2014/12/22

日記「帰れない二人」

「ジョージア海峡冬景色」「東京家族」「幸福の黄色いハンカチ」「パンク炎上」

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■14/11/28(金) □ ジョージア海峡冬景色
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 Mの弟ST夫妻を訪ねバンクーバーアイランドへ。寒い。ジョージア海峡冬景色。バンクーバー島へ向かう人の群れは楽しげで、こんな寒い季節にこれほど多くの人がいったい何しに行くんだろうと不思議だ。観光などできんだろう。みんなうちみたいに人を訪ねて行くのかな。

 青函連絡船を降りたところで雪になった。風も強く視界が悪くなりこれはブリザードや。明日は晴れるとの予報なので積もらないと思うが、いやはや。

 ホテルはなんと駐車場に空きがないほど満杯だった。なぜ? この島に温泉やうまいものがあるわけでなし、カナダ人にとって冬の旅行ってなんなの(笑)? わからん。まったくわからん。

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■14/11/29(土) □ 帰れない二人
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 窓から遠浅のパークスヴィル海岸の朝を眺める。岸辺のボードウォークに雪がうっすらと見える。なんと美しい景色かと妻はご機嫌で歌を歌っております。よかったよかった。

 朝 Wifi で「マッサン」を見る。出先で無理してまで朝ドラを見たくなるのは「あまちゃん」以来だ。ついに政春の鴨居商店入りが決まった。「エリーのおかげなんじゃ、料亭まで用意してくれたんじゃ」って、本質はそこじゃなくて政春がなんと言おうと舟の舳先を鴨居に向け続けたことじゃん(笑)。まあいいか。舟を漕いでいきましょう、愛する人よ。Both shall row, my love and I。

 寒くて外に出られないので窓から冬の海を眺めながら、各自家での日常と同じことをやっとります。萌は友達とテキスト、俺はツイッター読み、Mは TV と持ってきた仕事ファイルの片付け。午後は人を訪問する予定なのだが、今のところ家にいるの同じなわけで金の無駄感が強いが、(冬の)海を眺めながらというのがMにはとても大事なことらしい。理解はできんが君が幸せなら俺もうれしいよハニー。Both shall row, my love and I。



 風が強く波が荒かったのだが、カモメはなぜか波打ち際にプカプカ浮いている。白波をかぶりそうになるとフワッと宙に浮いてやり過ごす。陸に上がればいいのになぜそんな面倒をするのだろう。






 散歩をし地元の人気レストランでランチをいただき、午後遅くに今回の旅の目的であるST家へ。難病で余命わずかとされる奥さんのKRは想像よりもしっかりしていた。久しぶりと声をかける一人一人にニコニコとうなずく。意識はあるように見えるが、もう話すことはない。

 「彼女のソックスを新しいのに替えたら足首の血行が悪くなって足がむくんじゃったんだよ! まさかだよね!」と、STがKRをいかに快適にしてやるかということに今も情熱をもって世話をしており、おかげで雰囲気に暗さがなくそれが救いだと思う。KRの言葉はもうあまり意味を成さないようで、彼女がSTの耳元で何事かを囁くとSTが「なに? なんだって?」と笑って聞き返す。それがおかしいのかKRも笑う。言葉はもう通じないのに愛が通じている。その光景は感動的だった。もう星は帰ろうとしてる。帰れない二人を残して。

 俺は凄腕ドラマーであるSTとのジャムセッションだけを楽しみにこの旅にやってきたのだが、それどころじゃないんだなと会ってみてわかった。(ちょっとは考えろよ俺バカバカバカ…)と途中で理解し、コソコソーとギターをケースに戻したのであった。




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■14/11/30(日) □ 東京家族
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 日本語 TV【東京家族】なぜ山田洋次監督が「東京物語」をリメイクしたんだろう、元と違うところはどこなのかと間違い探しゲームみたいな気持ちで延々と見た。前半は忠実なカバーなのだが、徐々に山田洋次風味が入ってきてそのどれもが陳腐な現代批評としか感じられない。

 山田洋次の腕も落ちてるんだろうが(この前作「おとうと」も鶴瓶が結婚式で酔って醜態を晒すあたりの陳腐さに、こりゃ見る価値なさそうと15分で中断した)、ともかくやはりオリジナル「東京物語」は本当に大傑作だったのだなと痛感する映画だった。

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■14/12/06(土) □ 幸福の黄色いハンカチ
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 【幸福の黄色いハンカチ】字幕のデキがよかったら家族で見ようと思ってたのだが、セリフ訳の省略が多すぎてわかりにくい気がしてとりあえず1人で見る。健さんの人物像も鉄矢と桃井かおりの関係も、それぞれのキャラを知らずセリフが抄訳では呑み込みにくいんじゃないかなと考える。

 昔見たイメージよりも健さんが早口でたくさん喋る。口調もきつい。彼の熱情と激情も記憶より強く暗く、70 年代日本全体が(田舎なせいもあるけれど)記憶よりも暗い。過去の「事件」などもう少し弁解の余地ある出来事なのかと思ったらそうでもなかった。面白いけれど、ガサガサしたハードな昭和の映画だったんだなあ。

 しかし車が夕張を目指し始めると、もうウルウルが止まりませんでした。一人でじーっとこらえていたので頭が痛くなってしまった。やはりいい。しかしもし家族に見せることが可能であれば、「はるかなる山の呼び声」のほうが健さんと倍賞さんのよさをうまく伝えてくれそう。

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 「幸福の黄色いハンカチ(77)」から「遙かなる山の呼び声(80)」は調べると2年くらいしか間はないのだが、昔と現代という感じがする。武田鉄矢の車が無骨な箱型ファミリアから瀟洒なカリーナ?になっていて、車内音楽がイルカ「なごり雪」からゴダイゴ「モンキーマジック」になっている。大きな時代の変遷を感じる。ゴダイゴが出てきて英語のめっちゃこなれた曲を歌い出したときはびっくりしたし、あの箱型の古臭いファミリアが FF でおしゃれな台形ファミリアになって大ヒットした時も新鮮な感じがした。1979~80 年はいろいろあって日本が昔から現代になった年だったのかもしれない。

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■14/12/11(木) □ パンク炎上
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 【マッサン】エリーの不注意による階段落ち流産というセンセーショナルな絵が描かれ、腹を立てた俺が「ファック」「クソ脚本ブタのケツ」と書いたパンクツイートがプチ炎上してしまった。

#マッサン ああこんなこと。ひどすぎる。軽率だったとエリーは自分を責め、それを止められなかったと政春も自分を責め、英一郎と鴨居も死にたいほどに負い目を感じる。そこまで苦しみをアンプで拡大して何になるのかね脚本よ。なんなら近所も町も国も全部巻き込んだらどうなんだ。ファック。


 こんな感じで数本。で俺への批判はそこまで言うなら見なければいい、批判するなら言葉を選んでほしい、公共の場でそんな言葉を使う気が知れない、せめて #マッサン タグをはずしてほしいという感じ。そうか。朝ドラファンにパンクは通じないか。気分を害させてすいませんでしたと批判ツイートにリプライし、パンクツイートを削除する。

 ドラマに腹を立てパンクになったことは表現としては間違ってると思わないし、「ファック」もその時点の俺の気持ちを正確に表している。俺にはあれ以外の言葉はなかった。だが《ツイッターで勝手に表現を繰り広げるのはいかがなものか》と問われると、たしかにと頭を下げざるをえない。ここは自分の力で人を集めたステージではなく、一般の人が歩く公共の表通りなのだから。知らない人にはただ不快な奴と見えたのだろう。ロックな言葉が通じる日本は俺の幻想だった。自分のツイッター世間知らずさが恥ずかしく寒い。がっくし。



 今日あった惨劇がこの先の見事な展開につながるのかもしれない。しかしたとえ「そうか後から思えばこの感動は階段落ちだからこそ!」という展開になったとしても、今ここでついてしまった傷が消えるわけではない。作劇上のニーズやデマンドによってチェスの駒みたいにポーンと不当な絶望マスに持っていかれるのを冷静に見てはいられないほど、俺たちはエリーと政春を好きなのである。この物語が好きで見続けたいからこそ、この仕打ちには耐えられないのだ。

2 件のコメント:

  1. 私は放送直後から、「2014年10月2日←■う~む。NHK連続テレビ小説『マッサン』、応援したいんだけど・・・。脚本と演出の理念が、浅すぎね?」と、『共犯新聞』1面トップ赤文字1行更新コメントに書いたんだけど、近作の『ごちそうさま』や『花子とアン』と比べれば、『マッサン』は純文学度数が、かなり低い。つまり、安易な美談を作り上げることで感動を演出しようとしている。が、しかし、現代人の文学リテラシーでは、それではまるで視聴者のレベルをバカにしているようなものだ。NHKは、大河ドラマも同様な傾向がある。『平清盛』をピークに、『龍馬伝』や『八重の桜』などは純文学の度数が高かったが、『軍師官兵衛』は一気に単純な大衆文学路線になってしまっている。たぶん、その理由は大河ドラマの視聴率の低下が原因だろーが、オーディエンスのレベルをバカにすると、いつかしっぺ返しを喰らうことになるだろうな。

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    1. 男と男のぶつかり合いみたいな部分は躍動感あるんだけど、エリーという人の造形と夫婦の関係描写はご都合主義でがっくりきてしまうことばかりだね。俺も身近に感じる国際結婚の話だしシャーロットさんが魅力的なんで期待してたんだけど、うちの奥さんや娘に見せたいと思うところは少ない。シャーロットさんも国に帰って家族に見せたい部分は限定的だろうなあと思う。エリーとは本当はどういう人であるべきなのかを、シャーロットさんと脚本と演出が話し合ってほしかった。まあ始まってしまうともう時間がないんだろうけど。

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