初めてやったので超苦労した)、できた。6 弦だけは 5 フレ分テンションが低いので前記の音程問題が出るが、普通のコードでギターのキーが出る。これは気持ちいい。この小ささでほんとのギターですよ。これはスマホ並みにすごいこと。

そして6弦の張りがゆるすぎてチューニングが合わないので、楽器屋で一番太い(=張りが強い)6弦を買ってきた。ガット弦で太いのはなくアコギ弦。056 だから普通の 046 より一回り太い。これで開放から5フレまでギリ音が合う。やった。ギタレレ持ち主の妻も喜んでくれよう。

「まあ新しい弦! ダダリオなんて高かったんでしょ? いいの?」
「いいんだ。君のためだ」
「イシバシ楽器のショップブランド弦で十分だったのに」
「いや君にはアーニーボールとダダリオしか似合わない」

みたいな。

2014/10/14

日記「人生までも連れてって(マッサン)」

「『マッサン』の日々が始まる」「想像の翼」「ゴーストだったドレスコーズ」「漕艇写真コンテスト」

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■14/09/28(日) □ 「マッサン」の日々が始まる
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 嵐の秋に備え、こないだあふれたフロントドライブウェイ・サンプの詰まりを本格的に掃除する。掃除をまめにしている限り流水量は大丈夫だと思う。こないだの爆発的雨のときは隣家のドライブウェイはやはり排水できず、20cm もオーバーフローしてたそうだ。非常時用に小さな予備ポンプを買っておくべきかもしれない。

 そして午後は屋根と雨樋掃除。よく働いた。よし。嵐の季節への準備はできた。



新朝ドラ【マッサン】が始まる。マッサンがエリーに広島弁で喋るというのが無理あるが(外国人は方言わからんだろう)、見知らぬ国での冒険にキョロキョロとするエリーが愛らしくて満足。

 シャーロットさんは「マサハルの家どこ?」といった台詞と一緒に体や視線がいつもひらひらと演技をしている。俺が一度だけ見てその妙味をたちまち理解したミュージカルの役者さんたちと同じで、小鳥のような可憐さでとてもよろしい。台詞がなくても彼女の気持ちが動いてることがどんどん伝わってくる。朝ドラの明治大正はそれが合う舞台なのだと思う。

 日本語がわからず困惑するエリーが気の毒で、ついていって俺が通訳してやりたくなる。実際日本人は外国人がわからなそうな言葉は避けて喋るし、日本語会話から置いてかれちゃってるなと思うとすぐに気づいて概要を教えてあげる傾向がある。これは日本人の美点だと思うので、史実ではあっただろうそうした政春の気遣いも描いてほしいところ。

 あと予告編でみた First whiskey! In Japan! という政春の英語芝居がカッコ良かったし全部ちゃんと喋ってるのに、字幕じゃなくボイスオーバーとなってたのが残念。これはお年寄り対策らしいのだが、そのためにクオリティを落としてほしくはない。


 その予告編【マッサン 50 ボイス】でのシャーロットさんの言葉が印象的だった。「家族から離れるのが怖かったし…それに怖かったのは…ほら…『失敗』ね。でも人生はアドベンチャーだから」と声が震えていた。日本中の朝を楽しくもがっかりもさせる、重大な役目なのだとわかっているんだろうね。

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■14/09/29(月) □ 想像の翼
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 昼前から雨が降り始め、午後には本降りとなる。昨日頑張って水回りを万全にしておいてよかった。

 【マッサン】エリーの英語には聞き取りづらい音が入っていて、あれはアメリカ人のシャーロットさんがスコットランド訛りをやってるのだと思う。米加人が英国ナマリを出すのは玉山鉄二が広島弁をやるよりずっと難しいだろうし、彼女は日本語もきれいなので耳と口がすごく利く人なんだろう。

 日英混じりドラマでは「このくらいの流暢さのヒトがこんな語彙を知ってるわけがない」というアラが日英とも必ずあるのだが(子供の日本語教育に苦労してるのでよくわかる)、 「マッサン」はそれが少ない。シャーロットさんに無理を強いずていねいに手を抜かず作っているのがわかる。逆にマッサンの英語は音が怪しくてもパッションと仕草で通じる。そこがいいよね。

 シャーロットさんの英語インタビューをちらと読んだのだが、「玉山さんと私の演技手法はまったく違う。しかしどちらが優れているということはなく、どちらも Work する(うまくいく)のです」と言っていた。やはり違いが見えている。それを合わせようとする技量と度量がある人なのだろう。俺はあまり関連記事で彼女の来歴等を調べたりせず、想像の翼を広げて楽しんでいる。

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■14/09/30(火) □ ゴーストだったドレスコーズ
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 ブルーハーツが出てきたとき日本唱歌的な単純メロディと情緒とドライさが入り交じるデスマス歌詞が画期的だと思ったし、ヒロトの無軌道なアクションにもニコニコさせられたが、以後のフォロワー的バンドはそこから画期性を抜き、音楽的ノーアイデアの補填に熱さをどくどく使用するものばかりだす。

 モンゴル 800 なんてギターを抱いたキロロであってロックですらないし、NHK MJ に出てくる若手バンドは皆そうした「みんな共感してくれ俺もするから!」てな熱さ原理主義で、どうぞ学園祭で骨まで燃え尽きてくれたらいい。


【ドレスコーズ/Ghost 】

 が、MJ でそういうバンドのあとに出た変な見た目のバンド「ドレスコーズ」が超よかった。 「そうさぼくはゴースト。生きてるみたいでしょ。でも心はもう死んでいるんだよ。君にすればもういてもいなくても同じ」――こういうのがロックだよな。絶望が音と言葉に向かっていってよかったと思えるような、そういうものが。

 「恋人がいなくなって、もう生きてる意味ないじゃん…っていう曲」と彼は紹介していた(笑)。音も声もメロディもすごくいい。「みんな共感してくれー」的な音楽をやってる連中はこれを聞いて絶望すべきである。

 ドレスコーズのファンのツイッターを見つけ、彼女のところからあちこちのリンクに飛び何曲も聞き、インタビューも読んでいいぞいいぞと盛り上がったところで、すでにバンドが解体しているという衝撃の事実を知った。俺は昨日 NHK 国際でドレスコーズを初めて見たのに、その番組の収録が最後だったようだ(ボーカルの志摩が単独で活動していくらしい)。あれはゴーストだったのか。生きてるみたいだったよ。ツイッターでおすすめされ気に入ったフジファブリックのボーカルがすでに亡くなっていたのに続く悲しき出会いであった。



 海外に住んでいて NHK 国際しかソースがない状態でもこうしていいバンドが耳に飛び込んでくるんだから、日本のロックは豊かである。自分の娘が聞いているイヤホンからシャカシャカと漏れ聞こえてくる米カ音楽の単調さには、彼女の音楽の空が暗く低くなっていく思いがする。

 音楽だけではなく書物や他の趣味にしても、手のひらのガジェットで Youtube から好きなものだけ吸い出して消費している今の子供らの摂取しているものは、俺の中高時代よりも貧しい。映画化されるようなベストセラーしか読んでいないし大ヒット映画しか見ない。見知らぬティーンが作った馬鹿ビデオなんかをジャンクフードとして大量に消費している。萌の年頃なら俺は本と音楽の虫だったぜ。昔は誰だってそうだったろう。マンガさえ読んでないのだから、現代北米ティーンの民度たるやなんともはやである。

 ネットで何でも手に入るが、新規に探さずとも大好物が常時手に入るので結局それしか食べなくなっちゃう。それが今の子供の文化摂取スタイルなんだと思う。お母さんにプッシュしてもらってせめて本だけでも、もうちと頭を使うものを読ませたい。

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 【マッサン】打ち水でお父さんに水をかけたりするベタなところが、外国人に見せるには恥ずかしい朝ドラスタイル(笑)。しかし喋る日本語に本当に魅力があるし、素で笑い顔が出るところがシャーロットさん素晴らしい。その笑いをカットしない現場もいい。あの笑い顔がベタさを変えて行ってくれるかもしれない。

 怒られるに決まってるのに法事の際中に嫁とひそひそ話して笑っちゃうあたり、マッサンはゆるくて明るくエリーに好かれるのもわかる。スコットランドで同様の苦難を経ていてもまだ二人は笑うことができる。お母ちゃんがつらく当たる意味もわかるでしょう。だからあんまりくよくよしないでね。両方ダメかと思うと落ち込むが、あっちもダメだったからイコールねと思えば気持ちは軽くなる。

 俺が見ている NHK ドラマに外国人が出ていることにMが気づき、どんな話なのかと聞く。「外国人の妻が明治の日本に来て、コンサバティブな家族と文化の違いに苦労しつつも夫のウィスキー製造を助けるというお話。クリシェ(ベタ)だがとてもチャーミング。何が話されてるかわからぬ妻のために通訳したくなるよ」と話す。「それは身にしみるわね。あなたの家族はコンサバティブじゃなかったけど、怖いオジサンがいたわよね(笑)」。

 エリー政春がああしてドタバタと失敗をする姿を見ていると、どうしたってMと日本で暮らしていた頃をなつかしく思い出す。外国人はその国の作法を習うのは楽しいことなんだよね。クリシェに満ちているのでMに見せるのはためらわれるが(そういうシーンはシャーロットさんに対してもどうも日本 TV はクリシェ多めですんませんねえ的な気持ちをやや感じる)、なにかいいシーンがあったら見せてやろうかなと思う。

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■14/10/02(木) □ 漕艇写真コンテスト
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 うちの奥様は漕艇という珍しいスポーツをやってるのだが(レガッタ的な超細長で浅い、漕いでないと不安定でヘタすると転覆するという滅茶苦茶ストイックなボート)、BC の漕艇協会が写真コンテストを開催したので張り切って応募した。数枚送った中でこの「霧の朝」はたしかに美しい。行けるかもしれぬ。

惜しむらくは防水コンデジで撮った写真なので、拡大すると画質が悪い。「賞的にはそこが脚を引っ張るかも…やはり一眼でないと…」と講釈すると、「誰がそんなものをあの霧の海に持って行けるか」と笑われた。なるほど。


(後日)この2枚のどちらとも違う写真がなぜかMの候補写真とされ、得票が集まらなかった。この2枚のいずれかならもっと票が取れたと思う。残念。

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 【マッサン】「私に怒鳴らないで!」と初めてエリーがピシャリと英語で言う。彼女が英語を話すとほっとする。視聴者のためとはいえエリーが政春に英語を話さないのは明らかに不自然なので、シャーロットさんのストレス解放のためにも英語の台詞を増やしてほしいと思う。

 まだ4日しか見てないのに親子の相撲ですでにジワジワと来てしまった。海を渡ってきた花嫁とそれを守りたくてもがく純なバカ息子というのが、もうそれだけでジワジワを含んでいるのかな。許していることを相撲で伝える父と土下座して否定せざるを得ない母というのも、ジワジワを含んでいる。

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■14/10/03(金) □ 人生までも連れ去って
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昨夜シャーロットさんのツイッターアカウントが見つかりさかのぼって読んでみたら、去年までは舞台の告知等を静かにポツポツと呟いていたのが、3月に突如日本ライフが始まり桜咲き、役者人生がめまぐるしく変転した様子がよく分かる。

 日本の春を楽しみ、食生活の変化から貧血になりお医者に優しくされ感激したり、コインの判別に苦しんだり、ルードそうな弟がはるばる滞在しにきてくれて超喜んだり。「聡明だけど異文化ゆえにドタバタ」な外国人を素でやっておられる。見たままの柔らかなお人柄なのが忍ばれます。

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 【マッサン】広島を去ろうとするエリーを政春が止める。いいからもうマサハルはエリーとは英語で話せ(笑)。「イエスといってくれるなら僕は…永久にここに住む! 一緒に歳を取りたいんだ!」と湖畔でエリーを泣かせたのに、日本語じゃ「亭主関白じゃ俺の言うことを聞けガー!」になっちゃう。日本語じゃロマンチックなことを言えんのだ。まあわかるが。

西洋から来たエリー(時代&地域的に「赤毛のアン」のプリンスエドワード島のマリラたちと同時代の合理性と強さを持っていると思う)にとっては、母親の反対をごまかしたことやこういうアホさは「?」なところがあると思う。しかし「なんでなんにも言ってくれんのォ」と父に泣き、「わしのそばにおってくれ」と妻に泣き、やがてエリーを抱きすくめその名をただ吠える政春のその子供みたいな直情ぶりを、彼女は愛さずにいられないのだろう。

 政春の握った手にエリーが与えたキスは、子供のすりむき傷にする母のキスのようだった。天を仰いでの「はい」は、すべてをいったん受け入れよう、彼を愛してるのだからという儀式に見えた。We can work it out、きっとなんとかなるわとあの仕草は言っていた。

 プリンスエドワード島の隣はちなみに「新たなるスコットランド」という名を持つ州で、アンはそこで生まれたのだ。マシューたちはスコットランド移民2世らしい。「赤毛のアン」と「花子とアン」はまったくつながっていなかったが、この物語はつながっている。そう感じさせるものがあると皆がささやき合っている。



 今日の「#エリーかわいいよエリー」は、彼女が窓を見上げ「蛍の光」を歌うところだった。声がかすれていたのは、飛び出た家から政春の宿舎まで泣きながら歩いた後だったんだろう。そして自分がこれを言っているのが信じられない、マサハルは信じられる? という表情で彼女は言った。「私を日本に連れてって」。

Take my hand, take my whole life too
この手を離さないで。人生までも連れてって
For I can't help falling in love with you
あなたを好きにならずにいられないのだから



(Presley /UB40 - Can't Help Falling In Love)

 Mと出会った頃、彼女の残り僅かな日本の日々を一緒に過ごしながらこの歌を何度も聴いた。この手を離さないで。人生までも連れてって…。俺はどうしたらいいんだろうといくら考えても答えが出なかった。あれも日に日に冷えていく秋の頃だった。