2012/06/16

日記「ダンンジョンズ&ドラゴンズ体験」

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■12/06/04(月) □ ポピュラーガールズ問題
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最近萌の中学生活の話を聞いていると、意地悪なグループにからかわれたり、くだらないことで大声を上げられたりすることがあるらしい。このグループを萌は「ポピュラー(人気がある)ガールズ」と呼ぶ。華やかでプリティで人気があるけど、裏では主人公に意地悪をするガールズというのは、まさにアメリカ映画や少女マンガの悪役。そういうのが本当にいるのね。

4~5年生の頃からその傾向はあったが、気が強くおしゃれな女の子たちがトップに君臨するという状況にいよいよなってきているらしい。しばらく前に萌が妙にブーツにこだわっていたのは明らかに彼女らへの意識からだったのだが、最近は運動靴も履いていき、それなりに自栄心とリアリティの折り合いがついてきてるかと思ってたのだが。難しいよなあ。

萌の言葉遣いや態度がどんどんとラフできつくなり、年齢不相応に声が低くなっていくことを俺は不愉快に感じている。たとえば何かを尋ねたときに、昔は

I-don't-know (中中中)=知らない。わかんない。

というフラットなトーンで答えていたのが、いまは

I↑don't-know↑(中上中上)=知らね。わかんね。なんで聞くの。

という反抗的なイントネーションで答える。そのトーンだけで俺はイラっとさせられるのだが、しかし実際のところそういうアティチュードを身につけないと、カナダのティーンはやってけないんだろうなとわかってきた。誰もが年齢的に自然とぶっきらぼうでトガってくるわけだが、学校ではそれが共鳴し合って攻撃性が増しているんだろう。そんな嵐の中に、子供のままのイノセントな心でぽつんと立ってなんかいられないのである。

萌はボーイズとは小学校時と変わらぬノリでギャハハと楽しくやっているらしい。ガールズは難しいのだ。俺の中学時の女の子たちは全然そんな険悪な感じはなかったが、日本の田舎の中学とカナダの中学ではまったく違うんだろうな。

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「萌が運動部で友達をつくるか、文化系のナード(おたく)ガールズと付き合ってくれたらいいんだけど」とMはいう。ポピュラーガールズとなんか付き合わなきゃいいのよ。その通りなんだが、運動部も文化部もないんだよこの学校は。1ヶ月限定のバドミントン等のスポーツイベントがちょこちょこ入るだけ。ほんと部活がないというのは痛いよな、カナダ中学。

まあイジメというほどの事態ではないのだが、とにかくめんどくさくて難しい。こうした子供たちの変化に教師がどこまで目を配っているのか、あまり期待はできない。親が子供に常に話を聞いて、細かく対応していくしかないと思う。

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■12/06/10(日) □ ダンンジョンズ&ドラゴンズ体験
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MK家で【初めてのD&D】。メンバーはSF、KV、LS、そして俺と萌とゲームマスターのMK。MKは俺がカナダに来た94年にすでに今の萌と同じくらいの年でこれをやっていたから、20年近いキャリアである。俺と萌以外はみな経験アリらしく、最初に以前の版と最新版のルールの違いなどが語られる。

ゲームが始まり小1時間は各自シートを読み込みキャラを構築していく感じ。自分は釣りが好きだの金にうるさいだの、自らのディテイルをてんでに盛り込みキャラと世界観を作っていく。萌の書くストーリーと同じでディテイル描写ばかりがどっさり積み上げられ、なかなか話が進まない。

キャラ作りとオープニングの町の酒場での相談が済み、準備が整いようやく冒険の旅に出る仕儀となり各自のコマをテーブルに置いたときにはもう2時間近くが経っており、ランチブレイクとなった。まだ町から出てもいない。こりゃ想像以上に気長な遊びだな(※)。
(※)あとでMKが言っていたが、SFが予想外に凝り性でどんどん細部を積み上げていくので、奴が企図したよりもいちいち余分に時間がかかっていたのだそうだ。なるほどね。

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シートに手描きのこの地図が楽しい。
ランチ後フィールドを表す格子のシートが出てきてやっとゲームらしくなってきた。ビニールの格子シートに、MKがフリーハンドで道や森を描き込んでいく。おー。これはイイ。ゲームボードをデザインしたいという気持ちは誰にでもあると思うが、これはそれができちゃうのである。素晴らしい。萌は当然喜んで、キャンプすると決めた場所に「ここが私の寝る木」などと寝場所を書き込んでいた。

モンスターはゲームマスターがシナリオブックの規定(?)に従った数と強さで、ちょうどいい難度になりそうな位置に配す。サイコロの目でバトル結果が変わる。このへんは想像通りの RPG で、「エディス(萌)は怒りに体を震わせェ、大きく息を吸い込みィ、敵に炎を吹きつけた! ストームブレス! クリティカルヒット!」とマスターMKが大声でナレートしてくれるのでバトルシーンが盛り上がる。盛り上がるけれどしかし、最初の雑魚敵6個のバトルで30分くらいかかった。ここはコンピュータゲームの手早さのほうがいいなあと正直思う。


「心配しないでブリツ、あたしは味方だから」と
ゴブリンに話しかけるエディス。
TRPG で面白いのはやはりトークの部分で、敵を倒したあと『この気を失ってるゴブリンをどうするか』なんて話が出てくる。なにをするのも自由なのだ。萌が「連れていける?」とゲームマスターMKに聞くと OK が出て、こいつが萌キャラのペットになった。するとMKがこのノンプレイヤーキャラクターの役割をやってくれるのである。萌が問いかける。

「お前の名前はなんなの」
「シャーマンはブリツって呼ぶ」
「じゃブリツ、シャーマンって誰?」
「シャーマンはシャーマンだよ、怖いよ」
「怖い? なぜ」
「俺が言うことを聞かないとぶつんだ。あんたもそうだろ?」
「あたしはぶったりしないわよ、ほらこのウサギを食べていいわよ」
「………こんなやさしいシャーマンに初めて会った」
「あたしはシャーマンじゃないわ、エディスっていうの、人間よ」
「人間ってあの弱いやつか? シャーマンに言われてこないだ殺したな」
「なんですって!? それはどこ!?」


―――てな具合に、MKの絶妙な演技とプレイヤーとのインタラクションで話が深化し、チームが依頼を受け探していた「モンスターに襲われた建設現場」特定へのヒントへと絶妙につながっていくのである。これはすごいなと思った。おそらく骨子はすでに決めてあって、その場その場でMKが即興で話を変えていくんだろう。こんなことは他の遊びではやりようがなく、だから何十年も遊ばれているんだな。ただただ会話だけでどんどん世界が広がっていくのがなんとも面白い。「テーブルトーク RPG は日本での造語」と Wiki にあるけれど、これを造語した人はエライと思う。これはゲームというより高度なゴッコ遊びだな。

萌は自分のイマジネーションが全部話に織り込まれていくので大喜びで、ゲーム自体は待ち時間が長く退屈もしていたが、最後までテーブルから離れなかった。ボードゲームだと1時間でも集中持続は難しいのだが。楽しさに輝く萌の顔は久しぶり。

俺は照れ性であまりオラなんとかしただ的演技はできず、ドワーフという無口がデフォルトみたいなキャラだったので話の流れ的な出番も少なかったのだが、他プレイヤーのトークを鑑賞しチャチャを入れるだけでも十分に楽しかった。



俺は、プレイ時間5時間(!)でリタイヤし、ユーロを見たくて先に帰宅。トークの局面局面はまことに面白かったのだが、5時間かけてバトルが1回半とキャンプが1回というゲームの進まなさに疲れた。D&Dにはボードゲーム的な意味でのゲーム性(メカニクス)はまったくない。俺はボードゲームのメカニクスというものに最大の魅力を感じてるので、D&Dはテーブルゲームとしてはボードゲームより相当に冗長と感じる。5時間遊べるなら、俺は5つの別種のボードゲームをやりたいのが正直な思いで、逆に言えば1つのゲームで5時間は俺は持たない。

バトルにも時間がかかるし、それに「タクティクスオウガ」など緻密に戦力と地形バランスが取られたコンピュータゲームに比べると、なにしろ材料は手描きの地形とサイコロなので戦略的な楽しみも薄い。「うーん、まあ手近のこいつを倒します(コロコロ)」という感じ。この部分は練り込まれたバランスをいつでも再生産できるコンピュータ RPG にかなわないなと思った。お金を使い村で買い物しキャラを育てる等のサブ要素がないことも物足りない(無論やればいくらでもサブ要素は加えられるだろうが、それなしで数時間かかるゲームにさらに細部を加えるのは....ということ)。

あとで結末を聞けば、「開拓地を破壊したのはシャーマンに操られたゴブリンたちだ」という調査結果をクエスト依頼者に持って行くと、実はこの依頼者こそが悪役だったというどんでん返しとバトルが最後にあり、盛り上がって終わったらしい。なるほどねえ。しかしそれはやはりコンピュータ RPG の『最初の村の人助けクエスト達成』くらいの話のボリュームで、それに数時間かかるんだから大規模な物語はなかなか描きにくいだろうな。

総論として、D&Dのトーク部分の自由度とインタラクティブ性はどんなゲームをも上回るだろうと思う。しかしコンピュータ RPG の手軽さと緻密さ、ボードゲームのメカニクスと思索の面白さのほうが、俺には向いているなという結論となった。

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「ディクシット」この絵たちの奇天烈なことよ
ユーロを見終え萌を迎えに来るとまだ遅い晩飯を食ってる最中だった。そして最後に「ディクシット」が出てきた。もう9時を過ぎ萌を連れて帰らないといかん時間なのだが、これは数年前のボードゲーム大賞作である。ぜひやりたいので半荘だけお願いしますとやってみる。

全員が奇天烈な絵の描かれたカードセットを持ち、手番が1枚のカードにお題をつけて伏せて出す。残り全員もそのお題に合うカードを選んで伏せて出し、どのカードが手番のものかを皆で当てるというゲーム。それだけなら面白くもないのだが、手番は全員に当てられるか全員が外れるとゼロ点というのがキモになっている。つまり「そこそこわかってもらえる秘密」という微妙さがゲームの核心なのだ。そこに突如としてゲームのスリルが生まれる。

始まると1問目の投票から「えー、どれだよ」と想像通りに盛り上がり面白い。全員がニヤニヤ顔になる。ゲーム形態として誰にも待ち時間がないし、自分が題を出す番も待ち遠しい。自分の手札のどれにも「わかってもらえる秘密」なお題がつけられず苦しむという場合も多々ある。半荘のつもりが結局1ゲームやってしまったくらい面白かった。

萌はディクシットを買ってくれと言うのだが、ゲームの性質上6人くらいいないと面白くないわけで、買ってもちょっと出番がそんなにないな。しかしこういう秘密を持つゲームはほんとうに面白い。人狼とか「レジスタンス」などの、正体隠匿系のゲームがぜひほしいと思う。

『秘密』『計画』『生産』『拡大』―――このへんに俺が面白いと思うボードゲームの鍵があるのは明らかだ。D&Dと「パンデミック」にはそれがないわけである。前からほしい農園ゲームはいまだにこれといったものがないのだが、秘密ゲームも同時に探していこう。

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