2014/10/26

日記「ツイートを訳す難しさ」

「しょぼきカナダの部活ライフ」「ソープオペラなマッサン」「テレコンはトイレンズ」

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■14/10/15(水) □ しょぼきカナダの部活ライフ
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 高校が始まって一月経ち、萌のクラブのことなどを初めて家族で話したのだが、カナダの高校生活はさほど充実しているようでもない。アート系の選択科目が充実しているのがこの学校を選んだ理由の1つなのだが、萌はアプライした写真グラフィックコースが定員オーバーで入れず、第二志望のセラミック塑像コースとなった。その科目自体は楽しいらしいのだが、これしか取れないのである。

 選択科目はその他にも コンピュータグラフィックス、IT、ジャズボーカル、演劇、合唱、ブラスバンド、ギター、テキスタイル、木工その他どれも魅力的なのだが、フランス語科の生徒はフレンチで余分にコマを消費するので1つしか取れないのだ(一般生徒は2つ取れる)。

 そしてこれが意外だったのだが、これら充実した(しかし入れなければそれまでな)科目を部活が補完していない。写真グラフィック科は写真の基礎と Photoshop をやるらしいのだが、萌が入った写真部のほうは「指導する先生はいなくて、生徒同士でただ写真を撮って見せ合うだけ、つまんない」と萌はすでにやる気をなくしている。ジャズボーカル部や軽音部はない。つまり選択科目は超素晴らしいが部活は生徒の自主サークルに近いものらしい。正規の科目との質の落差が激しい。カナダの高校はどこでもそうなのだろうか。

 音楽をやるとすればミュージカル部しかないらしい。演劇は去年1年やって才能があるといわれたのだがなぜだかもうやりたくないそうで、これも入らず。そして萌がいつもつるんでいる友達は萌の興味がないラグビーとかの運動部なので、結局萌は写真部以外何もすることがないわけである。何も入らないと虚しき帰宅部になるので写真部だけは続けろとMがプッシュしている。

 まあ写真部はすでに知っている友達がいないから萌はつまらなく感じているわけで、写真を撮って見せ合うというのは毎日インスタグラムでやってる大好物ではないか。それを写真が好きな者同士で、iPhone ではなくカメラを使ってやろうというのが写真部なのである。入ればそこで友達ができる。友達ができれば写真を見せることが楽しくなる。がんばれ。

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■14/10/18(土) □ ソープオペラなマッサン
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 【マッサン】エリー政春ケンカ決裂。「よくそんなことが言えるわね!」が胸にしみる。エリーがもげた袖を返し謝り大人の対応をしたあと、唯一泣きつける相手であるキャサリンの手を子供のように取ったのがよかった。キャサリンおばちゃんのアドバイスは別れろと大人気なかったけど。

 しかし夫婦ゲンカのつらさ悲しさは感じさせてくれたけれども、ラストは「埴生の宿」を歌い、今週も特に何も話さずただ赦すエリー。まあ今週も恒例政春が泣いて謝り終わりだろうなあとは昨日あたり思ったが、歌を使うというアイデア落ちに縛られ3週目にして一番説得力が落ちた。「埴生の宿」を歌うエリーの表情もうつろに見えた。赦しの台詞は、かなり彼女の徒労感というかお仕事感を感じてしまった。

 Mに初めて「マッサン」を見せてみた(政春エリー決裂シーン)。ケンカの背景をざっと説明しておいたので台詞はほぼ聞き取れていた。やはりエリーの喋りは本物の外国人日本語なのである。感想は「どこも同じよね。こういうケンカは身にしみるわね。字幕があったら見たいわ」とのこと。しかし教会の「埴生の宿」のシーンは見せられなかった。ああいうソーピー(安直)な部分がなければ見せるんだが。「ソープオペラでいいじゃない、そういうのも見るわよ私」とM。そうか。まあね。



 シャーロットさんはミュージカルの役のようにエリーを演じていると思う。優子が英語を話せると気づいた時の表情や小走りに駆け寄り小鳥のように隣に座る姿なんて、ああミュージカルだなあと思った。西洋の舞台俳優が習得してきた動きの心地よさが、朝ドラでひらひらと舞っている。後から読んだインタビューでエリーのことを、昔のミュージカル女優 Doris Day(ケセラセラを歌ってた人)に例えていた。やっぱりね。

 製作陣がその華やかさを望んだのはわかるし文句ないのだが、実際エリーの行動はミュージカルの登場人物のようにシンプルに作られていて、舞台を遠くから見てわかるくらいな芝居しか現時点では与えられていない。政春が洋行帰りを感じさせない大和男であるように、エリーも日本在住外国人らしくはあるが、西洋人らしさはこれといって見えないので皆がややじれったさを感じている。まあマッサンの業績のほうが主役の朝ドラだから今は仕方ないのかもしれない。

 外国人が家族にいると周りが変わっていく。鴨居がそうであるように、エリーだったらどう思うだろうという視点が常に入る。その「エリーとシャーロットさんはどう思うだろう」という視点が朝ドラの陳腐をゆるやかにクリーンアップしてくれるだろうと期待しているのだが、なかなか根強いな。

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■14/10/23(木) □ ツイートを訳す難しさ
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(TrinityNYCさん)英語と日本語でプレゼン資料両方作ってみると、日本語という言語の持つ「情緒性」を感じずにはいられない。英語だと単語だけでスッと頭に入ってくる内容でも、日本語になると、視覚から入ってくる情報が、メッセージにからみついて、本質部分が見えにくくなることがある、とでもいいましょうかね。


 このツイートにリプライした。全然仕事の話ではないのだが、英語でツイートをするとどうしても普段日本語で書いていることが書けない。他の人が書いた面白いことも英ツイートに翻訳できない。この「情緒性」となにか関係あるんだと思う。

 つまり俺がツイートしてるようなことや、自分が面白いと感じる日本語ツイートの多くはちゃんとした筋道立った翻訳可能なものではなく、どこか違うところにワークしてるものなんだろう。

 んでまた「マッサン」の話になってしまうのだが、皆がツイッターで書いていることをシャーロットさんに少し伝えたいと俺は思う。ファンレターを書きたいわけではない(笑)。シャーロットさん自身が日本ドラマという異世界に嫁いだ外国人なのでやはりシンパシーを感じずにおれず、人々は「マッサン」をこのように楽しんでいるのです、大丈夫なのですと伝えたくなってしまう。

 だけど試みてみるとこれが本当に困難で、上記の訳し難い微妙な気持ち問題もあるし、物理的にも日本語 140 字で書ける内容が英語ツイートでは3つくらい必要になる。字がびっしり詰まったツイートを@で誰か宛てに多数送るのは押し付けがましいと感じるので、そこでまた頓挫してしまう。

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 【マッサン】優子のお見合い。婿さんは優子の気持ちがなぜ揺れてるのかをズバリ質問してきた。いい人だ。そして優子は正直にきちんと答える。結婚したら優子の夢がどうなるかわからないが、きっと二人はお互いを好きになれるだろう。優子が結婚を決めたことを知り、それ以上は何も言わずにただ静かに泣くエリー。

(tamicさん)優子さんにとって、家を出て働きたかったと両親にも結婚相手にも声に出して伝えられたこと、その気持ちを汲んで父親が一旦は見合いを断ってくれたことは、生きていく上でとても大切な糧になると思う。誰かが自分の気持ちを知り、受け入れてくれたことは、土台になる。
言うことを聞いてくれるか、くれないかでなく、気持ちを伝えて理解してもらうということが、人として尊重されている安心感となり、主体を持つ上での自己肯定感につながるんだよね。


 人々の感想ツイートを読んでいて、tamic さんのこの言葉にそうかと気がついた。そうか。夢が手に入らず、夢破れたことすら知られないというのは悲しいよな。考えてみればエリーは何かを止めに行ったのではなく、ただ優子が「気持ちを伝え、理解してもらい、尊重される」ためにフタだけ静かに開けたのだった。だから最初に声を発した時に、声も高めず静かに問いかけていたのか。「夢があるんでしょドシタノ?」という不思議顔で。それが優子に必要なことなのだった。そこから先は、レットイットビー。

 そうか。ちょっと考えて、シャーロットさんに書いてみた。

Ellie's interruption didn't change the course of the things for Yuko, but now everybody knows how Yuko feels, at least.
(エリーのおせっかいは優子の運命を変えることはできなかったけれど、そのおかげでみなが彼女の気持ちを知ることができました。)

Not to be known is the saddest thing. Yuko's small dream was acknowledged and respected. So, don't cry Ellie.
(一番悲しいのは知ってもらえないこと。優子の小さな夢は認められ尊重されたのです。だから、泣かないでエリー。)


 tamic さんにもこれを送っておこう。tamic さんらの言葉を見て俺が思ったこととシャーロットさんに書いたことはイコールではないし、それを訳したかっこ内の日本語も英語ツイートとイコールではない。しかしどちらに宛てるにしても単独で成り立つものにして、中心点を打ち抜くしかないのです。

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■14/10/24(金) □ テレコンはトイレンズ
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MZ14-42 の先端につけるテレコンバージョンレンズを買ってみた。望遠レンズ MZ40-150mm は近くが撮れなくて不便で普段使いがしにくいので、このテレコンをカバンに入れておいて必要なときにさっと望遠が得られないかなと。

 しかしなんと 14-24mm まではケラれてしまう。説明にそんなことは書いてなかったが調べるとよくあることらしい。これほど狭くなるとは。25-42mm は使えるが、絵はやはりゆるい。センターの解像で 30% 落ちという感じで、周縁はブレブレに流れてしまっている(絞るとセンターの絵を使うのか流れが減る)。


あちゃーこりゃ使い物にならんデジタルテレコン(標準機能のセンタークロップ)より悪いと思うが、途中でクローズアップは使えるなと気がついた。テーブルフォトを撮るとセンター以外が大きくボケていい味になる。ワイド側が使えないのだから画角の不便さはズーム MZ40-150mm と同じなのだが、違いは寄れるところで、20cm くらいまで寄れるので 40mm@100cm の倍以上の大きさでクローズアップでき、背景がよくボケる。

 レンズの周縁ボケが出ると汚くなるが、それを避けるとこれは使える。部屋の中、ポートレートくらいの距離なら解像度も問題ない。ふわっと撮れる古い中距離レンズという感じで悪くない。手軽に望遠という夢は破れたが、この値段とクオリティなのだから光学性能など気にせずトイレンズとして使っていこう。

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  【マッサン】4週目ラスト。政春は「断るつもりだったから相談しなかった」と見え透いた嘘をついた。オファーを受け、優しすぎる大作社長を裏切ってしまいそうな自分を恥じて言わなかったくせに。けれどそれがママを怒らせたのです。わかるよ! 一緒に悩み考えることが仕事だよ! 今回は一番怖かったね。

 鴨居に行くべきだとエリーが行ったのには政春も俺も驚いた。鴨居に出向している間の彼がそれほど生き生きしていたのか。しかしそれすらも恋心を見透かされたと思い込みうろたえた政春は、大爆発ワード「外国人にはわからん」に手をかけてしまったのであった。阿呆である。

 政春は自分の気持ちを読まれることを嫌がる男だが、実はみな顔に書いてありそれがすらすらと読めるエリーと鴨居に愛されている。顔のどっち側に書かれてるかくらいは当然わかる大作社長にも愛されている。優子さんも彼のその単純さを好きだったのだろうね。



 エリーも住吉の恩に報いたいという気持ちがわからないわけがない。外国人は感謝が薄いと日本人はよく言うが厚さは変わらない。しかしそれよりも政春の充実感のほうが大事とみなすところが、エリーが今週徐々に発揮してきた西洋らしさなのだろうか。そのへんの真意はまだよくわからない。

 しかし今日のエリー激怒は怖かった。日本語を喋っていても演技が英語でハリウッド的だった。西洋人らしさカモンと思っていたのに、実際そうなると俺は引いた(笑)。50 年代米コメディエンヌだったエリーが突如現代ハリウッド類型になったので引いた。西洋はいいがハリウッドはちょっと。あれは失敗テイクとしてリテイクすべきだったのではないだろうか。

 これまでとは形相が違っていたし襖をバタンと閉めちゃったので、政春がいつも通りに泣いて謝り許してはもらえなかった。襖の後ろでエリーが泣き崩れたりはせず、アホ、ドアホとつぶやきすぐに顔を洗いに行った(想像)のが大仰さを鎮めてくれよかったのだが、どうなることであろうか。ちょっと成り行きを見守りたい感じ。

2014/10/20

日記「Kids are All Right」

「カナダ子供のつるみにくさ」「カラオケよりバンドをやってくれ」「YAMAHA GL1 探し」「GL1 ゲット」「妻のための最小ギター」

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■14/10/04(土) □ カナダ子供のつるみにくさ
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 萌の友達の、あのパパサカタと俺を呼ぶNMが遊びに来たのだが、例によって俺を見て「細長い…フォリナーだし…笑ってるし…」とかいってウケている (^-^;。

 萌との会話を聞いていると頭が良くおっとりとしたユーモアがありいい子であった。いい子だから俺の知らぬ俺の美点がわかるのか。そういえばこないだ萌が連絡してこないので心配してこの子の携帯に電話をかけたとき、見知らぬ番号からだったので出るなり「どなたかまず尋ねていいですか」って静かに答えていたもんな。頭がいいよこの子。



 しかし彼女も夏休み中萌と同様家で Youtube を見るだけの日々だったそうだ。だったらみんなもっと落ち合えばよかろうに、なんでそうしないんだろう。

 まあカナダの子供生活はやっぱり、徒歩や自転車で行ける距離に友達が住んでいないがゆえのつるみにくさがあるよな。フランス語科のある学校は少ないので特に条件が悪い。萌の同級生の家はうちから最短で片道車 10 分、最長で 20 分かかる。この 20 分の家に送迎(ドロップオフ&ピックアップ)すると、それだけで親の週末の2時間弱がただ車の運転で消えてしまう。

 今日NMはバスで来て、帰りもバスで帰ろうとしていた。いやもう暗いからと俺が車で送っていったが、カナダの一般的な親は高校生の娘が夜バスで移動していても心配しないんだろう。俺とMは萌にそんなことをさせられず、それが子供扱いだと萌は感じている。しかし彼女に炊事を手伝わせ手際を見ていれば鍋が吹きこぼれたら一瞬フリーズするくらいで、まだ想定外のことには対処できんのだ。

 高校生といえどまだ14歳、日本なら中2だもんな。危なっかしくて大人扱いはできないすよ。このへんはカナダの学年制度や、自立を有難がるティーンカルチャーのバランスの悪いところだと思う。

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■14/10/08(水) □ カラオケよりバンドをやってくれ
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 【SONGS◆クリス・ハート】日本の心を大事に日本のバラードをカバーしているとのことだが、アレンジも歌い方もオリジナルと変わりなく、こういうのをカバーとは普通いわないと思う。カラオケだよね。

 彼は Youtube のカラオケ投稿で有名になったそうだが(近年そういう外タレが多い)、その頃と大要同じことをやってミュージシャンあるいはボーカリストといえるのかどうか。こうした人たちが何か新たな価値を作っているのかどうか。あるいは何を歌っても鳥肌立っちゃう玉置浩二のような特別な声を持っているのかどうか。

 なんでも朝ドラ「マッサン」につなげてしまうが、エリーは単にカワイイ外国人だからツイッターで皆がきゃっきゃ言ってるわけでもないと思うのだ。彼女が日本で演じることでこれまでになかった楽しさが生まれていると感じる。外国人 Jpop 歌手からは、あまりそれを感じないのである。すでにあるものの互換品なんだもん。オリジナルなのはモンキーマジックくらいだろう。



 カラオケというのはおそらく最も少ない努力で成果が出る音楽アクティビティで、萌も楽器の練習はあまりしないが iPod に合わせてのポップス歌唱完コピはいつもやっている。うまいが、人前で人の表情を見ながら歌わないと人の気持ちを動かす声は出るようにならないと思う。

 子供らには自分でやれるバンドサウンドを今のうちに聞いてほしい。楽器の音の良さを聞き分ける耳を養ってほしい。そして自分も音を出し歌ってほしい。君たちが聴いてるポップスはスターになって周りがお金で動いてくれないと作れないが、バンドサウンドは自分で作れる音なんだ。わかるかい。

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■14/10/09(木) □ Kids are All Right
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 学校の写真クラブに入った萌が、初めて PEN を持っていく。そして撮ってきた写真が滅茶よくてまいった。ちょっとキミたちね。もう親にはこんないい顔を撮らせてくれんだろ。勝手にせよ :-)

 子供がティーンになると、Kids are all right だなあとほんと思う。親の出番はない。衣食住だけ提供しておけばキッズ同士でよろしくやっている。親としてはあと3~4年はあれこれ教えガイドし共に遊び暮らしていたいのだが、一緒に何をやろうとしてもほぼ強制になってしまう。もう離れているのだ。そして Kids are all right、子供ら同士で楽しくやっていく。それがくるのが日本より早い。

 Mも最近は俺と同じく萌が手を離れてしまったと寂しく感じているらしい。俺はまあもう慣れたよとMに話す。小さい頃の彼女の写真を見ると悲しくなるので見ないようにしていると。仕方がないわね。20 代になったら親のところに気持ちが帰ってくるわよと彼女は笑う。そう。そうだね。なるようになり、やがて頃合いなところに落ち着くだろう。They're alright、Kids are all right。



Kids are All Right (The Who)

I don't mind other guys dancing with my girl
うちのムスメが誰と踊っていてもかまわない
That's fine, I know them all pretty well
問題ないさ、どいつも大概知ってるし
But I know sometimes I must get out in the light
まあ俺もたまには外に出て
Better leave her behind with the kids, they're alright
ムスメのことは友達に任せとくべきなんだろうな
The kids are alright
キッズは楽しくやってるんだからね

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■14/10/10(金) □ YAMAHA GL1 探し
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萌が表の写真を撮ってきた。今年のうちのメイプルの紅葉はピークに達する前に半分散ってしまった。夏がカラカラの雨不足だったからかな。



 Mがウクレレを習いたいと言い出したので、いやゼロからやるなら弦が6本あるほうが面白いとヤマハのギタレレ GL1 をおすすめした。前に楽器屋で見てウクレレと大差ないその小ささに興奮したのである。

 しかし昨日試し弾きしてみたら全然鳴らなかった。倉庫のパッケージから出したばかりだったからかな。梱包内では弦がゆるめてあったので、チューニングしてしばらく置かないと鳴るようにならないとかあるんだろうかガットギターって。それともたまたまハズレ個体だったのかなあ。

 そして今日別の楽器屋でもう1本 GL1 を見つけて弾いてみると、これも倉庫から出てきたのだが(どうも長い間ヤマハの工場がストライキで生産が止まっていて、ちょうど再開されたところらしい)こっちはちゃんと鳴った。昨日のが音満足度 5 としてこれは 7。8 以上がある製品なのかこれで満足すべきなのか。わからぬ。コキットラムで他に楽器屋ないしなー。

 理想は同じギターを2本じっくり弾き比べていいほうを選ぶことなんだけど、御茶ノ水の楽器屋あたりに行かないとそんな環境はない。もう1本別な個体を見つけて弾けたら、平均値がわかると思うのだが。

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 【マッサン】第二週ラスト。MやLDと日本の映画を見ていると「そんなわけないじゃん」とご都合主義なポイントを頻繁に指摘される。日本はそういう部分に非常にゆるく、ハリウッド映画などはそういうご都合主義はおそらくシステムできっちり排除して作っている。

 エリーが優子の罵倒を理解してショックを受けるところなんてのもそのうちで、日本に来たばかりの彼女に親不孝だの裏切りだのといった内容がわかるわけがない。優子にゴメンナサイと告げ飛び出すというのもシャーロットさん本人が Web で語っている通り、共感しづらい演技だろう。俺はそういう点は複雑であろうシャーロットさんの気持ちを思いハラハラしてしまう。

 しかし今日の最後の泪橋シーンは、エリーが知っていてはおかしいレベルの言葉が出てきてもそこにつまづく気になれないだけの演技の力だった。すごかった。「スコッチブロス食べてもらえない、大丈夫。優子さんイジワル、大丈夫」には泣けた。「下手な日本語で、お芝居にしか聞こえへん」という優子の前言を完全に裏切るあの彼女の言葉の強さは、いったいどこから出てくるのかと魔法を見ているようだ。

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■14/10/11(土) □ YAMAHA GL1 ゲット
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【買ってきたよ奥様の新ギター YAMAHA GL1】

 美しい。ちゃんとヤマハの名に恥じぬクオリティのヘッドとチューニングペグだ。素晴らしい。そのサイズからは信じられないくらい低音が出る。サイズ比較用に一緒に写ってるのは日本のおばあちゃんが送ってくれた鳩サブレだ。娘と奥様はダッククッキーと間違って呼んでいる。

 「倉庫から出したばかりだと音が出ない?」仮説は当たってたようで、試奏した2つのうち音納得感が5だったほうが二晩寝かせて7になっており、7が一晩で8になっていた。当然8をゲット。6弦が A なんだけど、ローコードはそのサイズからは信じられないくらい低音が出る。ギターはやっぱりコードを弾いて気持ちいいのが最高だからね。

 普通のギターより強めに共鳴させてサステインを得る作りになってるようで、ミュートをちゃんとしないと共鳴した開放弦の不要な音が残るくらいボディが鳴る。短く細いネックに慣れたらたとえば「アンジー」なんかをちゃんと弾けて気持ちいい。最高のトラベル&TV 見ながら弾きギターでしょうこれは。

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超遅ればせで今日見た【おやじの背中 尾野・國村】尾野真千子の顔を見るだけでうれしくなる。宝もんやな。利発で裏がなさそうな、そのひっつめ髪のような単純さに俺は憧れる。しかしそんな彼女にももちろん悩みはあるのですという、ここまで見た中で初めて本当らしい父娘のお話。

 尾野が「お父さんは健康で! ひどいよ!」と罵るところがつらかった。わかる。わかるよその理屈つけがたい不公平感が…糸子…いや尾野さん。しかし高級旅館に親子同宿したらあれもこれもきれいに解決してしまったので、高級旅館すごい。俺も行きたい。

 父親のうめき声に「どしたの!?」とぱっと反応するときの声や顔が、尾野さんは本当にいい。演技がどうこうじゃなくて、美しいと惚れ惚れする。いい音がするアコースティック楽器のような人だと思う。あの顔を見たくって、つい手に取って鳴らしたくなる。

 最後にかかる歌が親子デュエットで有名なあの曲だってのは、いつもながら砂糖かけすぎ日本ドラマだなと思った。花子とアンの「愛の讃歌」とかね。いい後味と砂糖の量は比例はしないよね。

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■14/10/12(日) □ 妻のための最小ギター
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 買う前から薄々意識していたが、ギタレレGL1は既定のウクレレ式ではなくギターと同じチューニングで使ってる人が多い。知ってる曲を元のコードで弾けるなら当然その方がいいわけで、トライ(音を5フレット分下げる)してみると音はちゃんと出る。

 しかしフレットを抑える指圧で音程が必要以上に上がってしまう。つまり開放 G の 2 フレが A と A#の中間くらいになってしまい、どうやってもきっちりとは合わない。そしてやはりネックも若干反る。むー。

 いろいろ調べてみると、6~2弦を5~1弦に移して6弦を別途足せばいけるらしい。なるほど(「旅とメロディ」)。

 6~2弦を移動し手元にあるアコギの 6 弦を足してみると(ガットギターの弦張りなんて初めてやったので超苦労した)、できた。6 弦だけは 5 フレ分テンションが低いので前記の音程問題が出るが、普通のコードでギターのキーが出る。これは気持ちいい。この小ささでほんとのギターですよ。これはスマホ並みにすごいこと。

そして6弦の張りがゆるすぎてチューニングが合わないので、楽器屋で一番太い(=張りが強い)6弦を買ってきた。ガット弦で太いのはなくアコギ弦。056 だから普通の 046 より一回り太い。これで開放から5フレまでギリ音が合う。やった。ギタレレ持ち主の妻も喜んでくれよう。

「まあ新しい弦! ダダリオなんて高かったんでしょ? いいの?」
「いいんだ。君のためだ」
「イシバシ楽器のショップブランド弦で十分だったのに」
「いや君にはアーニーボールとダダリオしか似合わない」

みたいな。

2014/10/14

日記「人生までも連れてって(マッサン)」

「『マッサン』の日々が始まる」「想像の翼」「ゴーストだったドレスコーズ」「漕艇写真コンテスト」

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■14/09/28(日) □ 「マッサン」の日々が始まる
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 嵐の秋に備え、こないだあふれたフロントドライブウェイ・サンプの詰まりを本格的に掃除する。掃除をまめにしている限り流水量は大丈夫だと思う。こないだの爆発的雨のときは隣家のドライブウェイはやはり排水できず、20cm もオーバーフローしてたそうだ。非常時用に小さな予備ポンプを買っておくべきかもしれない。

 そして午後は屋根と雨樋掃除。よく働いた。よし。嵐の季節への準備はできた。



新朝ドラ【マッサン】が始まる。マッサンがエリーに広島弁で喋るというのが無理あるが(外国人は方言わからんだろう)、見知らぬ国での冒険にキョロキョロとするエリーが愛らしくて満足。

 シャーロットさんは「マサハルの家どこ?」といった台詞と一緒に体や視線がいつもひらひらと演技をしている。俺が一度だけ見てその妙味をたちまち理解したミュージカルの役者さんたちと同じで、小鳥のような可憐さでとてもよろしい。台詞がなくても彼女の気持ちが動いてることがどんどん伝わってくる。朝ドラの明治大正はそれが合う舞台なのだと思う。

 日本語がわからず困惑するエリーが気の毒で、ついていって俺が通訳してやりたくなる。実際日本人は外国人がわからなそうな言葉は避けて喋るし、日本語会話から置いてかれちゃってるなと思うとすぐに気づいて概要を教えてあげる傾向がある。これは日本人の美点だと思うので、史実ではあっただろうそうした政春の気遣いも描いてほしいところ。

 あと予告編でみた First whiskey! In Japan! という政春の英語芝居がカッコ良かったし全部ちゃんと喋ってるのに、字幕じゃなくボイスオーバーとなってたのが残念。これはお年寄り対策らしいのだが、そのためにクオリティを落としてほしくはない。


 その予告編【マッサン 50 ボイス】でのシャーロットさんの言葉が印象的だった。「家族から離れるのが怖かったし…それに怖かったのは…ほら…『失敗』ね。でも人生はアドベンチャーだから」と声が震えていた。日本中の朝を楽しくもがっかりもさせる、重大な役目なのだとわかっているんだろうね。

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■14/09/29(月) □ 想像の翼
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 昼前から雨が降り始め、午後には本降りとなる。昨日頑張って水回りを万全にしておいてよかった。

 【マッサン】エリーの英語には聞き取りづらい音が入っていて、あれはアメリカ人のシャーロットさんがスコットランド訛りをやってるのだと思う。米加人が英国ナマリを出すのは玉山鉄二が広島弁をやるよりずっと難しいだろうし、彼女は日本語もきれいなので耳と口がすごく利く人なんだろう。

 日英混じりドラマでは「このくらいの流暢さのヒトがこんな語彙を知ってるわけがない」というアラが日英とも必ずあるのだが(子供の日本語教育に苦労してるのでよくわかる)、 「マッサン」はそれが少ない。シャーロットさんに無理を強いずていねいに手を抜かず作っているのがわかる。逆にマッサンの英語は音が怪しくてもパッションと仕草で通じる。そこがいいよね。

 シャーロットさんの英語インタビューをちらと読んだのだが、「玉山さんと私の演技手法はまったく違う。しかしどちらが優れているということはなく、どちらも Work する(うまくいく)のです」と言っていた。やはり違いが見えている。それを合わせようとする技量と度量がある人なのだろう。俺はあまり関連記事で彼女の来歴等を調べたりせず、想像の翼を広げて楽しんでいる。

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■14/09/30(火) □ ゴーストだったドレスコーズ
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 ブルーハーツが出てきたとき日本唱歌的な単純メロディと情緒とドライさが入り交じるデスマス歌詞が画期的だと思ったし、ヒロトの無軌道なアクションにもニコニコさせられたが、以後のフォロワー的バンドはそこから画期性を抜き、音楽的ノーアイデアの補填に熱さをどくどく使用するものばかりだす。

 モンゴル 800 なんてギターを抱いたキロロであってロックですらないし、NHK MJ に出てくる若手バンドは皆そうした「みんな共感してくれ俺もするから!」てな熱さ原理主義で、どうぞ学園祭で骨まで燃え尽きてくれたらいい。


【ドレスコーズ/Ghost 】

 が、MJ でそういうバンドのあとに出た変な見た目のバンド「ドレスコーズ」が超よかった。 「そうさぼくはゴースト。生きてるみたいでしょ。でも心はもう死んでいるんだよ。君にすればもういてもいなくても同じ」――こういうのがロックだよな。絶望が音と言葉に向かっていってよかったと思えるような、そういうものが。

 「恋人がいなくなって、もう生きてる意味ないじゃん…っていう曲」と彼は紹介していた(笑)。音も声もメロディもすごくいい。「みんな共感してくれー」的な音楽をやってる連中はこれを聞いて絶望すべきである。

 ドレスコーズのファンのツイッターを見つけ、彼女のところからあちこちのリンクに飛び何曲も聞き、インタビューも読んでいいぞいいぞと盛り上がったところで、すでにバンドが解体しているという衝撃の事実を知った。俺は昨日 NHK 国際でドレスコーズを初めて見たのに、その番組の収録が最後だったようだ(ボーカルの志摩が単独で活動していくらしい)。あれはゴーストだったのか。生きてるみたいだったよ。ツイッターでおすすめされ気に入ったフジファブリックのボーカルがすでに亡くなっていたのに続く悲しき出会いであった。



 海外に住んでいて NHK 国際しかソースがない状態でもこうしていいバンドが耳に飛び込んでくるんだから、日本のロックは豊かである。自分の娘が聞いているイヤホンからシャカシャカと漏れ聞こえてくる米カ音楽の単調さには、彼女の音楽の空が暗く低くなっていく思いがする。

 音楽だけではなく書物や他の趣味にしても、手のひらのガジェットで Youtube から好きなものだけ吸い出して消費している今の子供らの摂取しているものは、俺の中高時代よりも貧しい。映画化されるようなベストセラーしか読んでいないし大ヒット映画しか見ない。見知らぬティーンが作った馬鹿ビデオなんかをジャンクフードとして大量に消費している。萌の年頃なら俺は本と音楽の虫だったぜ。昔は誰だってそうだったろう。マンガさえ読んでないのだから、現代北米ティーンの民度たるやなんともはやである。

 ネットで何でも手に入るが、新規に探さずとも大好物が常時手に入るので結局それしか食べなくなっちゃう。それが今の子供の文化摂取スタイルなんだと思う。お母さんにプッシュしてもらってせめて本だけでも、もうちと頭を使うものを読ませたい。

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 【マッサン】打ち水でお父さんに水をかけたりするベタなところが、外国人に見せるには恥ずかしい朝ドラスタイル(笑)。しかし喋る日本語に本当に魅力があるし、素で笑い顔が出るところがシャーロットさん素晴らしい。その笑いをカットしない現場もいい。あの笑い顔がベタさを変えて行ってくれるかもしれない。

 怒られるに決まってるのに法事の際中に嫁とひそひそ話して笑っちゃうあたり、マッサンはゆるくて明るくエリーに好かれるのもわかる。スコットランドで同様の苦難を経ていてもまだ二人は笑うことができる。お母ちゃんがつらく当たる意味もわかるでしょう。だからあんまりくよくよしないでね。両方ダメかと思うと落ち込むが、あっちもダメだったからイコールねと思えば気持ちは軽くなる。

 俺が見ている NHK ドラマに外国人が出ていることにMが気づき、どんな話なのかと聞く。「外国人の妻が明治の日本に来て、コンサバティブな家族と文化の違いに苦労しつつも夫のウィスキー製造を助けるというお話。クリシェ(ベタ)だがとてもチャーミング。何が話されてるかわからぬ妻のために通訳したくなるよ」と話す。「それは身にしみるわね。あなたの家族はコンサバティブじゃなかったけど、怖いオジサンがいたわよね(笑)」。

 エリー政春がああしてドタバタと失敗をする姿を見ていると、どうしたってMと日本で暮らしていた頃をなつかしく思い出す。外国人はその国の作法を習うのは楽しいことなんだよね。クリシェに満ちているのでMに見せるのはためらわれるが(そういうシーンはシャーロットさんに対してもどうも日本 TV はクリシェ多めですんませんねえ的な気持ちをやや感じる)、なにかいいシーンがあったら見せてやろうかなと思う。

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■14/10/02(木) □ 漕艇写真コンテスト
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 うちの奥様は漕艇という珍しいスポーツをやってるのだが(レガッタ的な超細長で浅い、漕いでないと不安定でヘタすると転覆するという滅茶苦茶ストイックなボート)、BC の漕艇協会が写真コンテストを開催したので張り切って応募した。数枚送った中でこの「霧の朝」はたしかに美しい。行けるかもしれぬ。

惜しむらくは防水コンデジで撮った写真なので、拡大すると画質が悪い。「賞的にはそこが脚を引っ張るかも…やはり一眼でないと…」と講釈すると、「誰がそんなものをあの霧の海に持って行けるか」と笑われた。なるほど。


(後日)この2枚のどちらとも違う写真がなぜかMの候補写真とされ、得票が集まらなかった。この2枚のいずれかならもっと票が取れたと思う。残念。

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 【マッサン】「私に怒鳴らないで!」と初めてエリーがピシャリと英語で言う。彼女が英語を話すとほっとする。視聴者のためとはいえエリーが政春に英語を話さないのは明らかに不自然なので、シャーロットさんのストレス解放のためにも英語の台詞を増やしてほしいと思う。

 まだ4日しか見てないのに親子の相撲ですでにジワジワと来てしまった。海を渡ってきた花嫁とそれを守りたくてもがく純なバカ息子というのが、もうそれだけでジワジワを含んでいるのかな。許していることを相撲で伝える父と土下座して否定せざるを得ない母というのも、ジワジワを含んでいる。

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■14/10/03(金) □ 人生までも連れ去って
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昨夜シャーロットさんのツイッターアカウントが見つかりさかのぼって読んでみたら、去年までは舞台の告知等を静かにポツポツと呟いていたのが、3月に突如日本ライフが始まり桜咲き、役者人生がめまぐるしく変転した様子がよく分かる。

 日本の春を楽しみ、食生活の変化から貧血になりお医者に優しくされ感激したり、コインの判別に苦しんだり、ルードそうな弟がはるばる滞在しにきてくれて超喜んだり。「聡明だけど異文化ゆえにドタバタ」な外国人を素でやっておられる。見たままの柔らかなお人柄なのが忍ばれます。

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 【マッサン】広島を去ろうとするエリーを政春が止める。いいからもうマサハルはエリーとは英語で話せ(笑)。「イエスといってくれるなら僕は…永久にここに住む! 一緒に歳を取りたいんだ!」と湖畔でエリーを泣かせたのに、日本語じゃ「亭主関白じゃ俺の言うことを聞けガー!」になっちゃう。日本語じゃロマンチックなことを言えんのだ。まあわかるが。

西洋から来たエリー(時代&地域的に「赤毛のアン」のプリンスエドワード島のマリラたちと同時代の合理性と強さを持っていると思う)にとっては、母親の反対をごまかしたことやこういうアホさは「?」なところがあると思う。しかし「なんでなんにも言ってくれんのォ」と父に泣き、「わしのそばにおってくれ」と妻に泣き、やがてエリーを抱きすくめその名をただ吠える政春のその子供みたいな直情ぶりを、彼女は愛さずにいられないのだろう。

 政春の握った手にエリーが与えたキスは、子供のすりむき傷にする母のキスのようだった。天を仰いでの「はい」は、すべてをいったん受け入れよう、彼を愛してるのだからという儀式に見えた。We can work it out、きっとなんとかなるわとあの仕草は言っていた。

 プリンスエドワード島の隣はちなみに「新たなるスコットランド」という名を持つ州で、アンはそこで生まれたのだ。マシューたちはスコットランド移民2世らしい。「赤毛のアン」と「花子とアン」はまったくつながっていなかったが、この物語はつながっている。そう感じさせるものがあると皆がささやき合っている。



 今日の「#エリーかわいいよエリー」は、彼女が窓を見上げ「蛍の光」を歌うところだった。声がかすれていたのは、飛び出た家から政春の宿舎まで泣きながら歩いた後だったんだろう。そして自分がこれを言っているのが信じられない、マサハルは信じられる? という表情で彼女は言った。「私を日本に連れてって」。

Take my hand, take my whole life too
この手を離さないで。人生までも連れてって
For I can't help falling in love with you
あなたを好きにならずにいられないのだから



(Presley /UB40 - Can't Help Falling In Love)

 Mと出会った頃、彼女の残り僅かな日本の日々を一緒に過ごしながらこの歌を何度も聴いた。この手を離さないで。人生までも連れてって…。俺はどうしたらいいんだろうといくら考えても答えが出なかった。あれも日に日に冷えていく秋の頃だった。

2014/10/04

日記「ビートルズセッション」

「グレン・グールド」「ティーンのコンピュータ知識」「新学期はじまる」「バカ雨の季節」「『マッサン』への期待」

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■14/09/14(日) □ グレン・グールド
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 階下のM母が大音量でクラシックピアノのソロ曲を聴いており、なんだか全然わからないがめっちゃいいなと思って誰かと聞くと「グレン・グールドのバッハよ」という。グレン・グールドって名前は聞いたことあるなと調べたら、カナダの生んだ天才ピアニストだった。すごくパンクなピアニストだったらしい。うわ、かっこよろしい。

 ウィキによれば彼は「音色の興味に訴えるよりも音楽の構造から生み出される美」を追求していたらしい。この音を聞けばなるほどと思うな。昨日日本語TVで9mmパラベラムバレットというバンドを見て、この人らは音の感じ方が俺とは違うんだろうなと思ったが、そういう感じはある。

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 夕方ガスを入れに行き、夕暮れの街を SIGMA で撮る。久々の SIGMA 19mm は距離が短くて心もとないが、やはり撮るといい絵が出る。



 SIGMA をつけていれば俺のカメラでのベスト画質がいつでも手に入るのだが、今は 40mm-70mm くらいの距離の人々を撮りたいんだよな。なんせ俺が一番多く写真を撮るのが、信号待ちのときだから(笑)。左は 40-150mm の 70mm、右は標準ズーム 42mm をデジタルテレコンで2倍にしたもの。この距離がほしいのだ。つまり換算 150mm あたりの。

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■14/09/17(水) □ ティーンのコンピュータ知識
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 iOS8 にアップデートした萌が「写真がほとんど消えた」と号泣。げげ。だからバックアップしてからやれと…しかしいくらなんでも OS がユーザーデータを消す理由がない、どこかにあるだろうと写真アプリ内を探したらあった。デフォルトで表示される「アルバム」では「Recent(最近)」というフィルタがかかり、古い写真が見えなくなっていただけだった。

 iOS は音楽もそうで、ファイル名一覧ではなくこの「ライブラリ」「アルバム」というものを見せたがる。萌はその「アルバム」内におり、そこでは古い写真がフィルタアウトされた「Recent」しか存在せず、大事な古い写真が消えたと萌はパニックになったわけである。その目隠しされた状態の「アルバム」から一歩外に出ると、古い写真が見つかった。

 つまりストレージに存在する写真を全表示する「ALL」というアルバムを iOS が用意しデフォルトにしとけば混乱はなかったのである。そういう気遣いなしに UI を変えたせいで、iPod を使って2年のユーザーが号泣したということは報告しておきたい。Google とアップルはなんでも勝手にやり過ぎる。



 自分はなんでもわかってると思っているティーンは親が iPod のことに口出しすると嫌がるのだが、実のところフィルタとかファイルシステムとか帯域幅といったコンピュータの基礎概念はわかっていない。だからこういうときにパニックになるし、友だちにビデオを見せるといって1ギガの動画をメールで送ったりして、家全体のネットをその間数時間遅くしたりする。動画は圧縮するとか、ちょっと学校でこのへんの基礎を教えてもらいたい。

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■14/09/22(月) □ 新学期はじまる
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 BC 州は教職組合が夏休みをはさんで都合5週間もの長期ストライキを打っていて、今日ようやく萌高校の新学期が始まった。萌の希望で学区外の遠い高校になったのでこれから帰路の半分はバス通学になる予定なのだが(行きはMが通勤途中に置いていける)、学割定期を調べてみるとけっこう高い。電話代よりも高い。定期よりチケットのほうが安く上がる。どうせバスターミナルまでは迎えに行くのでもうひと足伸ばして山の上の学校まで行っても俺の手間はさほど変わらんのだが、まあガス代がかかるので金の節約にはならんか。いずれにせよ不便なところにある学校である。むろんフランス語科だから遠路はるばるまで行かねばならんわけだが。

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 始業から帰った萌をピックアップして買い物へ。学区外からの特例入学だった関係でアート科目は希望の写真科に入れず陶芸科になったとのこと。まあ写真が好きって言っても最近は PEN など触らず iPod でしか写真を撮ってないわけで、楽してアートっぽいものがすぐ出来るカメラよりは手を動かし作る陶芸のほうがためになるとは思うけど(笑)。

 しかし時間割が判明し、えらいバランスが悪いので本人ともども驚いている。社会、アート、英語、数学という同じ科目を週を通して毎日やるんだそうだ。これが前期で、後期は体育、科学、情報、その他を毎日やり1年が終わるという。つまり前期は体育がなく、後期は毎日走るですよ。なにこれ

 このバランスの悪さは一体何なのかと驚くが、途切れることなく同じ学科を集中してやったほうが生産的であるという教育メソッドで、カナダでは一般的なんだそうだ。しかし飽きるだろう。マンネリ化するだろう。社会と英語と数学が嫌いな生徒は前期死にたくなるだろう。そういう問題は生じないの?



 新学期でいろいろとあるので萌が珍しくよく報告してくれるのだが、スポーツの交流戦等でライバルだったムスメ中キッズと V 中キッズは折り合いが悪く、あちこちで火花が散っている模様。ムスメたちがはしゃいでると V 中の連中が舌打ちして通るのだそうだ。おおアメリカの学園ドラマっぽい。

 この学科のアンバランスさやそうしたヒューマンリレーションのあれやこれやが入り混じり娘たちはストレスを感じているようで、「家に帰るとほっとする」などと殊勝なことを言っていた。まあ最初だけだろうそんなの。俺だって高校に入った頃気に食わなかったやつと、しばらくしたらバンドやってたよ。

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■14/09/24(水) □ バカ雨の季節
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 ドライすぎた夏が終わったと思ったら突然記録的な土砂降りとなり、家のまわりじゅうに水が溢れ出した。このまま放置して浸水してからでは遅いので、まず裏の排水ポンプを確認し、雨樋があふれて壁際に大量の水がダダダと落ちている箇所に波板を置いて水を芝まで誘導し、デッキ雨樋の詰まりを直し(リスのせいで栗のカラが大量にたまっていた)、最後にあふれ始めたフロントドライブウェイの排水口を直す。

 排水口があふれているということはフロントのポンプが機能してないかポンプまでの通路が詰まっているかなのでまずポンプをチェック。水量は通常通りで機能している。ならば詰まっているのだと棒を持ってきて排水管内をガシガシ突付くとすーっと水が引いていった。助かった。大雨の中1時間の作業であった。すでに全身ずぶ濡れ。

 夏前に掃除はしたのだが、こんなに早く水流が劣化するとは。これはなんとかせんとならんなあと憂鬱な気持ち。まずはドライブウェイ排水口に入る小さめの予備ポンプを買うのがフェイルセーフ策として吉かもしれない。

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■14/09/25(木) □ 「マッサン」への期待
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 【花子とアン】「赤毛のアン」出版にまつわるシーンで学者の茂木さんが出てきて台詞を棒読みし、ツイッターが失笑の嵐となる。この物語の一貫したテーマは「棒読み」だったな。役者たちがどれだけ心傾けようと、「花子とアン」にまつわる部分は脚本家によってあらかじめ一貫して棒読みされていた。その象徴として帝大生龍一と茂木さんが起用されたという(笑)。

 脚本家は「蓮子とデン」に惹かれ花子に興味を感じず、「花子とアン」を書くのにほとほと飽きてたんだろう。だとしても客が入ってるのにこの手抜きはないだろうと、蓮子の駆け落ちからあとの話には呆れていた。恋も争いも戦争さえもこの物語では、花子の横をそよ風のように通り過ぎていっただけだった。脚本家に人気があればこんなことが許されるんだから日本の TV 界隈は馬鹿ばかしい。視聴者の時間と楽しみをなんだと思っているんだ。

 花子が何をした人なのかをこの物語はついに描かないまま終わってしまった。何かが作り上げられるその様子こそがドラマチックなのにね。

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 そして次の朝ドラ「マッサン」の予告を見る。マッサンもエリーも相手の母語が棒読みにならないセンスを持ち、身のこなしや表情や声に役者を見ることのプレジャーが宿っている。そして何かを成し遂げることの喜びがしたたり落ちそうな物語の背景と、俳優陣の強烈なユーモアと。これはすでにサイコーな予感が。「あまちゃん」と同じ、これまで長いこと辛抱いるもの見せてすいませんでした的ワンダーになる予感が :-)。

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■14/09/27(土) □ ビートルズセッション
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 パーティに行く萌を SR 家で降ろし、晴れたので俺は自転車に乗りポートムーディの公園で写真を撮る。ここは自転車ロードではなく散歩の人が多くて走りにくく、景色も美しいが写真を撮るような景色ではない。それでもまあいい景色が目に入るとキッと止めて撮る。最近つけたハンドストラップのおかげでカメラが安定し、ブレないのでありがたい。

 今日の発見は初めてやってみたカメラの肩掛けスタイルが優れているということで、公園を歩きながらおっと思ったらカメラを構え即撮れるのは素晴らしい。バッグにカメラを入れていたら間に合わなかったシャッターチャンスをゲットできる。加えて肩からカメラでストラップのテンションが取れるので、ブレにも強くなる。首からぶら下げはどうしてもカメラおやじっぽくなる…というかそうであることがバレてしまうので避けたいが、肩掛けならバレにくいはずだし。



 夜恒例ケルト音楽同好会の夕べに参加し、例によって知らないケルト曲を耳で追いかけコードを拾いつつアコギでガツガツと伴奏する。気難しそうなピアノ奥様がチラチラ見てるので俺のロック式コードストロークが耳障りなのかなとチト心配したのだが、あとで「ギターのおかげでリズムがすごく出てたわ」と褒められた。ヨシ。



 で会がはけたあと、集った中で唯一俺と同じくケルト曲を知らないロック系ギターの R 氏とジャムセッションした。彼はとてもうまくて変則チューニングでツェッペリンの難解曲が弾けるのだが、人間が歌えるフツーの曲をからきし知らない。イエスの「ラウンドアバウト」とか「ムードフォーアデイ」も弾いてた。パーティなのにそんなの誰も歌えないし俺も合わせて弾きようがないって(笑)。

 なので「こうでこうでこうね、OK レッツゴー!」と客を飽きさせないために1曲 30 秒でコードを教え、ビートルズを歌いまくった。All My Loving、Please Please Me、Nowhere Man などなど。「ワオ。なんていいコードなんだビートルズ」と弾きながら驚く R 氏。当たり前だよ :-) While My Guitar ではクラプトンっぽいギターを彼がちゃんと弾く。いいぞ。

 やがて一緒に歌っていたレディから、「私バンクーバーでビートルズを見たのよ」と衝撃発言が飛び出した。まままマジですか。50年前だって。歴史だ。俺はいまヒストリーを目にしている。みたいな。

2014/10/03

【カメラ日記】ハンドストラップの効果大



 庭の栗の実が熟したらしく、近隣のリスたちが一日中ガサガサと木に登り栗を落とし自分の家へと運んでいた。あ! お前はこないだうちの煙突に入ってきたヤツじゃない(笑)?




 登るわ走るわ喧嘩するわ食い散らかすわとやりたい放題のリスたち。望遠 MZ40-150mm をつけてその大騒動を撮りまくるが、「木の葉の隙間のいい角度で」「ここぞという瞬間に」「ブレないように撮る」と複合必要条件が厳しすぎて全然ヒットが出ない。俺の E-PM1 はブレ補正が弱いのである。うまく撮れても拡大するとカリッと止まっていない。

 途中でいったん諦めてビデオカメラを出してきて撮ると、これが楽しい楽しい。動物写真は腕がよくないとまるでヒットが出ないのだが、動画はただレンズを向け追っていれば目前で繰り広げられる楽しいシーンがするするオートで SD カードに収まっていく感じ。リスたちが庭中を駆けまわり喧嘩していても延々と後を追い撮っていける。望遠も超長い(なんと換算 36.0-1260mm 相当)し、写真と違いブレても見れるし、電子式とはいえ手ブレ補正も効いてるからね。なんとイージーでファンなんだ。



 とはいえやはり美しいスチルを残したい気持ちは強いので、ビデオである程度いい絵を抑えるとまた MZ40-150mm に戻る。



その後市販のハンドグリップ
に交換。ややかさばるが安定。
もうカメラの持ち方や設定ではどうにもならんといろいろ試した末、ネックストラップを取り付け(見た目的に首からカメラをぶら下げるのが恥ずかしいので使ってなかった、これを指と手首にぐるっと巻き付けハンドグリップのようにすると、レベルの違う安定性が得られると判明した。なんというかカメラのあらゆるポイントに引っ張るテンションが均等にかかり、カメラ自体の揺れが劇的に減る。シャッターショックまで分散され、ガシャンという PEN のシャッター音がクシャっと小さくなった。おお。


 これでテストすると、手ブレ補正のヒット率がやはり格段に上がった。やった。





ワイルドサーモンを守れの歌人
手ブレが完全になくなるわけではないが、100mm では2枚連写すれば1枚、150mm でも3枚連写で1枚キープできるクオリティのものが確実に撮れるようになった。これでようやく実用になるな。屋内でも 40mm で 1/25s くらいまでカチッと止まり、これまでとはレベルが違う高精細の屋内写真が撮れる。やっぱりこれまでは俺の手がブレ過ぎていたのだ。

 調べてみるとこういう「ハンドストラップ/ハンドグリップ」は一眼ではポピュラーなアクセサリだったのだった。手ブレ低減効果も当然実証されていた。これを買っておけばよかったのか。今度買おう。

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 台湾で働きながら、カメラとレンズと写真に打ち込んでおられた FlatPedal 氏のブログを発見。同じオリンパスの入門機を使いながら、うまい人の写真は俺のとなんと違うのかと考え込んでしまった。

 FlatPedal 氏は外国でふーっと消耗しそうになりつつ暮らしてるという点も俺と共通するものがあり、オリンパス関連の記事を拾いながら延々とたいわんに何年分もさかのぼり読んでしまった。外国暮らしとはやはり満たされぬものである。絵になるところを探し求める写真趣味はそこを癒してくれる。

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 以下、最近の写真順不同。信号待ちの写真ばっかりだ(笑)。